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うさぎさん
小さな貸農園で無農薬の野菜を栽培しています。 畑にいるときはいつも、ルンルンです。
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2014年08月19日
静岡空襲があった日 続き
高子おばあちゃんの話

その夜も父はいなかった。

少なくとも私たちが安倍川に逃げるときはいなかった。


母は子供達四人を連れて逃げるのに手間取っていた。


近所の人たちはもう誰も家にはいなかった。

私たちがあるいているとき、一緒に歩いている人はあまりいなかった。

空から、赤い火がひらひらと舞い降りてきた、あとからあとから舞い降りてきた。

とてもきれいだと、思った。


空襲警報をあんなに恐ろしく思ったのに、その日は何も怖くなかった。

どうしてだったのだろう?


もうみんな安倍川の河川敷に逃げていってしまった。

そこが、一番安全な避難場所だと多くの人は考えたのだと思う。


とかろが、アメリカの戦闘機は安倍川に逃げた人たちを爆撃した。


安倍川で、とても多くの人々が亡くなったのだ。

桑畑に座っていた人たちの多くはけがをしていたか、死んでいたのだ。


後から聞いた。


私たち親子は、逃げるのが遅くなったため、難を逃れたのだと後から聞いた。


近所のおばさんは一人暮らしだった。

早く支度して、みんなより早々と非難した。

そのおばさんが、亡くなったとあとから知った。


朝になって家に戻ると家に中にたくさんの荷物が放り込んであった。


父は正直で、とても親切な人だった。

たくさんの荷物を持って非難した人たちが逃げるのに大変になり、

私たちの家に預けて行ったものだった。


あの日の事を大人になった今も思い出す。


戦争は二度と経験したくない。

あの悲しく、苦しい経験をかわいらしい若者たちに味わってほしくない。


今の日本は本当に平和だと思う。







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