2015年05月22日
Sophie Milman
最近、このブログを書きながら自ら振り返ってみて、ふと気づくことが.....。
今まであまり意識しなかったことなのですが、どうやら自分は女性ボーカルの低く甘い「妖艶」な声に惹かれてしまう傾向にあったようです。
今から10年ほど前に仕事の関係でカナダの文化を調べていたところ、たまたま新人女性ボーカリストの記事を見つけて、ルックスもさることながら記事の内容も気になって音源をさがしてみました。
すると、見事に個人的な好みにヒットするのですね。
以来、注目するボーカリストの一人。
そのアーティストは
Sophie Milman
先ずはデビューアルバムにも収められていた有名なナンバーでエディット・ピアフの曲をライブ版で
2004年にアルバム「Sophie Milman」でデビューを果たします。
アルバム自体はフルカバーアルバムであったのですが、iTune USA JAZZアルバムで当時1位を獲得。ビルボードJazzカテゴリーで14位と世界中から注目されました。
デビューしたころのSophie Milmanはまだ学生だったそうです。
Sophie Milmanはロシアのラウル山脈で生まれ、7歳のときにイスラエルに移住。そして15歳のときにカナダへ移住します。
凄いのはSophie Milmanのご両親。父親はまだ共産主義時代であったロシアのブラックマーケットでJazzアルバムを購入して密かにコレクションにしていました。その影響でSophie Milmanは幼少のころからJazzが身近にある環境でした。
後に共産主義体制の崩壊を受けてすぐにご両親は家族でイスラエルへと移住を決意。ロシアよりも安全でしたが、それでも今度はイスラエルの政情が不安定となりテロなどの危険性を考慮して今度はカナダへと。
カナダで高校に通うSophie Milmanは高校の”ミュージックナイト”というイベントに参加。するとそのイベント担当の先生がSophie Milmanの声を気に入り、ソロで歌うことを薦められてステージへ。
Sophie Milmanは自身が移民であることから、音楽は好きであったが音楽の道へ進もうとは考えてもいませんでした。しかしこうして高校の時に先生から薦められたり、大学に入ってからもJAZZクラブへ通うようになると今度はセッションの誘いが来るように。
話題を呼び自身の名前でJazzクラブでギグを行うようになって数ヶ月,,,今度はレコード会社がSophie Milmanを放ってはおきませんでした。レコード契約の話しが飛び込み、まだ学生でしたが授業の合間にレコーディングを行うように。そしてできたデビュー作が「Sophie Milman」。
幼少のころから父親の影響でJazzを聴くようになったSophie Milmanは、移住した先々でいろいろなものを感じ取り、各国の言葉を学び、ロシア語、ヘブライ語、英語を完璧に話します。
ロシアの古い有名なフォークソングもロシア語で歌い上げSophie Milmanの魅力のひとつとなっています。
今やカナダの歌姫とも言われているSophie Milman。日本にはもうすでに何回も来日しているとのこと。
親日家であることも公言しているようです。
1983年生まれの歌姫はJazzだけにとらわれずシャンソンやボサノバやモータウン、Popsまで幅広く才能を広げています。
また是非日本の地に来て歌声を聴かせてほしいものです。
アルバムも聴いてみてください。Sophie Milmanの魅力がいっぱいつまっています。一押しアーティストです。
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今まであまり意識しなかったことなのですが、どうやら自分は女性ボーカルの低く甘い「妖艶」な声に惹かれてしまう傾向にあったようです。
今から10年ほど前に仕事の関係でカナダの文化を調べていたところ、たまたま新人女性ボーカリストの記事を見つけて、ルックスもさることながら記事の内容も気になって音源をさがしてみました。
すると、見事に個人的な好みにヒットするのですね。
以来、注目するボーカリストの一人。
そのアーティストは
Sophie Milman
先ずはデビューアルバムにも収められていた有名なナンバーでエディット・ピアフの曲をライブ版で
2004年にアルバム「Sophie Milman」でデビューを果たします。
アルバム自体はフルカバーアルバムであったのですが、iTune USA JAZZアルバムで当時1位を獲得。ビルボードJazzカテゴリーで14位と世界中から注目されました。
デビューしたころのSophie Milmanはまだ学生だったそうです。
Sophie Milmanはロシアのラウル山脈で生まれ、7歳のときにイスラエルに移住。そして15歳のときにカナダへ移住します。
凄いのはSophie Milmanのご両親。父親はまだ共産主義時代であったロシアのブラックマーケットでJazzアルバムを購入して密かにコレクションにしていました。その影響でSophie Milmanは幼少のころからJazzが身近にある環境でした。
後に共産主義体制の崩壊を受けてすぐにご両親は家族でイスラエルへと移住を決意。ロシアよりも安全でしたが、それでも今度はイスラエルの政情が不安定となりテロなどの危険性を考慮して今度はカナダへと。
カナダで高校に通うSophie Milmanは高校の”ミュージックナイト”というイベントに参加。するとそのイベント担当の先生がSophie Milmanの声を気に入り、ソロで歌うことを薦められてステージへ。
Sophie Milmanは自身が移民であることから、音楽は好きであったが音楽の道へ進もうとは考えてもいませんでした。しかしこうして高校の時に先生から薦められたり、大学に入ってからもJAZZクラブへ通うようになると今度はセッションの誘いが来るように。
話題を呼び自身の名前でJazzクラブでギグを行うようになって数ヶ月,,,今度はレコード会社がSophie Milmanを放ってはおきませんでした。レコード契約の話しが飛び込み、まだ学生でしたが授業の合間にレコーディングを行うように。そしてできたデビュー作が「Sophie Milman」。
幼少のころから父親の影響でJazzを聴くようになったSophie Milmanは、移住した先々でいろいろなものを感じ取り、各国の言葉を学び、ロシア語、ヘブライ語、英語を完璧に話します。
ロシアの古い有名なフォークソングもロシア語で歌い上げSophie Milmanの魅力のひとつとなっています。
今やカナダの歌姫とも言われているSophie Milman。日本にはもうすでに何回も来日しているとのこと。
親日家であることも公言しているようです。
1983年生まれの歌姫はJazzだけにとらわれずシャンソンやボサノバやモータウン、Popsまで幅広く才能を広げています。
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