2016年04月21日
本人が納得してるならデブでもいいのではないだろうか?でも本当に納得できるの?
どもっうなじろうです。
結局デブがダメな理由って何なのでしょうか?
痩せたい痩せたいと言う人ばかりでは無く世の中には一定数の太っていても構わない人がいます。
無理にダイエットして美味しいご飯が食べられなくなるくらいなら太っていてもいいよ
とか
太っていても健康だしそれ以外のデメリットが感じられない
とか
努力してまで痩せる理由が感じられない
などなどの理由により肥満を容認している人と言うのは結構います。
本人が良いなら良いんじゃ無いのか?
とも思いますがそれでも現代の日本はデブへの風当たりは強くなる一方です。
実際今はダイエットしていなくても痩せられるなら痩せたいと思っている人が殆どでしょう。
そもそも肥満が悪いかどうかは環境や時代に左右されます。
貧しい時代食べる物も少ない場合肥満とは豊かさの象徴です。
むしろそのような状況下では太っている事がステータスになるのです。
あの人はあんなに太れるくらいお金があるんだって
では今の日本はどうか?
いつでもどこでも食べ物にありつける。
周りには美味しい料理が溢れている。
こんな状況下では肥満はただの怠惰の象徴でしかありません。
勤勉勤労が美徳の日本ではやはり許されないことでしょう。
この場合自分を律して体型を維持できる事が精神的な豊かさのバロメーターになるわけです。
物理的に豊かだからこそ精神的に豊かである事がより評価される訳です。
欲を克服することのできる人と言う精神的豊かさの証明です。
足るを知ると言う考え方です。
また、発達した社会の中では段々と美意識の高さを求める傾向もあります。
なぜなら美というものは本来生物がその存在を維持していく上では必要のないもの
つまり無駄なのです。
だからこそ,その無駄な部分にすら気を使えるというのは豊かさの象徴なのです。
日本はかなり成熟した社会ですから当然高い美意識を求められていますが肥満はその対極に位置しています。
これらの事実から肥満というのが現代社会においては卑下されるものであるということはわかります。
しかし、それだけでは今回も表題の疑問には応えられていません。
なぜならそれはあくまで社会としての価値基準だからです。
自分が良いなら特に問題がないという風に考えることもできる訳です。
確かにこれには一理あるのです
他人の価値基準で生きることは不幸なことです。
自分の人生を生きるというのは他人の価値基準に流されないことです。
そのほうが幸せであると、どんなにデブで醜くても腹いっぱい食べられる方が良いと思うなら幸せかもしれない
心が豊かでなくても腹いっぱいのほうが良いというならそれでもいいのかも知れない。
しかし、気づいてほしい
そうやって心の豊かさを求めない生活を送っていくと徐々に生活のレベルは下がります。
当然思考のレベルも下がりますし、直接的に収入などに影響する可能性もあります。
心の豊かさを求める人との差は広がって一段下の楽しみしか得られない人間になっていってしまうのです。
上からは見下されて自分の狭い世界の中で生きる人生になってしまうのです。
それでいいのでしょうか?
もちろんそれでも良いというのであれば後は個人の好きにしたらいいのだと思います。
ただ、痩せることが一つ上の世界への鍵であることは間違いがありません。
結論として本人がみじめな生活でも構わないというのであればデブでもいいという結論になります。
まぁ私は嫌だったのでダイエットしましたが同じく嫌だと思うなら行動を起こしたほうが良いでしょう。
自分だけで無理そうならこういったプログラムを使うのも良いと思います。
FiNC(フィンク)ダイエット家庭教師
食費に金かけるくらいならこういったものに金かけたほうが豊かになるでしょう。
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