2015年06月01日
インドの旅98
デニスと美味しい夕食も終わり、街中をブラブラしながら宿へと戻った。彼の英語はインド人独特の訛りはなく、はっきりした綺麗な英語だった。彼の両親はアーメダバードに住んでいるが、昔にイギリスに住んでいた事もあってイギリス英語になったようだ。部屋に戻ると、欧米人が戻ってきており4人で話をする事になった。欧米人の2人は、フランス人で英語も流暢に話す。先日までゴアにいたらしくモンスーンが来ているので、ムンバイのあとはデリーに行って飛行機でバンコクを目指すらしい。2人共180p以上の身長があり、自分達は173pほどなので、やたらデカく見えるが、とても優しくて一緒にいる時は果物を買ってきたりして、それを分けてくれた。フランス人の1人が自分に何故、旅をしているのか?と話掛けてきたので、世界を見たいと言うのも恥ずかしく「いい女を探している。」と言うと室内が爆笑になり、カッコいいね!と言われた。勿論、ジョークで言った事なので受けなかったら、どうしよう。。。とは思ったが、かなり受けたようだ。フランス人が、どの国の女が一番だった?と聞いてきたので「やっぱり日本人かな。自分が日本人だからね。」と話すと、なぜかフランス人は「それは分かる。」と言われた。このフランス人は日本人の彼女がいるらしくて、写真を見せてきた。確かに可愛い。話を聞くと、フランスに留学している日本人でホームステイで、その彼の家庭に住んでいたらしく付き合う事になったと言う。もう、彼の親公認みたいだ。今は日本に帰って、就職してしまっているらしく、彼が東京に行く予定らしい。東京に行った際は、自分にも連絡をくれと言って紙に住所・名前・電話番号を書いて渡した。彼が「Chiba?」と読んで、東京じゃないのか?と言われたので、千葉と東京は隣接していて千葉に飛行場があると説明したら、じゃあ!運転手お願いね!とジョークを言ってきた。その夜は4人で盛り上がり、気が付いたら時計が次の日になっていた。
2015年05月29日
インドの旅97
部屋で休息を取っていると、デニスが仕事から戻ってきた。欧米人の2人は、まだ戻って来てはいなかったので部屋でゆっくりと話をする事が出来た。彼はアーメダバードの出身で、このタージマハールホテルのインターンが終わったらアーメダバードに戻って仕事をするらしいが、将来は海外に移住するつもりだと言っていた。インドはイギリスに支配されていた過去があるので、今もイギリスとは関係が深く、移住するのが比較的簡単に出来るのでロンドンに住みたいらしい。デニスは自分と違い、将来のビジョンがしっかりしていてインド人のしつこさがなく話していて楽しい気分にさせられる。彼に、金持ちなんでしょ?と聞いてみたが、否定はしなかったが中流階級くらいだと教えてくれた。デニスは自分と話している時に筋肉を鍛えているみたいで、腕立て伏せやハンドグリップで体を鍛えていた。自分のお腹や腕を触ってきて「筋肉を付けないと体が鈍るよ!」とハンドグリップを自分に貸してくれた。夜になってきたので食事の時間だと言うと、デニスの行きつけの店があるらしく夕食を外で食べる事になった。宿を出て大通りに面した所にレストランがあった。綺麗とは言えないが、ここのカレーは美味しいと勧めてきたのでチキンカレーを注文してみた。レストランの中はクーラーが効いていないが、今までのインドの中ではムンバイは暑くなかったので過ごしやすかった。カレーが運ばれてくると日本みたいに、ご飯にカレーが乗っている。インドで食べてきたカレーは、ご飯又はナン(チャパティー)とカレーが分かれていたのだが、ご飯に直接カレーがかかっているのは初めてだった。一口食べてみると意外と美味しく、香辛料の味も強くない。値段を見るのを忘れていたので、再度メニューを見ると100円程度だった。安く食べられて美味しいなら、このムンバイにいる間はお世話になりそうなレストランだった。デニスに美味しいと告げるとニコッと笑って、味が合って良かったと言ってくれた。
2015年05月28日
インドの旅96
