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2018年03月26日
八丈島東方沖のほぼ同じ場所で連続で地震・・・
先ほど八丈島東方沖のほぼ同じ場所で地震。
なんかこういうのって薄気味悪いですね・・・。
私はパソコンに「SignalNow X 無償版」をインストールしてあるのですが、まあちょくちょく鳴ります。まあだからといって振り回されることはありませんが・・・。スマホで自分に近い所の地震は緊急地震速報が入りますしね。
先日22日から緊急地震速報が新しくなったそうです。
東日本大震災の際、関東地方でも大きな揺れがあったのに速報が出なかった事を踏まえ、そういった事態にも対処できるようになったそうです。
テレビ、ラジオ、スマホ、パソコン。まあいろいろ情報収集の手段はあった方が良いですね。
私の場合は地震があった際、震度5以上で連絡が無くとも自主的に出勤、津波注意報でも同じ。そういった取り決めがあるのでその辺は要チェック項目になります。
1人暮らしの母がいるので、そちらの心配もしないといけませんし・・・。
東日本大震災当時は父がいましたので、実家はある程度考えなくとも動けていた部分はあるのですが、あれから七年。自分の置かれている状況もだいぶ変化しました・・・。
自宅にいる場合はとりあえず、緊急地震速報が入った場合、NHKにて確認しつつ判断。動き出したら車内のラジオ。実家の確認と職場への移動。
職場にいた際は・・・。実家に電話が繋がればラッキーといった感じでしょうか・・・。幸い実家の向かいがデイサービスで、職員さんが「任せて!」と言ってくれているので。祖母も実家近くの施設に入居させてもらっているし、そういった事態になれば母、祖母とお願いできるようにはしていますが・・・。
防災、防災と騒がれている中で、非常時の持出品や非常食等々。話題は豊富ですし、そちらに目が向きがちなのはこのブログもまた同じなのですが、やはり一番最初に考慮しなくてはいけないのは家族や近所の方々という事になりますね。特に独身、独り身としては動ける範囲、動かせる範囲に限りがあります。家族の安否確認という点では尚更・・・。
こういってはなんですが、職場から実家まで数分で付けるというのであればまた違ってきますが、その瞬間その場に入れるわけではないので、そういった事態になった際の覚悟というものもある程度はしています。
仕事自体が直接災害と関わっている仕事であれば、それは致し方のない部分ではありますね。
災害発生時、腹をくくれるかどうかというのは非常に重要だと思います。家族の安否、避難場所、初動、諸々全て・・・。
そういった諸々、普段から一度は話し合う機会を持つのも大切な事だと思います。
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なんかこういうのって薄気味悪いですね・・・。
私はパソコンに「SignalNow X 無償版」をインストールしてあるのですが、まあちょくちょく鳴ります。まあだからといって振り回されることはありませんが・・・。スマホで自分に近い所の地震は緊急地震速報が入りますしね。
先日22日から緊急地震速報が新しくなったそうです。
東日本大震災の際、関東地方でも大きな揺れがあったのに速報が出なかった事を踏まえ、そういった事態にも対処できるようになったそうです。
テレビ、ラジオ、スマホ、パソコン。まあいろいろ情報収集の手段はあった方が良いですね。
私の場合は地震があった際、震度5以上で連絡が無くとも自主的に出勤、津波注意報でも同じ。そういった取り決めがあるのでその辺は要チェック項目になります。
