わたしの愛読書から紹介します。
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
■質問者 (あるがままにp−31)
どういう意味で、
私たちの真の本性が幸福あるいは至福だと言われるのでしょうか?
マハルシ:完全な至福がブラフマンなのだ。
完全な平和は真我に由来している。
唯一存在するもの、それが意識なのである。
幸福と呼ばれるもの、それが
真我の唯一の本性である。
真我とは完全な幸福以外の何ものでもない。
幸福と呼ばれるそれだけが存在している。
その事実を知って真我の境地にとどまり、
永遠の至福を享受しなさい。
もし外面的な原因や自分の所有するものが
幸福の原因だと考えるなら、
所有するものが増えれば幸福も大きくなり、
所有するものが減るにしたがって
幸福も少なくなると
結論づけることは理にかなっていると言えるだろう。
そうすると、
もし所有するものが無ければ、
幸福はありえないはずである。
実際の体験ではどうだろう?
それはこの考えと一致しているだろうか?
深い眠りのなかで、
人は自分の身体も含めて何も所有していない。
それにもかかわらず、不幸であるどころか、
まったく幸せだ。
誰もがぐっすりと眠ることを望んでいる。
つまり幸福は本来、人に備わったものであり、
外的な原因によるものではないということである。
人に生来、備わった純粋な幸福の扉を開くためには、
真我を実現しなければならない。
*ブラフマン:ヒンドゥー教の非人格的絶対神
*アートマン:真我
(引用 福間 巌訳 「あるがままに」ラマナ・マハルシの教え)
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