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2019年01月28日

パン工場で働いていた時の話A

パン工場で働いていた時の話@はこちら

そこそこ楽な食パン製造の最終工程で働く毎日だったが、なぜか前工程へ応援に行かされることが増えてきた。その仕事とは「焼き」の工程から出てきた食パンを金型から外す自動機がある場所での作業だった。自動化はされているもののパンが金型にくっついて離れないケースが度々ある。

これを手動で外しつつ空になった金型をコンベアに載せ生地を作っている上の階に返していく作業だった。「焼き工程」から出てきた金型は熱く素手では触れないため、軍手を二重はめて金型にくっついたパンをひっくり返し手動で外す作業は力が要るし部屋も暑く1日作業するのは苦痛だった。

◆さらに過酷な環境に異動させられる
食パン製造の最終工程と焼き工程を行き来する毎日だったが「食パンの発酵工程」に異動となった。作業内容は上の階からコンベアで降りてきた生地入りの金型をキャスター付きのラックに載せていく。満載(何個なのかは記憶にない)になった重たいラックを発酵室へ運び入れていくのだが、劣化しているキャスターが意図しない方向に動くので力が要る作業だった。

蒸し暑い環境下での作業、パン工場で働いていた時の話@で「隣の工程から来て自分の後ろにあるウォータークーラーまで独語を発しながら頻繁に水分補給しに来る人が居て、、、」と書いたが、俺はその人の後釜になったようで、彼と同じく暑さで喉が渇き暇さえあればウォータークーラーまで行って水分補給していた。

窓もない独房のようなスペースでの作業。。。この工程も残業3時間程度は当たり前で、作業に慣れるまでは食欲もないほど疲労して帰宅する毎日、人とはほぼ関わらない一人作業なので気は楽でもあったが。。。

天井からぶら下がっているスポットクーラーからなるべく離れない、無駄な動きをしない等の工夫をして体力消耗を抑えることに努めてからは日々の疲労は軽減されたが、キツい単純作業に嫌気が差してきた。

◆計算能力が必要な作業
食パン製造の最終工程では余りが出て、それを明日の出荷分にまわすため数を計算して記録する必要がある。例えば12個入りの箱だと、12×7+4とかいった計算を1つの種類が終わる度に片づけながら行う必要がある。

発酵の工程でも予定製造数に達したら上の階に知らせて止めてもらうため掛け算が必要だった。ここでは2桁×2桁の計算があったので少し離れた場所に計算表が貼ってあった。だがそこまで度々見に行くのは面倒だったのでミニ電卓を持参してポケットに入れていた。

◆その他
作業着は食品工場独特の目部分しか見えないものであり、一緒に作業している人の顔さえまともに見たことがなかった。頭髪が落下しないように被るヘアネットがゴソゴソと耳に当たるのが気持ち悪く不快でたまらなかった。

作業上、流れを止めることはできないためトイレが近い人間は苦労するだろう。腹痛が起き我慢できなかった時は隣の班の人に代わりを頼まなくてはならなかった。

◆まとめ(個人的感想)
キツい単純作業で頭がおかしくなりそうな毎日に耐えられなくなったのと、うるさい親との同居に嫌気が差して1年ほどでこのパン工場を退職した。残業代を含めると20万近く(繁忙期は20万超え)の手取りは貰っていたが、800円という安い時給+長時間労働によるものであった。

最初の配属先で働き続けていれば印象は違っていたかもしれんが、長時間+重労働+単純作業であり二度と働きたくない職場の1つとして記憶に残っている。人間関係の方は作業中に人と関わらない環境に居たことが多かったこともあり、嫌な人と関わることは全くなかった。
posted by ゲーリー at 09:00 | 仕事の話
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