1人暮らしの母がいるので、そちらの心配もしないといけませんし・・・。
東日本大震災当時は父がいましたので、実家はある程度考えなくとも動けていた部分はあるのですが、あれから七年。自分の置かれている状況もだいぶ変化しました・・・。
自宅にいる場合はとりあえず、緊急地震速報が入った場合、NHKにて確認しつつ判断。動き出したら車内のラジオ。実家の確認と職場への移動。
職場にいた際は・・・。実家に電話が繋がればラッキーといった感じでしょうか・・・。幸い実家の向かいがデイサービスで、職員さんが「任せて!」と言ってくれているので。祖母も実家近くの施設に入居させてもらっているし、そういった事態になれば母、祖母とお願いできるようにはしていますが・・・。
防災、防災と騒がれている中で、非常時の持出品や非常食等々。話題は豊富ですし、そちらに目が向きがちなのはこのブログもまた同じなのですが、やはり一番最初に考慮しなくてはいけないのは家族や近所の方々という事になりますね。特に独身、独り身としては動ける範囲、動かせる範囲に限りがあります。家族の安否確認という点では尚更・・・。
こういってはなんですが、職場から実家まで数分で付けるというのであればまた違ってきますが、その瞬間その場に入れるわけではないので、そういった事態になった際の覚悟というものもある程度はしています。
仕事自体が直接災害と関わっている仕事であれば、それは致し方のない部分ではありますね。
災害発生時、腹をくくれるかどうかというのは非常に重要だと思います。家族の安否、避難場所、初動、諸々全て・・・。
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2018年03月14日
津波シェルター
大げさにも思えるが・・・
まるでドラ〇ンボールの宇宙船の様だ。これでカ〇セルコーポレーションの製品の様にカプセル化出来ればぜひとも欲しい所ではある・・・。
きっと需要はあるだろうが、これを庭に設置しておくのもなかなか・・・。直径は1200mmとある。
沿岸部の海の仕事をしている方々の会社に設置するとか、後は船だろうか?
とはいえ、やはりあの大津波を体験した以上は、こういった製品は今後とも開発が進むのだろう・・・。
しかし、いきなりこのシェルターに飛び乗るのは勇気がいりそうに感じる。まずは漂流を覚悟しなければならないのだから・・・。
沿岸部の小学校などは、最近流行のデザインの優れた校舎よりも、屋上が広い四角形の昔ながらの鉄筋コンクリートの4階建てが良いと思う。まあ少子化でそんな校舎は大きすぎるという意見もあろうが・・・。そこは防災ステーションとして使うとかうまく生かす方法を考えればよいのではなかろうか?
そういった屋上にある程度設置しておけば津波の状況を判断しつつ・・・という時間的余裕もいくらかは生まれよう・・・。
個人レベルで揃えれるかはまあ今後の価格次第か?
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沿岸部の海の仕事をしている方々の会社に設置するとか、後は船だろうか?
とはいえ、やはりあの大津波を体験した以上は、こういった製品は今後とも開発が進むのだろう・・・。
しかし、いきなりこのシェルターに飛び乗るのは勇気がいりそうに感じる。まずは漂流を覚悟しなければならないのだから・・・。
沿岸部の小学校などは、最近流行のデザインの優れた校舎よりも、屋上が広い四角形の昔ながらの鉄筋コンクリートの4階建てが良いと思う。まあ少子化でそんな校舎は大きすぎるという意見もあろうが・・・。そこは防災ステーションとして使うとかうまく生かす方法を考えればよいのではなかろうか?
