感動できる実話
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エルトゥールル号遭難事件とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。(Wikipediaより)
樫野崎灯台下に流れ着いた生存者が数十メートルの断崖を這い登って灯台守に遭難を知らせ、灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。
この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの救護に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた。(Wikipediaより)
この話は一時期TVでも紹介されていたので、ご存知の方も多いと思います。この話には続きがありまして、以下に続きます。それから95年後…
1985年当時、イラクはイラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言を行った。各国は期限までにイラン在住の国民を軍用機や旅客機で救出したものの、日本は自衛隊の海外派遣不可の原則のために自衛隊機による救援が出来なかったうえ、日本航空はイランとイラクによる航行安全の保証がされない限り臨時便は出さないとし、在イラン邦人は危機的状況に陥った。(Wikipediaより)
野村豊イラン駐在大使がトルコのビルレル駐在大使に窮状を訴えたところ、ビルレル大使は
「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」
と答え、大使の要請を受けてトルコ航空は自国民救援のための最終便を2機に増やしてくれたので、215名の日本人はこれに分乗し、期限ぎりぎりで危機を脱することができ、全員、トルコ経由で無事に帰国できたのである。(Wikipediaより)
エルトゥールル号遭難事件の時に、遭難したトルコ人を日本人が助けたことを覚えていてくれて、イラン・イラク戦争の時には、危機に陥った日本人をトルコ人が助けてくれたという…とても感動できる話です。いい話ですよね〜^^国同士の外交は難しいことも多いですが、やっぱり友好関係にある方がうれしいですよね
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