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2019年10月20日


牢屋に戻り、背広を脱いでネクタイを外し、布団に寝転がる。

和風に作られたこの部屋には、卓袱台や布団といった、寝泊りするのに必要最低限の物だけが備えられている。

それだけでも――窓が無いことを除けば、ここは案外快適な空間だ。

滅多に使われることは無いだろうが、掃除もキチンとしてあり、意外なほど清潔感に溢れている。

私は天井を見上げたまま、ズボンからペーパーナイフを取り出し、目の前に掲げる。

こんなものでも、人の命を奪うには十分なものだろう。

これが武器だ。

私の武器。

これで、大切なものを守るのだ。

これで…これさえあれば――

「汐崎部長?」

突然声を掛けられ、私は布団から起き上がる。

私「…本部長」

いつの間にか、部屋の入口に高城本部長が立っている。

私は慌てて、ナイフをズボンのポケットに仕舞う。

高城「ノックしたのですけど…もう、お休みでした?」

私「いえ、ちょっと考え事を…」

高城「…そう」

本部長はそう言うと、靴を脱ぎ、部屋に上がってくる。

何気ない仕草。

しかし私はそこに、いつもとは違う色気を感じてしまう。

しなやかに伸びた足――今日は網状ではなく、普通のストッキングを履いているその足も、やけに魅惑的に見える。

私はそこに見惚れそうになるのを抑えながら、彼女に座布団を勧め、お茶を淹れる。

高城「具合はどう?」

私「具合…?至って健康ですよ」

高城「そう。良かった」

ここにきて、まだ1日目が終わったところだ。

それだけで健康を崩すわけも無い。

…少なくとも、身体の面での健康は。

私「…どうぞ」

彼女の前にお茶を出す。

高城「ありがとう」

そう言って、素直にお茶に口をつける本部長。

…何とも無防備なものだ。

自分のしたことを、何とも思っていないのだろうか?脅迫し、殴りつけ、気を失わせて連れてきた相手に対して、この警戒心の無さは…?3/11…おそらく、私のことを舐めているのだろう。

何もせず、ただ従うだけだと思っているのだろう。

どうせ、何もできやしないと…。

そもそも…この状況は何だ?私はこれでも男だ。

そして彼女は1人の女性。

それもかなりの美人で、魅力的だ。

それに加え、挑発的な…誘っているかのような格好、仕草をしている。

奥まった場所にある部屋。

窓の無い密室。

定時も過ぎ、他に人が来るとは思えない時間。

そして、私の後ろには布団があって…こんな状況で、危険を感じないのだろうか?敵対している相手を目の前にして、平然とお茶を飲んでいるが…何も考えていないのか?…いや、考えているだろう。

ただ、私を男として”下”に見ているのだろう。

4/11私は、女性に乱暴しようとは思わない。

娘がいる身としては、尚更だ。

…しかしそれにしたって、私は男なのだ。

彼女だって、自分の魅力は知っているはずで、普通の男がそれを見て何を考えるか何て――

高城「汐崎さんでも…」

私「…はい?」

不意に声を掛けられる。

高城「そういう目をするのね」

目…?今、私はどんな目をしていた?

高城「初めてじゃないかしら?私のこと…そういう目で見てくれるの」

私「…」

…あぁ、そういうことか。

そんな目をしていたか、私は。

それはそうだ。

当たり前だろう。

よからぬ事も考えてしまうさ。

だが、はっきりと言っておこう。

私「すみません。

…でも、ちょっと違いますよ」

高城「違う?」

私「えぇ。

私は、あなたを憎んでいるだけです」

高城「…」

言った。

私は、言った。

心の中に、黒いものが渦巻く。

彼女は敵だ。

決して信用のできない、敵だ。

高城「そう…」

本部長の顔が曇る。

一瞬だけの、悲しげな顔。

以前にもそんな表情を見た気がする…?いや、もうどうでもいい事だ。

私「私は、見張られていたのでしょうね」

高城「…そうね」

私があの学生…神尾美加と会ったことは、すぐに往来会に知れた。

その理由は、簡単なことだ。

私は見張られていたのだ。

要注意人物として。

私「上の人間に、私について報告したのでしょうね」

高城「えぇ…」

これは当然だ。

本部長の立場上、当然しなければならないことで、そこは責めてはいけない。

…と、頭では分かっているつもりだが…!

