チョコレートは罪の味。
その行為自体を罪と感じるのか、罪を黙認する事を周囲から責められるのが怖いのか。
日本人の多くは、なかなか区別しないだろうと推測する。
さっきイギリスのドキュメンタリーを見ていて、ふと考えてしまった。
日本ではチョコレートがとても安い。
この前、有名メーカーのガーナチョコレートが80円で売られていた。
なぜこんなにチョコが安いのか。多くの人は面倒だから考えない。
チョコの原料になるカカオ豆は、主に西アフリカで生産されている。そこでは平然と男親が子供を売る。
カカオ農園に売られた子供は学校にも行けず、ろくに食事も与えられず、時には暴力を振るわれながら 朝から晩まで働いている。
チョコの原料になるカカオは簡単に生産できる品ではないし、チョコになるまで様々なコストもかかっているのに、日本で80円で買えるという事実。
生きるだけで人は罪を犯している・・・罪というのが語弊なら誰かを犠牲にしている。
イギリスの取材陣は、「チョコの原料が違法である児童労働で作られている事を知っているか」と街中で聞いていた。
一様に住人は『児童労働で作られた品は買わない』と言っていた。
さらに「以前は購入したが知らなかったから仕方ない」とも。
こんなのは詭弁だと思う。
視野の狭い私でさえ、安いチョコにずっと疑問を感じていた。
普通程度の思考力があれば変なのは分かるはず。
多くの人は知りたくないから、知ろうとしない。
安いなら安いでいいじゃない。ただ自分の健康を害さなければ・・・。
これが多数の本音だと私は思う。
さらに言うなら、権威が悪いと定義づけするから、人は罪を意識するのではないだろうか。誰に言われずとも、自分の中に善悪の基準を持ち続けるのは難しい。
異様に感じる価格というヒントはあったのに、知る努力を放棄することは罪じゃないのか。
貧しい国の事を考えろとか、フェアトレードを叫びたいわけじゃないが、生きるとは何かを犠牲にする事だと実感した。
ただ安いチョコレートを買うだけで、間接的に子供の人権や命を奪う事になる。
消費者は売り物を買うだけだから、加害者ではないのか?
偽善的かも知れないが、せめて誰かの犠牲の上で、自分が生きている事は忘れずにいたいと思った。
日本人の多くは、なかなか区別しないだろうと推測する。
さっきイギリスのドキュメンタリーを見ていて、ふと考えてしまった。
日本ではチョコレートがとても安い。
この前、有名メーカーのガーナチョコレートが80円で売られていた。
なぜこんなにチョコが安いのか。多くの人は面倒だから考えない。
チョコの原料になるカカオ豆は、主に西アフリカで生産されている。そこでは平然と男親が子供を売る。
カカオ農園に売られた子供は学校にも行けず、ろくに食事も与えられず、時には暴力を振るわれながら 朝から晩まで働いている。
チョコの原料になるカカオは簡単に生産できる品ではないし、チョコになるまで様々なコストもかかっているのに、日本で80円で買えるという事実。
生きるだけで人は罪を犯している・・・罪というのが語弊なら誰かを犠牲にしている。
イギリスの取材陣は、「チョコの原料が違法である児童労働で作られている事を知っているか」と街中で聞いていた。
一様に住人は『児童労働で作られた品は買わない』と言っていた。
さらに「以前は購入したが知らなかったから仕方ない」とも。
こんなのは詭弁だと思う。
視野の狭い私でさえ、安いチョコにずっと疑問を感じていた。
普通程度の思考力があれば変なのは分かるはず。
多くの人は知りたくないから、知ろうとしない。
安いなら安いでいいじゃない。ただ自分の健康を害さなければ・・・。
これが多数の本音だと私は思う。
さらに言うなら、権威が悪いと定義づけするから、人は罪を意識するのではないだろうか。誰に言われずとも、自分の中に善悪の基準を持ち続けるのは難しい。
異様に感じる価格というヒントはあったのに、知る努力を放棄することは罪じゃないのか。
貧しい国の事を考えろとか、フェアトレードを叫びたいわけじゃないが、生きるとは何かを犠牲にする事だと実感した。
ただ安いチョコレートを買うだけで、間接的に子供の人権や命を奪う事になる。
消費者は売り物を買うだけだから、加害者ではないのか?
偽善的かも知れないが、せめて誰かの犠牲の上で、自分が生きている事は忘れずにいたいと思った。
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