*介護職の思い出〜 夜勤@ 就寝介助、巡回、質の悪い入居者の話
◆起床介助
質が悪く介護度の高い身体介助を必要とする入居者が大半を占めるグループホームでの起床介助。早番、日勤に迷惑を掛けないよう時間内に終わらせる必要があったので一番大変な作業だった。横になって休んでも徘徊者やトイレに起きてくる者の誘導、見守りなどで眠ることはほとんどないまま朝を迎える日々であった。
自立した入居者の隣ユニットは6時過ぎてから起床介助を始めていたが、自分のユニットは5時の巡回時から起床介助に入らないと作業が間に合わない。まず身体介助を必要とする入居者の中で大人しい人達から介助していく。オムツを取って清拭してリハパン+パッドに交換しながら更衣介助する。まだ時間が早く起こしてしまうのは可哀想なので、その人達は臥床させておく(当時の俺は入居者に対して優しさがあった)
肛門が緩く常時パッドに便が付いている婆さんを起こしに行く。この人は手引きにて歩けるのだが時間短縮のため車椅子でトイレに誘導し便まみれのパッド+オムツを交換、清拭を終える。車椅子に再び移乗してもらってホールに誘導するわけだが、介助中に機嫌が悪くなった場合は断固として立とうとしない。
一人に時間を掛ける暇もないので便器に座らせておいて次の人に取り掛かりながらこの人の様子を伺って立位する気配を感じたら急いでこの人の介助に戻る。厄介なことにこの人は便いじりをすることが多く爪の間まで手を洗わなくてはならない。この手の人達はなぜか手を洗われるのを嫌がることが多い傾向にあるので苦労した。
あの暴力爺さんは幸いなことに朝は大人しく素直であったが、完全覚醒すると厄介なことになるので迅速に介助を行う。
【入居者に身体介護と雑用を手伝ってもらう】
前の記事に書いたが帰宅願望があり、一晩中寝ないで俺に付きまとってくる婆さんを利用した。この婆さんが「徹夜モード」時の起床介助は各居室の布団畳みと雑用をしてもらった。これだけでも助かるが、足首が曲がったままで歩行不可能な婆さんはオムツを拒否するのでトイレに連れていかなくてはならない状態だった。
この人を持ち上げてリハパン+パッド、ズボンを上げるまでの介助は時間が掛かり一苦労するのだが、自分が持ち上げている間にパッド装着とズボンを上げるまでの介助を、この徹夜つきまとい婆さんに手伝ってもらっていた思い出。
ラスボス的な暴力婆さんも居て慣れるまではかなり苦労した記憶がある。この人は中々起きようとしないのでまず布団を無理矢理はがして覚醒させておき、他の入居者の介助をしながら様子を伺う。いけそうだと思ったら車椅子に移乗させトイレ誘導するわけだが油断していると顔面に手が飛んでくる。眼鏡を割られた人も何人かいた。警戒しながら移乗させトイレ介助+パッド交換するも、いつ機嫌が悪くなるか分からないので迅速丁寧に介助する。
全員を起床させた後はその日に行う入居者のシーツなどを洗濯機にかけるが、場合によっては尿失禁のシーツも増えるし、便失禁の場合は服や汚染ラバーシーツを手洗いしてから洗濯機に入れないと汚れが落ちてくれない。
後は自立している入居者に起床の声掛け、最初に更衣等を済まして臥床させておいた大人しい入居者を車椅子でホールに誘導して終わりだが、その人達が再失禁していることもありため息が出た。
全員を起したら蒸しタオルで顔拭きをしてもらい朝食時間となる。食事介助が必要な2人をテーブルの両側に座らせて同時進行で介助しながら一方で介護記録を書き始めていた。そうこうしているうちに早番が出勤してくる。食事を終えると薬を飲ませて口腔ケア、バイタルチェック。
後は入居者の見守りをしながら申し送りが始まるまでに介護記録を書きまとめる。俺は人前で話すのが極度に苦手なので介護記録を書いた後、別の紙に一人ずつ要点をまとめてからでないと申し送りでうまく話すことができなかった。
申し送りを終えると全員でユニットの掃除をして9時に終業となる。何らかの事故やハプニングがない限りは時間通り帰れる仕事だった。
この当時働いていたグループホームは身体介護者、質の悪い入居者大半、それに加え末期癌患者が入所してきたりと苦労させられたが、本来グループホームというのは軽度認知症高齢者の共同生活の場であるはずなので他施設であれば夜勤はそれほど大変ではないと思われる。
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