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2018年03月11日
震災から七年目の震災関連の仕事・・・
まあ朝が早かったせいもあるけれど・・・
疲れた・・・。
個人的には、なんかもういいな・・・という感じです。
演出が懲りすぎているというか・・・
なんかとっても綺麗すぎると・・・。いろいろなものが・・・
復興という言葉が観光という言葉に呑まれつつあるようにも感じますし・・・。震災関連の報道も被災地の等身大からどんどん外れていっているように感じるものもあるし・・・。伝える側と、復興を進める側と両極端な仕事を同時に経験しているせいもあるんだろうな・・・。
それが悪いとは思いません。それ故に進む部分も確かにあるわけで。
ただ、静かに想いを馳せたい人もいるんだろうなぁと・・・。
個々人それぞれですからいろいろな姿があっても構わない。ただそういうそっとしておく部分というのも忘れてはいけないんだろうなぁ・・・と。
疲れた・・・。
個人的には、なんかもういいな・・・という感じです。
演出が懲りすぎているというか・・・
なんかとっても綺麗すぎると・・・。いろいろなものが・・・
復興という言葉が観光という言葉に呑まれつつあるようにも感じますし・・・。震災関連の報道も被災地の等身大からどんどん外れていっているように感じるものもあるし・・・。伝える側と、復興を進める側と両極端な仕事を同時に経験しているせいもあるんだろうな・・・。
それが悪いとは思いません。それ故に進む部分も確かにあるわけで。
ただ、静かに想いを馳せたい人もいるんだろうなぁと・・・。
個々人それぞれですからいろいろな姿があっても構わない。ただそういうそっとしておく部分というのも忘れてはいけないんだろうなぁ・・・と。
東日本大震災から七年・・・
月日の流れは速いと感じる。
東日本大震災から七年。震災の年に生まれた子供たちは小学校で学んでいる・・・。この七年間で被災地の学校は統廃合が進み、その長い歴史に幕を閉じた学校も少なくない。
震災当日、奇しくも卒業式だった学校もあった。
その日、小学校を卒業した子供たちは高校を終え、社会に出る者、大学へ進む者、それぞれの道を歩んでいるのだろう・・・。
我が子を失った多くの方々にはつらく長い年月であったろうと思う。そのつらさは私には到底わからない。
震災の残した傷跡は今もまだそこにあるという事を改めて思い出す日・・・
東日本大震災から七年。震災の年に生まれた子供たちは小学校で学んでいる・・・。この七年間で被災地の学校は統廃合が進み、その長い歴史に幕を閉じた学校も少なくない。
震災当日、奇しくも卒業式だった学校もあった。
その日、小学校を卒業した子供たちは高校を終え、社会に出る者、大学へ進む者、それぞれの道を歩んでいるのだろう・・・。
我が子を失った多くの方々にはつらく長い年月であったろうと思う。そのつらさは私には到底わからない。
震災の残した傷跡は今もまだそこにあるという事を改めて思い出す日・・・
2018年03月06日
非常持出品のチェックを・・・
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間もなく東日本大震災から7年。非常持出品などのチェックを・・・。
東日本大震災後に非常持出セット等を購入された方は5年以上経過しているものもあるかと思います。保存水、非常食などいまいちどチェックされてはいかがでしょうか?
非常持出品は市販の物でも良いのですが、どういった考え方で中身を選択するかでだいぶ変わってくると思います。あれもこれもと詰め込んでも重くなるだけですし・・・。
所在地が福島のお店が考えた防災セット。ここのお店は何が興味深いかというと防災セットの中身をどういった考え方で選択肢に入れたのかということが書かれています。私はこういった防災セットは必ずしも購入しなくても良いと考えています。もちろんあれば助かることこの上ないですが・・・。
でも持ち出せなかった時や出先など・・・。そういった事態になった時の事を踏まえれば、私の考え方としては日常生活に非常時にも役立つものを落とし込んでいくことが大事かと・・・。その点こちらのお店のセット内容を選んだ際の経験則なんかはとても参考になります。
最後に一つ気が付いたこと・・・。
市販の災害セットの場合、避難所などで他の人と被る場合もあるかと思います。何かしら目印を付けておくのも大事かもしれませんね・・・。
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間もなく東日本大震災から7年。非常持出品などのチェックを・・・。
東日本大震災後に非常持出セット等を購入された方は5年以上経過しているものもあるかと思います。保存水、非常食などいまいちどチェックされてはいかがでしょうか?
