2015年05月25日
まずはフツーをきわめなさい
「まずはフツーをきわめなさい」
伊達直太+人生戦略会議
伊達直太+人生戦略会議
この本の基本的スタンスは、
「異常な世の中で生きていくには、フツーであること(なんでもフツーにできること)が必要だ」
というものです。だから、僕が持っている基本的な人生哲学とは、相容れない部分があります。
「安部礼司」というきわめて平均的なサラリーマン役をやっていながら、なんなんですが、僕は、
この世界が「異常」だとも、「フツー」でなければならない、とも思ってはいません。
本の紹介もしつつ、そのことについて書いていきたいと思います。
フツーからのズレ=異常なのか?
この本についていうと、統計上の平均値を参照し、そこから外れていながら、「ま、この辺がフツーでしょ。」と思い込んでいる人に対して、
「それ、フツーがずれちゃってますよ!」「本当は案外こういうのが、フツーです。」
ということを並べてあるのだけど、
正直に言って、まず、「全てにおいてフツー」である人。なんているのだろうか?
仕事、家庭、お金、趣味、健康、生活といったテーマでいろんな統計が出てくるけど、その全てにおいてフツーを「目指す」のがよりよい。
と言われてしまうと、僕は非常に息苦しい。
息苦しいのは、この本が常に「フツーと比べる」のが目的だからです。
どんな人でも、平均値に近い部分もあれば、突出して高い、あるいは低い部分があるのが当たり前です。それは決して必ずしも「ダメな」部分ではないはずですね。
むしろ、そのはみ出した部分にこそ、その人の面白味というのはあるんじゃないでしょうか。
変わりゆく味の世界で
裏を返せば、僕が、この世界を「異常」だと思わないのも、ほとんど同じ理由です。
今のこの世界は、「異常」でも何でもなくて、常に今「こんな味」の世界というだけです。その「味」も無常に移り変わっていく。
そして、変わりゆく味の世の中で、普段は、なんの変哲もないように見えるフツーのサラリーマンが魅力的に見えるのは、フツーだなぁ。という安心感をベースにしつつも、
フツーから外に飛び出したり、飛び出そうと必死になってみた時じゃないでしょうか
「おんなじだ!」と、安心するためだけの存在であったなら、「安部礼司」という番組が10年も続くはずがない。
というのが、僕の個人的な見解ですね。
僕のものの見方は、すべての人が、ある部分では「フツー」であり、ある部分では「異常」である。全員がフツーでもあり、異常でもある。そんな異常な人たち(あるいはフツーの人たち)がより集まってできているこの世界が、
世界のフツーの状態です!
だから、比べなくても、いいんだよ。
以上!(異常!)
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