ムンバイに着いて思ったのだが、今までインドを回った中で、ゴアとムンバイはそれほど暑く感じなかった。西海岸は、そんなに暑くないのか自分の体が暑さに慣れてしまったのか、それとも季節柄のせいなのか分からなかったが比較的過ごしやすかった。インド門を見たあと、ちょっと小腹が空いてきたので大通りに出てレストランを探す事にしてみた。大通りは映画館や商店など、ゆっくり見ていけば飽きないほどの店が並んでいた。ちょっと気になっていたマクドナルドに入ってみる事にした。近くのマクドナルドに入ったのだが、昼時なのか混雑しており、上のメニューを見るとベジタリアンとミートに分かれていた。自分はベジタリアンではないので、チキンのハンバーガーセットを注文してみた。さすがにビーフはなかった。チキンバーガーは若干日本と味が違うのだが、久々のハンバーガーだったので美味しく食べれた。食後、ゴアから来たばかりで疲れが一気に出てきたのを感じたので、宿に戻って休憩する事にした。ムンバイに来て、次は最後のデリーに向かうのかと思うと旅の終わりが見えてきたので、ちょっと悲しい気分になっていた。
2015年05月27日
インドの旅95
防水カバーをバックパックに掛けておいたおかげで中身は無事だったのは嬉しかった。部屋に冷房は完備されておらず、雨上がりとも重なって蒸し暑い。部屋に入ってきた時に、欧米人がダニに刺されていたのを見ると、ここで寝るのが怖いなーと感じたが、裸でマイシーツも引かないのは自己責任だと思い、ダニの事を忘れるようにした。昼近くになってきたので、タージマハールホテルとインド門を見学しに行こうと準備をした。タージマハールホテルのロビーくらいには入りたかったので、自分の持っている綺麗目の服をチョイスして外へと出掛けた。タージマハールホテルは目の前にあり、自分が観光客と見られるように堂々と入って行った。中に入るとクーラーが効いていて心地よく、欧米人の観光客や日本人も見受けられた。フロントを見てみると、なんとデニスがいるではないか!デニスは自分に気付いたらしく笑顔で自分を見ていたが話す事は出来なかった。一応、正装はしていったつもりだが、このホテルでは汚い格好に見えてくるのでデニスに迷惑はかけられなかった。ホテルを出るとインド門が目の前に「どーん!」と建っている。昔のイギリス人が、ここに降り立った記念で建てられたのかな?と感じられる場所であった。インドに来て欧米や日本の観光客には滅多に会う事がなかったが、ここでは旅人よりも観光客で溢れていた。
2015年05月26日
インドの旅94
ムンバイのサルベーションアーミーに着いたのは、6時前の事だったがフロントの人は嫌な顔せずにチェックインをさせてくれた。ドミトリー(大部屋)の部屋を頼んだので他の宿泊者の邪魔になるかな。と思って部屋に入ったら、みんな起きていた。4人部屋で2段ベッドが2つ置いてあった。1つのベッドは上下に欧米人のバックパッカー、もう一つのベッドの下にインド人っぽい少年で上が自分のベッドとなった。何で、こんな早い時間に起きているのかと言うと、ちょっとした事件があったからだった。欧米人の下に寝ている男性が寝ている際にダニに刺されており、体中に点々と赤くなっていた。そのベッドに何やら白い液を散布している宿の従業員の姿が、自分が部屋に入る前にいたからだった。その欧米人も上半身裸でシーツも引かずに寝ているから自業自得だと思ったが、自分のベッドにもダニはいるはずだからとマイシーツを張って、1時間ほど仮眠をする事にした。この宿は朝食付きで、きちんとした厨房もあり広いダイニングもある。部屋は綺麗とは言えないが、今まで旅してきた中では真ん中程度だろうか。7時過ぎに起きて、シャワー室に向かいビショビショになったシャツやパンツも一緒に洗って部屋へと戻った。自分が戻るとインド人っぽい少年が話掛けてきたので、自分も何人か気になったので朝食を一緒に取りながら話をする事になった。彼は、やはりインド人でデニスと言う名前で年は自分の2才年下だった。デニスは日本人に興味があるらしく、シャワーから戻るのを待っていてくれたらしい。朝食の受取方や返却の仕方まで教えてくれて、何とも優しいインド人なんだろうと思っていたが、なぜ安宿にインド人がいるのか不思議だったので聞いてみたら、この前にそびえ立つタージマハールホテルでインターンとして働いているらしく、インターンだと給料が安くて安宿に泊まるしかないらしい。でも、こんな一流ホテルに勤められる事自体が裕福な家庭であると言う証拠でもあり、自分より年下なのに何ともしっかりしているな。と頭の中で、自分も就職して仕事をしなければいけないんだよな。と考えさせられてしまった。デニスは朝食が終わると、これから仕事なので夕方6時に終わるから、また話をしよう。と彼と安宿の出入り口まで行き、そこで別れた。自分は荷物が雨で濡れてないか中身を全部チェックする為に部屋へと戻った。その時には、もうすでに雨は上がっていた。