非常持出品は市販の物でも良いのですが、どういった考え方で中身を選択するかでだいぶ変わってくると思います。あれもこれもと詰め込んでも重くなるだけですし・・・。
価格:12,960円 |
所在地が福島のお店が考えた防災セット。ここのお店は何が興味深いかというと防災セットの中身をどういった考え方で選択肢に入れたのかということが書かれています。私はこういった防災セットは必ずしも購入しなくても良いと考えています。もちろんあれば助かることこの上ないですが・・・。
でも持ち出せなかった時や出先など・・・。そういった事態になった時の事を踏まえれば、私の考え方としては日常生活に非常時にも役立つものを落とし込んでいくことが大事かと・・・。その点こちらのお店のセット内容を選んだ際の経験則なんかはとても参考になります。
最後に一つ気が付いたこと・・・。
市販の災害セットの場合、避難所などで他の人と被る場合もあるかと思います。何かしら目印を付けておくのも大事かもしれませんね・・・。
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2018年03月04日
当時の記事を掘り起こして、改めて震災の当時を思い出してみる その04
東日本大震災は年度末に発生した。私の会社は一年ごとの入札で次年度の仕事が決まる。幸い(?)震災の前日に次年度も変わらずに決まっていた。そんな中での震災対応でした。現場によっては別な会社に引き継ぐなんて事もありました。そんな現場は混乱したでしょうね・・・。
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題:すこしづつ回復(2011年3月28日)
先日は疲れからブログをさぼってしまったが・・・。
仙台市内もまだまだ都市ガスが復旧していないが、幸い私の所はLPガス。水道も復旧し、ブレーカーを落として仕 事に走り回っている間にヒーターが切れていたために凍結で破裂していた給湯器も直り、久々の我が家での風呂に 入れるようになりました。まだまだお風呂に入れない人に申し訳ないと思いつつ、近くに住む両親とその近所の方に おすそ分けをすることになっている。仕事仕事で、近所が大変な時に何も手伝えなかったのだから、せめてお風呂に 入ってもらえれば・・・。
とりあえずは我が家はライフラインは復旧したので帰宅時はしっかり休養をして明日からまた頑張らねば
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震災発生から3週間たってもなかなかライフラインは復旧していなかった。三月という事もあり、我が家はLPガスではありましたが、水道が復帰したもののブレーカーを落としていたためにヒーターが作動せず水道漏れという事態になり、同じ状況での故障が多く、さらに復旧までの時間、そして何より作業する方の手を煩わせてしまいました。
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題:被災地(2011年3月29日)
最近になってようやく、今、仙台市やその近隣がどうなっているのかを調べ始めた。ほんの数キロ先の事がわからな い。以前は頻繁に行っていたところでさえ行けないという状況が続いている。気になってもガソリンが無いのと、そこ においそれと足を踏み入れていいものかどうか・・・。多分、感じていないだけで恐ろしいのだと思う。仕事で足を踏み 入れるという事は、そこに理由付けがある。だから行けるのである。
先日、仕事で閖上に行ったのだが、やはり行けば深い関わりではないが、仕事で関わったことのあった人を思い出 す。今となっては安否の知りようもない。手つかずの所に運転席が隠れた状態で半ば埋もれている車を見る。思わ ず頭を下げずにはいられない。
見ておくべき光景か?
