2015年12月31日
とうとう今年、2015年も何とかなりました!中編
2015年12月31日、とうとう今日2015年を生き抜いてしまいました。
前編の続きですが、在日朝鮮人の社長の印刷会社で、大量従業員退社により、社長より、直々に、労働条件、約束を
守るという言葉と、「息子を助けてやってくれ!!」という親心にほだされ、騙され続けた会社に残留することに決めたが、
結果から言うと、のちにまた騙されることになるのだが、その時には、そんなことわかりませんでした。
その後も真面目に仕事に励んでいたのですが、次の給与明細を見て、なんら変わっていなかったので、頭にきたので
直談判に行くと、「来月からや」と。2次面接までこぎつけていた会社は、もう断ったあとやし、「やられた」と思いました。
どこまで人のいい日本人を騙すんねんと思いながら、次が決まらないと飛び出すわけにもいかず、仕方なく働く。家族を
路頭に迷わすわけには、行かず。確かに来月から固定給○○万円になりましたが、私が条件提示した数字より少し減ら
されていました。ことごとく日本人を騙す在日朝鮮人。仕方なく働き続ける。
予談になりますが、この会社に、韓国からの留学生が来ていて、彼とは、仕事で仲良くなり、彼も真面目で、仕事の良
くできる方で、在日朝鮮人の社長とお母さんが、同級生で、日本での親代わりをしているとのことでした。彼が言うには、
社長が、韓国に戻った時、留学生のお母さんに、「わしは、日本で大成功したんや」と自慢しているとのこと、お母さんの
方も、「だったら、韓国に戻ってきて、商売したらどう?」と尋ねたら、社長は、「同じことを、韓国でやったら、わし殺され
る。日本人優しから騙しても怒らないが、韓国人やったら殺されている」と答えたと。
それでも、仕方なく働き続けていましたが、約2年後位に、給与を下げるという事態に、それも1割下げるとかではなく
4割から5割ほど、否応なしに下げられ、当の社長は、顔お出さず、息子の専務に押しつけ、社長との話は、息子は、
「知らない、関係ない」の一点張り。お話にならない。
それでも、家族、住宅ローン、生活費、学費をねん出せねばならず、働き続ける。このころから、さすがに細君も、
パート社員から準社員でそこそこ稼ぎ始めた。それでも毎月毎月大赤字でため息をついていた。
気が付いたら、2014年10月、かねてから、転職を試みていたが、正社員はもはや無理か?というわけで、派遣社員
という働き方で探し、やっと印刷とは無関係の仕事、冷凍倉庫で、食肉の解凍作業を見つけ転職。だがここも、一生懸命
仕事をしていたが、あまりにも手先、指先を酷使するあまり、また、根っからの真面目さが裏目になり、腱鞘炎になり
約9カ月ほどで退社。手先、指先、手首が痛みで使えない。ご飯を食べるのにも激痛で箸を持つこともできない。このま
ま続けると両手が全く使えなくなる可能性が出てきた。このころから、自殺でもできたら楽になれるかなと思いだす。
無収入の状態は、最悪避けねばと思い、片っぱしから、転職できそうな求人情報を当たり始めると、辞める期日前に
何とか次の会社を決めた。
でも、腱鞘炎になった会社で辞める前に、腱鞘炎で両手が使えないので、別の部署に替えてくださいとお願いしたので
すが、フォークリフトの運転ならできますのでとお願いしたのですが、その時には、「あきません」と断られて、2,3日して
から、「OK」と言われましたが、その時には、別の会社に転職OKを頂いていたので、それもこちらの状況をお話し、OK
をもらったので、今更辞めますとも言えず、退社、次に転職。
転職先、やはりだいぶ話が違う。こりゃだめだ。逃げるなら早い方がいい。こうしてここも約1週間くらいで、退社。
2015年5月くらいまでのお話。続きは、次回に。
前編の続きですが、在日朝鮮人の社長の印刷会社で、大量従業員退社により、社長より、直々に、労働条件、約束を
守るという言葉と、「息子を助けてやってくれ!!」という親心にほだされ、騙され続けた会社に残留することに決めたが、
結果から言うと、のちにまた騙されることになるのだが、その時には、そんなことわかりませんでした。
その後も真面目に仕事に励んでいたのですが、次の給与明細を見て、なんら変わっていなかったので、頭にきたので
直談判に行くと、「来月からや」と。2次面接までこぎつけていた会社は、もう断ったあとやし、「やられた」と思いました。
どこまで人のいい日本人を騙すんねんと思いながら、次が決まらないと飛び出すわけにもいかず、仕方なく働く。家族を
路頭に迷わすわけには、行かず。確かに来月から固定給○○万円になりましたが、私が条件提示した数字より少し減ら
されていました。ことごとく日本人を騙す在日朝鮮人。仕方なく働き続ける。
予談になりますが、この会社に、韓国からの留学生が来ていて、彼とは、仕事で仲良くなり、彼も真面目で、仕事の良
くできる方で、在日朝鮮人の社長とお母さんが、同級生で、日本での親代わりをしているとのことでした。彼が言うには、
社長が、韓国に戻った時、留学生のお母さんに、「わしは、日本で大成功したんや」と自慢しているとのこと、お母さんの
方も、「だったら、韓国に戻ってきて、商売したらどう?」と尋ねたら、社長は、「同じことを、韓国でやったら、わし殺され
る。日本人優しから騙しても怒らないが、韓国人やったら殺されている」と答えたと。
それでも、仕方なく働き続けていましたが、約2年後位に、給与を下げるという事態に、それも1割下げるとかではなく
4割から5割ほど、否応なしに下げられ、当の社長は、顔お出さず、息子の専務に押しつけ、社長との話は、息子は、
「知らない、関係ない」の一点張り。お話にならない。
それでも、家族、住宅ローン、生活費、学費をねん出せねばならず、働き続ける。このころから、さすがに細君も、
パート社員から準社員でそこそこ稼ぎ始めた。それでも毎月毎月大赤字でため息をついていた。
気が付いたら、2014年10月、かねてから、転職を試みていたが、正社員はもはや無理か?というわけで、派遣社員
という働き方で探し、やっと印刷とは無関係の仕事、冷凍倉庫で、食肉の解凍作業を見つけ転職。だがここも、一生懸命
仕事をしていたが、あまりにも手先、指先を酷使するあまり、また、根っからの真面目さが裏目になり、腱鞘炎になり
約9カ月ほどで退社。手先、指先、手首が痛みで使えない。ご飯を食べるのにも激痛で箸を持つこともできない。このま
ま続けると両手が全く使えなくなる可能性が出てきた。このころから、自殺でもできたら楽になれるかなと思いだす。
無収入の状態は、最悪避けねばと思い、片っぱしから、転職できそうな求人情報を当たり始めると、辞める期日前に
何とか次の会社を決めた。
でも、腱鞘炎になった会社で辞める前に、腱鞘炎で両手が使えないので、別の部署に替えてくださいとお願いしたので
すが、フォークリフトの運転ならできますのでとお願いしたのですが、その時には、「あきません」と断られて、2,3日して
から、「OK」と言われましたが、その時には、別の会社に転職OKを頂いていたので、それもこちらの状況をお話し、OK
をもらったので、今更辞めますとも言えず、退社、次に転職。
転職先、やはりだいぶ話が違う。こりゃだめだ。逃げるなら早い方がいい。こうしてここも約1週間くらいで、退社。
2015年5月くらいまでのお話。続きは、次回に。
【(カテゴリなし)の最新記事】
この記事へのコメント