2015年05月25日
インドの旅93
まさかの雨の中、タージマハールホテルを目指す事にした。この一流ホテルに宿泊するのではなく、このホテルの裏手にサルべーションアーミーと言うユースホステルがある事を事前に調べておいたので歩いて行く事にしたのだ。さすがに大都市なだけあり、有名処の看板や店が見受けられる。特にマクドナルドがあって、牛肉がNGのインドでは、どんな種類のメニューがあるのか見てみたかったが、とりあえず急いでインド門方面へ急ぐ事にした。朝の5時という時間帯は道も人もまばらであった。道を歩いていると、前から初老の男性が声を掛けてきた。どこに行くんだ?と言ってきたので、タージマハールホテルの裏にあるユースホステルを目指していると言うと、そのホテルなら知っているから案内しようと言ってくれた。大体の場所は分かっているのだが、優しい人だなーと思い、話ながら宿まで案内してもらう事にした。早速見えてきたのは、インド門だった。圧巻の造りに感動さえ覚え、フランスの凱旋門と同じ造りなのか!と思った。その横には、何とも綺麗なタージマハールホテルが目に入った。こちらのホテルも外観で見る限りでも一流だと分かった。自分の目指している宿は近いと認識して、やっとサルベーションアーミーを発見。おじいちゃんに有難う!と礼を言って、階段を昇り始めて2階まできた所で、何やらおじいちゃんが叫んでいた。どうやら案内料を払えと言っているらしいが、とんでもない事だ。優しい人ではなくて、金銭目的で話掛けてきたのかと思うと腹が立った。自分は無視してフロントへと向かった。雨に濡れてビショビショになっていた。
2015年05月22日
インドの旅92
自分はムンバイ行きの電車に乗りゴアを後にしていた。1週間ほど滞在したアンジュナ・ビーチに別れを告げていたのだ。宿のオバちゃんにムンバイ行きの電車チケットを手配したら、あっさりと本日出発のが手に入るけど要らないか?と言われて、急遽バックパックに荷物を詰め込みパナジへと向かった。その際に日本人の友人にバイクでパナジまで送ってもらい、いきなりの別れであったがムンバイを目指したのだ。このチケットは、オバちゃんの知り合いがムンバイに行く予定だったのが、急遽行けなくなり余ったチケットで半額でいいと言って来たので買う事にしたのだ。何ともラッキーな出来事にビックリしたが、ベッドではなく座席だったので苦痛の移動となってしまった。南インドから再度、北インドへ向かうのは旅の終焉に確実に近づいており、嬉しく思っていた自分と終わってしまうのかと思う自分がいた。電車は1日掛けてムンバイを目指していて、自分は席に座り知らぬ間に寝てしまっていた。夜中に何度か起きてしまっていたが、持っていたペットボトルの水を飲んでは寝ての繰り返しで、早朝にムンバイの駅に着いた。あいにく、ムンバイは土砂降りの雨で、その中を歩いて宿まで行かなくてはいけなかった。バックパックに防雨カバーを掛けて街中を歩く事になった。
2015年05月21日
インドの旅91
翌朝、フルムーンパーティーで飲み過ぎたせいか二日酔いでベッドで横になっていた。日本人の友人が心配して、自分の部屋に来たのだが酒が抜けたらレストランに行くと言って彼は去って行った。昼頃までトイレに行っては吐いたり、ベッドでゴロゴロしていたら、ようやく酒が抜けてきた。歩けて外に出れるようになったので、レストランに行く事にした。外はあいにくの天気で雨だった。小走りにレストランに向かい、彼はトーマスと話していたのを発見。コーラを注文して、彼に「二日酔いとかなかった?」と聞いたら、酒には強いから二日酔いはなかったと爽やかに返答された。年上の自分が何となく情けなくなった。今日、やたらと欧米人がアンジュナ・ビーチを出て行くのを見ていると彼が話してくれた。トーマスも最後のフルムーンパーティーも終わって、モンスーンが来てるから、ここに滞在する人は居なくなると説明してくれた。自分も、そろそろ出る頃なのかなー。と思い始めた。電車の切符は宿でも頼めば購入出来る事も教えてくれたので、彼には悪いがチケットが手に入り次第、ゴアを出ると話した。その日は雨や曇りの一日で、レストランも暇で自分達も何もする事がなく終わった。