これは非常に難しい問題だと思う。
「行きたい」という同僚を止めはしない。ただ、「行ってこい」とは勧めない。まして同乗者がいるのに、近くに行ったか らとそこに向かうことも私には出来ない。
私は今、会社の事情で掛け持ちをしている。そのどちらも被災地に行く仕事が出てくる。その地に踏み入る事はドラ イバーという仕事上、自分の命だけではないという事も強く自覚している。正直、待っている時間はピリピリしてしま う。海岸沿いなら尚更だ。初めて入る人に「ラジオをかけっぱなしで持って行け」と言う。これは片方の職場で学んだ 事。それと飲むこともできる真水とマスクは最低、持参すること。
結局、片方の仕事場の一部の方々とは温度差が出てきている。どうやら機嫌が悪いという事で通っているようだが (笑)。私にはついていけない話が出るのは正直つらい。気持ちに差がある以上仕方のないことだから普段は黙って いるのだが、自分に振られた時ははっきりと「その話には乗れません」と応えることにしている。
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津波による被災地域と地震だけによる被災地域。あるラインを挟んで状況はまるで違っていた。震災後、ここで二つに分かれた被災地のギャップというものを感じ始めていた時期でもありました・・・。
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題:職場の方もそろそろ問題が・・・(2011年3月31日)
職場の方も疲労の度合いが目立ってきたようです。
もともと慢性的な人員不足がこういう時にどっと出てくるというか・・・。しかも年度末。入札と重なり、しかもとある省庁 の仕事など、一年契約ときているから働いている人間も契約更新か解除の時期。なんにしても時期が悪い。
某報道会社の方の仕事は連日の激務が祟ってきているようだ。そもそも被災した方々も働き詰。家が流されたり、浸 水したりという人もいる。私などは部屋の片づけはもともとごちゃごちゃした部屋だから気にしないことにしているし、 ライフラインも戻っているので構わないが、そうでない人たちは疲労とストレスがピークだと思う。
そんなわけで休みの日は他の現場の手伝いをしているわけだがそろそろ一か月、休みがない状態。我ながらよく持 つなぁと思う。
明日から新年度。
こんな時に限って、職場の上司が入れ替わるという。
同僚が会社と契約で交渉中・・・。決裂したら今の現場は契約解除という事もあり得るが、それはまあ彼の人生だし、 私はそれでクビという事もないのでなるようになれといった所か・・・。いまだ連絡がないのだから、どうなったことや ら・・・。ただ一つ困るのはこの状態にプラス、毎朝5時起きなるとさすがに少しキツイかな・・・。もうこうなると大概の 事ではびっくりしなくなってしまった。
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新年度を明日に控え、それぞれに生活がかかっている。その中で震災という大きな問題にも直面している。この変わり目というタイミングは日を跨いでしまえば、また動き出すのですが、その一瞬が来るまではヤキモキする気持ちはどうしようもなかったですね。
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題:ギャップは本当に大きい(2011年4月1日)
今、いろいろと努力して普通のペースに戻そうと思うが、それはなかなか難しい。自分の中で、区切りをつけたくない のかもしれない。所詮、こんな近くに居たって、その場に行き、何かをするなんてことはできない。目の前の仕事をこ なす事。それが、最善だと思っている。
私の職場のお偉いさんも言っていた言葉だが「津波は天罰」。この発想と発言には怒りを覚える。見ていないのだ。 あなた方は。遠方でテレビの画面を通してしか見ていないのだ。
私は、あの虚脱感、空しさ、悲しさ、自分の無力感、それさえも無意味に消えてなくなってしまったあの光景を忘れる ことはないだろう。町の人が夕暮れに、自分たちの暮らしていた町をただ眺める、あの背中を忘れることはないだろ う。その人たちになんの非があるというんだ。
今日見た南三陸町の電信柱。ここから復興は始まる。今でも見つからない安否不明の方々。そういう現実を抱えた まま、同時に復興に向かっていく。
あれは決して天罰などではない。 そんな綺麗事で被災者の心を踏みにじるものではない。
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なんか大きな災害があった際など、多分気の利いたことを言おうと無意識に考えてしまうのか?
「津波は天罰」。
この一言に無性に腹が立ちました。他にも「神様は越えられない試練は与えない」なんて言葉も・・・。
じゃぁ亡くなった方には非があったのか?亡くなった方はどうやって試練を超えるんだ?
