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2013年12月29日

尖閣諸島、竹島

蛍の光、窓の雪、ふみ読む月日、重ねつつ、いつしか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く


止まるも行くも、限りとて、かたみに思う、ちよろづの、心のはしを、一言に、さきくとばかり、歌うなり。


筑紫の極み、陸の奥、海山遠く、隔つとも、その真心は、隔てなく、ひとつに尽くせ、国のため。


千島の奥も、沖縄も、八州(やしま)の内の、守りなり、いたらん国に、勲しく、努めよ我が背、つつがなく。





一番は、明けて今朝、国を護るために夫は別れていくと歌っているのです。


二番は、故郷にとどまる妻も、国境の護りに旅立つ夫も、今日を限りとして別れていく。


だからかたみも心の端に、どうぞご無事でと一心に歌うのです。



三番は、ここからが具体的な領土防衛の歌詞です。


筑紫の果ても、陸奥の果ても、祖国防衛のために赴く夫とは海や山も遠くに隔てるが、真心は隔てることなく、どうぞお国のために尽くして下さい、と妻が歌うものです。


四番は、明治になってからの領土である千島も沖縄も八州(日本)の内の守りであり、どうぞこれから向かうところで功を立て、ご無事で任務を全うして下さい、と妻が祈っているのです。



ここでいう明治になってからの領土とは、1875年の千島樺太交換条約により日本は千島列島、ロシアは樺太であるという条約を交わしたことによります。
1894年、日清戦争が起き、その最中に閣議決定して尖閣諸島を日本の領土に編入しました。
清国も尖閣を日本領としていました。
1970年以前のシナの地図は尖閣を日本領と明記しています。


しかし今、シナ共産党はそれを隠すために古い地図を買い漁り、「そんな事実はない。日本が日清戦争の時に奪った」と言うのです。

1895年、下関条約により台湾や澎湖島が我が国となりました。
これにより「蛍の光」の四番は、「千島の奥も台湾も、八州の内の守りなり」
と変更するのです。


1904年、日露戦争が起き、その最中に閣議決定して竹島を島根県に編入しました。
これは国際法の「無主地先占」の法理に基づいて合法的に編入したのです。

1905年、日露戦争に勝利した日本はポーツマス条約でロシアから南樺太を譲り受けます。


これにより「蛍の光」の四番は、
「台湾の果ても樺太も、八州の内の守りなり」
となるのです。
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もんきー
夢を見て生きて行きたい。 私の実体験や趣味、面白かった事などを適当に書きたい。 明るい未来を信じる。
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