2015年05月20日
インドの旅90
フルムーンパーティーの日が来た!レストランで友人の彼を待っていても昼まで現れる事はなかった。暇だったので、トーマスと3時間近く時間を潰して話をしていた。昼になってバイクに乗る彼が見えたので「どうかしたの?」と聞いたら、昨夜はドラッグで夜中までぶっ飛んでいて起きるのが遅くなってしまったと言う。彼がレストランで昼飯を食べ終わるのを待ってから、丘の上までバイクでパーティーに行ってみた。まだ、10人ほどしか集まっていなくて始まっているような感じではなかったが、自分はバーでビールを買って海を見ながら彼と話をしていた。海から来る風が気持ち良く、ビールを何本も買ってしまい、かなり酔ってきた。知らない内にパーティー会場は50人ほど集まっており音楽の音量も次第に大きくなってきた。日本人の姿は見かけられず、欧米人ばかりで、若い女性は明らかにぶっ飛んでいるのが分かる。天候も良くフルムーンパーティーにはもってこいだ!夕方になると100人は超えていただろう。自分は酒で、かなり酔っていたので意識がなくなってきたが最高に楽しく過ごしていた。彼が言うには、先週に比べて半分の規模になっていると言う。この場所は、そんなに広くないので、これくらいの人数がちょうどいいんじゃないかな?と思った。夜になるとネオンが点灯して、まさに野外クラブに変わった。欧米人がマリファナを回してきて、みんなで吸う状態になっており、参加者はテンションがマックスになっていた。バーの人達も酒を飲んでいたりして、よく分からないがビールが無料になっていた。自分の意識は遠のく中、フルムーンパーティーは明け方まで続いた。
2015年05月19日
インドの旅89
アンジュナ・ビーチにパナジから帰って来て、トーマスと話す時間があったので雑談をしていたら、あのドイツの2人組がレストランに来た。彼らは自分達に話があるみたいで、自分だけ席を立って彼らの座っている所へ行き話をしてみた。彼らはマリファナが欲しいみたいで、どこで買えるのか教えて欲しいと話して来たのだが、トーマスから買う事が出来るとは話せなかった。どうせ、トーマスが嫌な顔をするんだろうなと思ったからだった。昨日、道端でマリファナを買ったらしいのだが部屋に帰って袋を開けて見ると新聞紙が包まっているだけで騙されたと、彼らは話してくれた。インドでは、ほとんど合法に近いマリファナなのに偽物を売る奴らがいるなんて思っても見なかったが、そんなジョークみたいな話があるんだな。と笑ってしまった。ドイツ人の彼らも笑っていたが、日本人の彼がトーマスから買っているので、それを売ってもらったらどうだ?と説明して、彼を呼んで頼んでみた。ちょうど、トーマスも厨房に入っていたのでタイミングが良かった。明日はフルムーンパーティーがあるので、そこでタダ同然に手に入る事も教えて日本人の彼があとでドイツ人の宿まで持って行くと話て、自分達は再度バイクで北にある他のビーチを見に行く事にして出掛けた。ビーチを見て周っている時に、空に厚く黒い雲が出てきたので引き返す事にしたが、気付くのが遅かったせいか雨が降り出してきたので引き返す事にした。ゴアに来て2回目の雨であったが、やはりモンスーンの時期に入ってきていると確信が出来た。彼にレストランまで送ってもらい、今日はここでお別れ。宿に戻ってみたら、宿のオバちゃんにチェックインしてから会ってなかったが、どこに行っていたのか心配していたと言われてしまった。ちゃんと部屋には帰っているけど、友人の宿で遅くまで遊んでいるので帰りが遅くなってしまっていて申し訳ないです。と謝罪をしたのだが、どうやらアンジュナ・ビーチでは行方不明になる人もいるらしく、自分は行方不明になっているのと勘違いされていたようだ。この宿は15部屋あるのだが、今は3部屋しか泊まっている人がいなく、モンスーンが来ているので稼ぎがなくなる時期が来ていると話してくれた。どうりで、この宿の宿泊者を見かけないなと思っていた。こんな雨では何もする事が出来ないなと思い、部屋の中で溜まった洗濯物を洗って部屋干しでもするかと部屋に戻った。