後日、この上司を被災地の近くに行った際に、見ておくべきだといって半ば強引に被災地へといざなった。流石に無言であった。当時は彼に相当の怒りを覚えたものすが、今にして思えば、ただ、気の利いたことをいって場を作りたかっただけなんでしょうね・・・。私も被災地の光景に相当なショックを受け、抱え込んでいたのだと思います。
震災当時の事を今でも正確に思い出せるか?と問われれば、それは無理というほかない。多分必死に思いだし、何とか伝えようと大げさになってしまうかもしれない。
震災から七年。
被災を受けた方々は必死に生活を取り戻そうとしている。肉親や知人を失った悲しみや、変わり果てた故郷を必死に立て直そうとしている事を忘れてはいけない。
しかし、大きな被害を受けることなく生活を取り戻している私たちは・・・。残念ながら東日本大震災は過去の災害となったと言わざるをえない。リアリティが消えてきている・・・。
ただ、やはり経験したことは次へと生かさねばと感じる。
そんな思いがあり、また自分なりにあの少しでも震災を忘れないように、こんなブログを立ち上げてみたりしているのかもしれない・・・。
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題:すこしづつ回復(2011年3月28日)
先日は疲れからブログをさぼってしまったが・・・。
仙台市内もまだまだ都市ガスが復旧していないが、幸い私の所はLPガス。水道も復旧し、ブレーカーを落として仕 事に走り回っている間にヒーターが切れていたために凍結で破裂していた給湯器も直り、久々の我が家での風呂に 入れるようになりました。まだまだお風呂に入れない人に申し訳ないと思いつつ、近くに住む両親とその近所の方に おすそ分けをすることになっている。仕事仕事で、近所が大変な時に何も手伝えなかったのだから、せめてお風呂に 入ってもらえれば・・・。
とりあえずは我が家はライフラインは復旧したので帰宅時はしっかり休養をして明日からまた頑張らねば
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震災発生から3週間たってもなかなかライフラインは復旧していなかった。三月という事もあり、我が家はLPガスではありましたが、水道が復帰したもののブレーカーを落としていたためにヒーターが作動せず水道漏れという事態になり、同じ状況での故障が多く、さらに復旧までの時間、そして何より作業する方の手を煩わせてしまいました。
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題:被災地(2011年3月29日)
最近になってようやく、今、仙台市やその近隣がどうなっているのかを調べ始めた。ほんの数キロ先の事がわからな い。以前は頻繁に行っていたところでさえ行けないという状況が続いている。気になってもガソリンが無いのと、そこ においそれと足を踏み入れていいものかどうか・・・。多分、感じていないだけで恐ろしいのだと思う。仕事で足を踏み 入れるという事は、そこに理由付けがある。だから行けるのである。
先日、仕事で閖上に行ったのだが、やはり行けば深い関わりではないが、仕事で関わったことのあった人を思い出 す。今となっては安否の知りようもない。手つかずの所に運転席が隠れた状態で半ば埋もれている車を見る。思わ ず頭を下げずにはいられない。
見ておくべき光景か?
