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2016年12月12日
電車内のスマホのマナーを考える
まじめな長文
今日、マナーとは何だろうと思った事がありましたので「ブログ」として残そうと思います。これを見て皆様もマナーについて考えてみてください。
今日電車の中で、スマホと口を大きく隠しながら、スーツを着たサラリーマン風の方からこんな声が聞こえました。
「はい!分かりました。産まれるんですね」
「ええ!!ええ!!分かりました。会社には連絡して病院に向かいます」
これを聞いて皆様は何を連想しますか?
わたくしは、奥さんの病院から子供が産まれそうと連絡が来たんだなと思い、少なからず「間に合うといいですね」くらいに思いました。
ですが、その後すぐに
「こら!!マナー違反だろ!!電話をすぐに切れ!!」
「これだから小僧は、マナーが悪い」と大声で捲くし立てるおじさんがいました。
わたくしは、その声に驚きを隠せませんでした。確かに【電車の中で携帯でしゃべる】事についてはマナー違反をしていますが、【車内で大声を出す】もマナー違反です。大声で怒鳴るおじさんが、モラルの低下やマナー違反を嘆く事に驚きです。
自分をモラルの低下やマナー違反の被害者であるとは考えても、その元凶、加害者になっているとは考えられない人だからこそ驚きです。
要するに、マナーやモラルを「他人が異質」かどうかで観察しているのです。
【12/13追記】
「異質」とは性質の違うさま・・・まさにその他大勢では無いと言う事ですよね。
そもそも「マナー」とは、「態度」「礼儀作法」です。そして「モラル」は、「道徳」「倫理」「社会への精神的態度」です。その囲いの中で、自身が所属する大勢と同じでないと「異質」としてしまっているのです。
※「異質についても詳しく書いてほしいとのご意見を賜りました。」
まめちよ様ありがとうございます。
少しお話が逸れますが、最近「ヌーハラ」という言葉があります。
外国人の方へ「らーめんの行列に並ぶマナーが悪い」と言ってる様な人に限って、【ズルズル、ズルズル】と音を立てて吸います。外国人の方から見れば食べ方の不快、マナーが悪いと思われている事も知らずにです。
決して、【ズルズル】が悪いと言うことではありません。わたくしは【ズルズル】っと食べます。
あくまでこれも、マナーやモラルを「他人が異質」かどうかで観察している結果だと言う事です。
お話を戻しますね。
昔は電車の中で
「タバコ」が吸えました。
「つり革」にぶら下がってる子供がいました。
「工事現場のあと」の様な泥がたくさん付いてるおじさんがいました。
今タバコ吸いますか??
そうです。日本人のマナーはかなり向上しているのです。
携帯電話や、少子化による通勤者の増加で昭和の時代に予測できない事へも対処を行い時間をかけながらではありますが、マナーは確実に向上しています。
となると、よっぽど問題なのは、「日本は昭和の寛容、寛大な心」をマナー向上の名の下に捨て、個人だけでなく、社会の許容量や包容力が減った部分だと思います。
ベビーカーを押している母親、不安で泣いてしまう赤ちゃん、化粧をする女性、酔ってお酒のにおいがするおじさん、大きな風呂敷を抱えるおばあちゃんを「邪魔者扱い」しマナーの名の下、排除しようとしている社会の許容量や包容力が問題なのだ。
大人も子供も他人に迷惑をかけない様にする事を大事にしてきた世代です。
ただし、同じ枠に入らない人を「異質」とした世代なのかもしれません。
そしてその「異質」への嫌悪感を大きく出すクレーマーへ配慮されたマナーになりつつあると言う事も大問題です。
これは、世間がクレーマーにコントロールされているということでもある。
どうしてもの緊急の電話をするサラリーマン、ベビーカーを押している母親、不安で泣いてしまう赤ちゃんへ「マナーの名を借り、反論出来なくさせた弱者へ、高圧的な態度で怒鳴り散らすクレーマー」こそが卑怯で人間としてマナー違反ではないでしょうか?
本来「様々な人」が乗るのが公共機関であるのだから、「様々」には「様々な事情」も含む事を理解し、そこに日本人の美徳である「寛容、寛大な心」を持って接するのが本当のマナーではないのかなと思います。
話を冒頭に・・・
おじさんは、「こら!!マナー違反だろ!!電話をすぐに切れ!!」「これだから小僧は、マナーが悪い」では無く「あ、子供が産まれるんだな。頑張れよ!!」くらいの心を持って、人生の先輩として接してほしいものです。
皆様は、その他大勢でない「異質」を排除する事だけに一生懸命になりますか?
