2018年11月26日
誰も書かなかった葬儀のお話・・『百歳を超えた親』編
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歌う葬儀屋、イタゾーです。
今日は実際にあった話を元に
『高齢社会』について
私なりのアプローチをしてみたいと思います。
皆さんにも考えるきっかけになっていただけたらと思います・・
<<百歳を超えても生きる親>>
ある時、亡くなったと連絡が入り、夜中にお迎えに行きました。
お迎えは大抵病院か老人ホームなどの施設が多いのですが、
その時はご自宅でした。
ご自宅で介護をされていたのでしょう。
「意外に早かったですね」
落ち着いた口調で丁重に迎えて下さったのは
70も半ばを過ぎた方で、きっと息子さんでしょう。
亡くなったのはお母様。御年102歳!!
介護されていたベッドの上で安らかなお顔でした。
もう足は曲がったまま戻らず、腰もよれてしまっています。
でもこういう年齢の方はそういうものなので、
特段、驚くことはありません。
お参り用のテーブルを出して、線香やローソクを準備し、
保冷用のドライアイスを充てていきます。
すると息子さんが近寄ってきて、開口一番におっしゃるのは
「今日亡くなるとは思ってませんでした」
そしてこう続けます・・・
「葬儀をやる費用がないんです」
<<何歳まで生きられると思っているのですか?という話>>
別に私たちは、豪華な葬式をやりましょうと言ってる訳ではありません。
親がそういうお年で、ご自分だってそれなりに高齢者でいて、
死ぬことを想像できなかったのであれば、
よっぽど忙しい方か、あるいは馬鹿です(キッパリ)
人生の大先輩にこう思うのは心苦しいのですが、つまり
「いい歳を重ねて、いままで何を考えて生きてきたのですか?」
ということです。
亡くなることは、これっぽちも想像できなかったのか、
と思うのです。
<<暮らしに埋もれ、想像する力がなくなっている>>
入院費や治療費もかかるでしょう。
ご本人も病気だったりして、何かと物入りだったのかもしれません。
でもお母様が寝たきりであれば、年金で入ってくるお金は
お母様ご自身では使いません(というか、使えません)
もしそれが無いならば、家族で使ってしまっているということです。
全部とは言いませんが、少しずつでも貯めることはしなかったのか?
百歳という年齢で、いつどうなるかわからないという場面が
想像出来なかったのか、ということを思ってしまいます。
家族とは言え、人のお金です。
死んだことを誰にも言わず、押入れなどに亡骸を隠し、
臭いで発覚する事件がたまにあるでしょう。
あれは親が死んだことを伏せ、その家族が年金を受け取り続けるためにやるのです。
ああいった事件が起こるたびに
胸が痛んでしまいます・・
<<人間の命を何だと思ってるのでしょう>>
自分の親にこういうことをよく出来ると思いますが、
きっと親も親で、そういう風に育ててしまったのでしょう。
どちらかが一方的に悪いということはないというのが、
私の基本的な考えです。
あり得ない!とか信じられない!と思うことが起こるのが現実です。
折しも2018年は映画『万引き家族』が
カンヌ映画祭で最優秀賞にあたるパルムドールを
受賞しましたね。
喜ばしいと思うウラで
日本の縮図を見せられたような気がして
映画館で複雑な気持ちになりました。
<<親戚の方が費用を工面>>
結局その方は、葬儀費用の大半を工面して下さる親戚がいらっしゃったので、
火葬儀という形で、ご身内だけで葬儀を行いました。
これからそういう葬儀も増えていくのだろうと予想します。
親が百歳ならば、その子供は70歳の後半から80歳くらいでしょうから、
それは介護やお世話も大変でしょう。
親が生きていてくれるのは、嬉しいことでしょうが、
あまりに長く生きてくれるのも・・・
このあたりは難しいところです。
暮らしに埋没すること無く、
想像力と笑顔を絶やさぬように生きたいものですね。
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