これは非常に難しい問題だと思う。
「行きたい」という同僚を止めはしない。ただ、「行ってこい」とは勧めない。まして同乗者がいるのに、近くに行ったか らとそこに向かうことも私には出来ない。
私は今、会社の事情で掛け持ちをしている。そのどちらも被災地に行く仕事が出てくる。その地に踏み入る事はドラ イバーという仕事上、自分の命だけではないという事も強く自覚している。正直、待っている時間はピリピリしてしま う。海岸沿いなら尚更だ。初めて入る人に「ラジオをかけっぱなしで持って行け」と言う。これは片方の職場で学んだ 事。それと飲むこともできる真水とマスクは最低、持参すること。
結局、片方の仕事場の一部の方々とは温度差が出てきている。どうやら機嫌が悪いという事で通っているようだが (笑)。私にはついていけない話が出るのは正直つらい。気持ちに差がある以上仕方のないことだから普段は黙って いるのだが、自分に振られた時ははっきりと「その話には乗れません」と応えることにしている。
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津波による被災地域と地震だけによる被災地域。あるラインを挟んで状況はまるで違っていた。震災後、ここで二つに分かれた被災地のギャップというものを感じ始めていた時期でもありました・・・。
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題:職場の方もそろそろ問題が・・・(2011年3月31日)
職場の方も疲労の度合いが目立ってきたようです。
もともと慢性的な人員不足がこういう時にどっと出てくるというか・・・。しかも年度末。入札と重なり、しかもとある省庁 の仕事など、一年契約ときているから働いている人間も契約更新か解除の時期。なんにしても時期が悪い。
某報道会社の方の仕事は連日の激務が祟ってきているようだ。そもそも被災した方々も働き詰。家が流されたり、浸 水したりという人もいる。私などは部屋の片づけはもともとごちゃごちゃした部屋だから気にしないことにしているし、 ライフラインも戻っているので構わないが、そうでない人たちは疲労とストレスがピークだと思う。
そんなわけで休みの日は他の現場の手伝いをしているわけだがそろそろ一か月、休みがない状態。我ながらよく持 つなぁと思う。
明日から新年度。
こんな時に限って、職場の上司が入れ替わるという。
同僚が会社と契約で交渉中・・・。決裂したら今の現場は契約解除という事もあり得るが、それはまあ彼の人生だし、 私はそれでクビという事もないのでなるようになれといった所か・・・。いまだ連絡がないのだから、どうなったことや ら・・・。ただ一つ困るのはこの状態にプラス、毎朝5時起きなるとさすがに少しキツイかな・・・。もうこうなると大概の 事ではびっくりしなくなってしまった。
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題:ギャップは本当に大きい(2011年4月1日)
今、いろいろと努力して普通のペースに戻そうと思うが、それはなかなか難しい。自分の中で、区切りをつけたくない のかもしれない。所詮、こんな近くに居たって、その場に行き、何かをするなんてことはできない。目の前の仕事をこ なす事。それが、最善だと思っている。
私の職場のお偉いさんも言っていた言葉だが「津波は天罰」。この発想と発言には怒りを覚える。見ていないのだ。 あなた方は。遠方でテレビの画面を通してしか見ていないのだ。
私は、あの虚脱感、空しさ、悲しさ、自分の無力感、それさえも無意味に消えてなくなってしまったあの光景を忘れる ことはないだろう。町の人が夕暮れに、自分たちの暮らしていた町をただ眺める、あの背中を忘れることはないだろ う。その人たちになんの非があるというんだ。
今日見た南三陸町の電信柱。ここから復興は始まる。今でも見つからない安否不明の方々。そういう現実を抱えた まま、同時に復興に向かっていく。
あれは決して天罰などではない。 そんな綺麗事で被災者の心を踏みにじるものではない。
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「津波は天罰」。
この一言に無性に腹が立ちました。他にも「神様は越えられない試練は与えない」なんて言葉も・・・。
じゃぁ亡くなった方には非があったのか?亡くなった方はどうやって試練を超えるんだ?
後日、この上司を被災地の近くに行った際に、見ておくべきだといって半ば強引に被災地へといざなった。流石に無言であった。当時は彼に相当の怒りを覚えたものすが、今にして思えば、ただ、気の利いたことをいって場を作りたかっただけなんでしょうね・・・。私も被災地の光景に相当なショックを受け、抱え込んでいたのだと思います。
震災当時の事を今でも正確に思い出せるか?と問われれば、それは無理というほかない。多分必死に思いだし、何とか伝えようと大げさになってしまうかもしれない。
震災から七年。
被災を受けた方々は必死に生活を取り戻そうとしている。肉親や知人を失った悲しみや、変わり果てた故郷を必死に立て直そうとしている事を忘れてはいけない。
しかし、大きな被害を受けることなく生活を取り戻している私たちは・・・。残念ながら東日本大震災は過去の災害となったと言わざるをえない。リアリティが消えてきている・・・。
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