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2016年11月18日
スマホの在る世界と無い世界。
スマホを考える
2008年 iPhone 3GSが発売してから、スマートフォンのちからでこの10年大きく世界は変わりました。
それまでは、電話やメールで[個人]-[個人]を繋いでいたものが[個人]-[世界]を繋ぐツールになったからです。
それは、多くの情報と利便性を手にした事と一緒なのですが、変わりに多くの物を失ったり抱え込んだりする事になりました。
たとえば、
昔は、電車乗るにも[どこ経由][何駅には何線]を考え、時間は[実際に足を運び時刻表]で確認していた。
今は、その場でスマホを見れば[どこのドアから降りる]ことまで教えてくれる。
昔は、家の電話番号や住所、恋人の電話番号や住所は記憶して覚えていた。
今は、電話帳に記載しておけばスマホに話しかけて電話をしてくれ、勝手に行き方さえ教えてくれる。
昔は、何かを学ぶ際、本を読んで調べ先生、先輩に教えを乞うて頭にたたきこんでいた。
今は、特に覚えておかなくても、思い出したい時にスマホが要点をまとめて教えてくれる。
昔は、電車乗るにも[どこ経由][何駅には何線]を考え、時間は[実際に足を運び時刻表]で確認していた。
今は、その場でスマホを見れば[どこのドアから降りる]ことまで教えてくれる。
昔は、家の電話番号や住所、恋人の電話番号や住所は記憶して覚えていた。
今は、電話帳に記載しておけばスマホに話しかけて電話をしてくれ、勝手に行き方さえ教えてくれる。
昔は、何かを学ぶ際、本を読んで調べ先生、先輩に教えを乞うて頭にたたきこんでいた。
今は、特に覚えておかなくても、思い出したい時にスマホが要点をまとめて教えてくれる。
これは多くの情報を得る機会を手にしたかわりに、脳を使うことを失ってしまったのです。
これは、人間の生き方に機械が入りきった事になります。
何ごとも世の中に無かったものが世に出回り[流行り]始めるとバッシングはあるものです。
最近では[ポケモンGO]はそれにあたいします。
どこの自動車事故も何かとタイトルに[ポケモンユーザー]や[ポケモン使用中]と載るようになりましたし[歩きスマホ]も前から言われていたのにもかかわらず。[あるきながらのスマホゲームは・・・]などとスーパーでアナウンスされるようになりました。
これは一種の吊るし上げであり。。。。あ・・・話がそれましたね。
そういった類の批判を申し上げるつもりはありません。
旧態依然の世の中に繁栄は無いと思うからです。
ですが、ひとりひとりの生活の一部となっているスマホがもし無くなってしまったらこの先、生きていけるのでしょうか?
わたくしの世代はポケベル→PHS→ガラケー→スマホと時代を生きてきているので、少なからず、不便な時代を生きてきています。
わたくしよりも上の世代は駅の黒板に時間と待ち合わせ場所に名前を書いていたのです。
(有名?なのはマンガ:シティーハンターより[XYZと駅の黒板に書くと主人公が助けに来てくれる])
今考えると個人情報も何もあったものではありませんが、そこには風情があったのだと思います。
恋人に電話をかけるにも相手の親が出ないか気になり、二人の時間を決めたり、何コールで一回切るみたいな暗号を決めたり、なかなかかけられないもどかしさがありました。そこに人間の知恵がありました。
個人情報に関しては。昔は、卒業文集に各個人の住所が載せていた学校もありましたし、誰かと話す時も自身の[生年月日・住所・電話番号・出身校・職場]などの話題も出していたことでしょう。
今では、一瞬自分から出た情報はもう守り様もありません。それは同時に他人を疑う事でもあり疑心暗鬼を常に抱え込む事でもあります。
知らない番号からかかってきたらその番号が信用できるかできないかをまず考えるのです。
恋人とのメールの1文でさえ、【別れたときに残ったら・・・】と考える様になってしまいます。
相手への純粋な気持ちを綴り、自身の言葉の代わりをしてくれるものでさえ、その後残って消えない可能性を秘めている。だから文章をあたりさわりの無いものにしよう思うと情緒も風情もあったもんじゃありません。
多くの情報と利便性を手にした今、そろそろ失っている物の多さも数えなくてはならない時期なのかも知れません。