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2016年08月09日

私の趣味コーナー旅行編(海外旅行)思い出話より。連載しますので見て下さい!

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1970年代に海外旅行の大衆化をもたらしたジャンボ・ジェット就航
ジャンボ・ジェットにより大量に輸送でき、海外旅行普及効果は大きかった。

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ヴェルサイユ宮殿はルイ14世が建造した宮殿です。パリの南西22キロに位置します。

エッフェル塔400p.jpg

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エトワール凱旋門の屋上からエッフェル塔を望む景色と、
凱旋門からシャンゼリゼ通りのカフェの前で写真を撮る。

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シャンゼリゼ通りはパリの代表的な目抜き通りです。

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1975年パリ 蚤の市でストリートオルガンに出会う。もう今では見ることできないでしょう。
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1975年パリ モンマルトルの丘にあるテルトル広場は芸術家の卵達が集まる。
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1970年代〜1980年代はヨーロッパ線は旧ソ連の領空うを使えないためアンカレッジ経由北極
周りであった。これはヨーロッパから帰り北極圏で操縦席の窓ガラスが割れアンカレッジ空港で
ガラス交換の為4時間遅れて東京国際空港に無事到着、あわや遭難の危機も・・・!
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1980年ローマでアメリカ人と友達になり記念に写真を撮る

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コロッセオについて簡単にご紹介を。
当時の正式名称「フラウィウス円形闘技場」と名付けられ、
剣闘士たちが戦う場所として、そしてそれ以外にも様々な見世物を行う場として市民に提供されていた。
外側もコンクリートで覆って装飾していたそうです。
古代ローマ時代に既にコンクリートがある、という事実にも驚きですが。
現在のコンクリートより強度がある!というのが更に驚きです。
出来た当初は全て立派でしたが、ルネッサンス期に他の建築資材として古代ローマの建造物が採石場代わりに使わていたそうです。
現役のころは天幕があったそうです!

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コロッセオ内部s400p.jpg

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スペイン広場はローマの中で一番にぎわっている場所の一つです。映画
「ローマの休日」で有名になったスペイン階段、階段の上にあるフランス協会。

ローマの休日s.jpg

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バチカン市国は、ユネスコの世界遺産のひとつ。イタリア・ローマにある
世界最小の国家バチカンの国土全域が世界遺産として登録されている。

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マドリッドから南へ約70キロ、タホ川に抱かれるように中世の町「トレド」世界遺産指定都市。
歴史的には、ローマ人の支配の後、6世紀頃には西ゴート族により西ゴート王国の首都とし
て栄え、やがて8世紀になると西ゴートは駆逐されアラブの支配が始まります。キリスト教徒、
イスラム教徒、ユダヤ教徒が長い間共存し、それぞれの文化は独自性を保ちながらもこの
トレドの街でひとつに溶け合って独特の雰囲気を作り上げてゆきました。
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タワーブリッジsw400p-250p.jpg
思い出の写真から1枚!   私の見た橋で最も風格のある橋です。
タワー・ブリッジ は、イギリスのロンドン市内を流れるテムズ川に架かる
跳開橋。橋の長さは244m、左右にあるゴシック様式のタワーの高さは65m
あり、内部は展望通路・歴史博物館がある。1886年に着工、1894年に完成した。

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マドリード中心部にある公園で、マドリードのへそとも呼ばれている場所。
マドリード市民に人気の公園で、子供連れで来ている地元の人と一緒に写真を撮る。


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パリは何回行っても見切れない。ルーブル美術館だけでも何週間も必要
パリ、ルーブル美術館1975年撮影、名画が沢山展示されています。
他にオルセー美術館 ピカソ美術館 ロダン美術館等々あるので何度行っても飽きない!


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パリの有名観光名所として、観光客が絶えないノートルダム大聖堂
パリ散策には欠かせない観光名所の一つです。
建物の正面より、後ろ側の方が美しく見える。

1964年4月1日、日本政府は観光目的の海外渡航の自由化を認めました。
しかし、まだ海外旅行は一般的ではありませんでした。
1964年4月8日に出発したJTB主催「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団」
ハワイ7泊9日の旅行費は36万4000円、当時の国家公務員・大卒初任給が1万9100円でしたから、その約19倍という超高額商品でした。現在の物価にすると約400万円程です。
私がハワイに行ったのは、1970年でした当時の大卒初任給3万6100円でハワイ旅行の価格28万円
でした。しかも為替は固定相場の時代で1ドル360円で、持ち出せる外貨は1人1回500ドルが限度でした。従って旅費・小遣い合わせると現在の価格にすると約280万円になります。



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山本惠一現在現役を離れて10年以上。 地震の研究(地球物理学・地質学・建築構造学)を50年以上 1965年より山本地震対策研究所を開設 所長 JIS家庭用品 耐震強度の新規原案作成委員 内閣府の地震災害軽減対策の委員会 委員 安全保障協会の理事 災害対策研究所 所長 等々歴任
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