いつの間にか
片方のピアスが無くなっていた。
ちゃんとしたピアスで
プラチナ台の
ダイヤのピアス。
ちゃんと
屋久杉のお皿の上に
置いてたのに。
と思い
辺りを探すも、
やはり無い。
焦りなども無く
残念な気持ちもさほど無かった。
無くなると言うことは
きっと何かしら意味があるんだろう。
何となく
哲学的にとらえている
変な自分が居て、
そうか・・・
と変な納得感と
意外と簡単に現実を受け入れていた。
昨日
部屋のローズマリーを
触って、
水やりの加減を見ていた時に
ピアスが出てきた。
その時も
大きな喜びも無く
ここにあったか
という
盲点だったという感覚や、
大きな喜びは無く
淡々としている自分がいた。
耳に付け、
自分が何だか凄く
大人になった気がした。
ようやく
ダイヤの似合う大人になった気がした。
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