私「相談なんてしなければ良かった…」

高城「…」

あれさえ…あんなことさえしなければ、こんな事態にはならなかったのだ。

あそこから狂ってしまったのだ。

どこにもぶつけようの無かった怒りが、フツフツと湧いてくる。

私「何故…」

私は立ち上がり、座ったままの彼女を見下ろす。

本部長が嫌う行為だとは知っているが、あえて、だ。

私「何故報告を?あなたに、何の得が!?」

私はポケットに手を入れ――ナイフを握り締める。

高城「…」

本部長は何も言わず、俯いている。

黒いものが…心が、染まっていく…

私「なぜですか!?」

言いながら、私は本部長の傍に歩み寄る。

そして俯いて座ったままの彼女の横に立ち、その首筋を見つめ、”狙い”を定める。

突如として高まってきた激情は、抑えられそうにもない…!

私「本部長…何か、言ってください…」

ジッと彼女を見下ろしながら、呟く。

そして返事を待つ。

…私は返事と同時に、彼女の首にナイフを突き立てるつもりだ。

どんな言い訳をしようと、本部長のしたことは…許せない…

私「本部…」

高城「食事はしたの?」

私「…は?」

何?食事?

高城「キチンと食べるように、って…真奈美ちゃんからの伝言よ」

私「真奈美…?」

なぜここで、真奈美の……と思っていると、本部長がスッと立ち上がる。

高城「報告したのは、義務だからよ」

私「義務って…」

義務?それくらい、分かっている。

分かっているが、私達はそれで…

高城「…後悔しているわ。ごめんなさい」

そう言って、本部長は深々と頭を下げる。

予想もしなかった事を言われ、真奈美の名前を出され、開き直られて、謝られて…私は少し混乱してしまう。

私「いや、そんな…」

高城「私の用事はそれだけよ…」

本部長はそう言うと踵を返し、部屋を出て行こうとする。

私「あ…謝られたって、この状況は…!」

高城「私を殺しても、変わらないわよ」

私「…」

高城「他の人でも、そう。それじゃ、悪いようにしかならないわ」

私「そんなこと…」

…そんなことは、分かっている。

分かっているのだ。

でも、私は他に何をすればいい?こんなところに閉じ込められて、何ができる?どうやって娘を守れる?真奈美を、どうやって…靴を履き、部屋を出て行こうとする本部長を見ながら、私は苦悶する。

…と、そんな私に、彼女が言った。

高城「真奈美ちゃんは、私が守るから…」

…何?

高城「約束するわ」

何を言っているのだ…?

私「…それを信じろと?」

連れ去ろうとしていた人間が、今更何を?私の家で、お前たちが何をしたのか…しようとしたのか。

真奈美を連れ去ることは止めたらしいが、そんな簡単に言われて、はい、お願いしますと言うとでも思ったのか?…それとも、これは脅迫か?以前にも真奈美のことで脅されたが、そういうことなのか?娘はこちらの手の内にあると、そう言いたいのか…?

高城「信じなくても良いわ」

そう言って扉を開ける本部長。

私「…」

高城「私が勝手に、そうするだけだから…」

最後にそう言い残し、彼女は部屋を出て行った。

…本部長が部屋を出て行ってからも、私はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。

意図が分からない。

本部長は、いったい何を考えているのだろう…。

なんだかまた、心にポッカリと穴が開いたような感じがする。

先ほどまでそこにあった、黒く渦巻いていたものは、すでに消えている。

まるで、そこから抜け落ちていったかのように…。

「汐崎さんのこと、心配してくれたんですよ。きっと」

神尾美加の言っていた言葉が思い出される。

私だって、そう思ったさ。

しかし、そう思って話をしようと思った矢先…私は殴られ、ここに連れてこられたのだ。

そりゃ、手を出したのは藤木だが…本部長も一緒だったのだ。

そこもまた、良いほうに考えるべきなのか?あれは何か…事情があったと?11/11神尾美加なら、きっとそうも考えるのだろう。

でも私は…私だ。

娘のいる身で、そこにも被害が及ぼうとしているのだ。

良いようにだけなんて、考えられない。

最悪のケースも考えていないといけない。

だが、もし――?…か。

ハァ…と、ため息を付くと、私はポケットからナイフを取り出す。

何だろうな、これは。

武器?何のための?何の役に立つ?これが何を生む?私はナイフを持って、強くなったとでも思ったのか?くだらない…!私は部屋の隅にそれを投げ捨てる。

もっとちゃんと…感情的にならず、落ち着いて考えなければ。

ここからどうすれば、この事態に収拾をつけられるかを…。

posted by 都市伝説のまとめ at 18:00 | 怖い
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