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2020年10月20日

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第十一章

【十一章】

母が心療内科に通うようになってから早10年くらい経ち、その間は特に私たちが心配するような出来事や発言もなく、よく笑うし、しゃべるし。彼女は今も不眠に苦しんではいるが、薬で寝れている事、外的ストレスがないことから平穏な毎日を過ごしている。人に迷惑をかけてはならない、子供の未来も心配というのもあり、それが唯一生きがいになっているのかもしれません。父親の会社が実質倒産して役員としての重い責任が舞い降りてきた、親の離婚、母の心の病の発症、姉の離婚。家族誰一人生涯の幸せを手に入れた人がいない。残るは私。私自身が唯一、まだ大きな決断となるような行動を起していないので、家族にとって、私の未来はとても気になるものだと思う。ただ、私の家族は今、それぞれの環境でわりと笑顔で暮らしている。不思議ですね。でもそこには遺伝子的なものを感じます。何があっても、落ち込んでも、結局笑っている時間があるという調子のよい性格の集まりというか。芯が強いのか、事が済めば楽天的になるのか。私もそんな感じです。何だかんだ家族っていいな〜と思わせてくれる、私の家族です。

2019年04月30日

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第十章

【十章】

夜の仕事を4年ほど本業として続けた後、昼職に復帰しました。金銭感覚以外は何らギャップも感じず、すんなりと環境に溶け込んでいきました。精力的に働き、29歳の時に役職に就き、やりがいを感じながら、特に何事もなく過ごしていました。そんな時、母親が軽度のうつ病になりました。きっかけは母の一番仲が良かったお姉さんがガン亡くなったことでした。かなりショックだったのと、闘病中、お姉さんに「今の姿を見られたくないから妹には来てほしくない」と強く言われていて、その気持ちを汲み取ったこと、東京⇔名古屋で簡単には会いに行ける距離じゃなかったので、何もできなかった悔いがあったのかもしれません。不眠症から始まり、片耳の耳鳴り(老化難聴が原因の可能性がある)になり、それがさらに追い打ちをかけ、余計不眠症に。会話の中で死にたいとは言わないですが、「生きてて何が楽しいのかわからない」「何もする気にならない」「これまでの人生、嫌なことばかりだった」「もう片耳も耳鳴りし始めたらここから飛び降りちゃうかも」というかなりネガティブなワードが登場することも多々ありました。私はとっても怖かったです。ただ、救いだったのが、母親は自ら病院に駆け込んだことです。ある日すごく変な気持ちになり、やばいと思って、心療内科に行ったそうです。その「変な気持ち」とは?ということを私は怖くて聞きたくなかったので、突っ込まずにいて、ただただそうなんだー。と話を聞きました。

2019年04月01日

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第九章

【九章】
それからトントン拍子に進んだ。離婚届、引っ越し。前章でも言った通り、仲がすごい悪かったわけではないので、引っ越し作業中も特に険悪ムードというのはなく、娘たちだけが何だかじわじわと実感が湧いてきて寂しい気持ちになっただけでした。両親はしっかり慰謝料の話を弁護士を通さずに自分たちでしっかりもめずに書面にして取り決めていました。(後から知ったのですが)そしてその数か月後、姉の結婚式。両親参加、親戚と私たちは若干気まずさを抱えながらも、無事に素敵な日を迎えました。それからそれぞれ、新生活がスタート。もともとみんなバラバラだったので、その生活に戻っただけのような気がしました。私も社会人になり、あまり気にしない生活に変わってはいったものの、やっぱりいざとなると自分の将来より、両親の将来の方が心配で気にかかる日々でした。考えたくなくても考えてしまう、そんなこと考えなくていいのよと言われても考えてしまう。非常に苦しかったです。その不安が高まり、就職した会社を退職し、水商売に転身しました。家族がお金に困っていたわけではないですが、お金を稼ぐことで、将来両親の何かに役立つと思ったし、よくわからない不安もかき消せる気がしたのです。

2019年03月08日

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第八章

【八章】
父は自分が作った空気にもかかわらず、いることに耐えられなかったのか、そのまま逃げるようにどこかへ外出した。残された母親と姉と私。母親は3人になった瞬間、なんだか開き直った表情に変化していた。私は聞いてみた。「こんな一方的でよいの?なんか言いたいことないの?」。母はこう言った。「子供が生まれる前からすぐ何かあると「離婚だ」と口癖のように言っていたから、いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってた」。その後も女性だけのガールズトークを繰り広げていた。そんな風にしょうがないわよっと開き直る強がりな母親の話を聞いているうちに、私はずっとそばにいて、暮らしていた母親の姿や、私のすべてをたった一人で受け止めてくれていた姿を思い出し、この結末はあまりにもリスペクトがなさすぎるし、いろんな気持ちを考えたら涙がポロポロ出てきた。それにつられて姉も線が緩んだのか、泣いていた。ワンワン泣くのではなく、しくしくというところが、私たちも27歳と19歳、もうわりと大人なんだなと感じました。私はすぐに次のことを考えた。一番心配なのは、母親の今後、老後はどうなるのかということだった。

2019年02月28日

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第七章

【七章】
父はシンプルにこう言いました。「お父さんとお母さんは離婚することになった」。父の突然の発言に、みんなの表情はまるで、ホラー映画で恐ろしい何かが突然現れたシーンを見た時のようで、今でも頭に焼き付いています。私はというと・・・もう突然のこと過ぎて声が出ませんでした。まず母親が驚いてることに一番びっくりしました。二人で話し合って決めたことじゃないんだなということ、そしてわざわざこんな夜中に何を思ってという気持ちになりました。あまりに衝動的過ぎてショックというよりも謎すぎました。確か母親が「なんでそんなことー!!」とちょっとした悲鳴のような声を出した後、その後の言葉が出てこないようだったので、私が父親に切り出しました。「何が原因なの?お母さんは何で驚いてるの?おかしくない?」と。父親はもう決めたことだという頑固な表情で説明しだしました。「今日お父さんが風呂に浸かってて、追い炊きをしようと風呂場から寝室にいるお母さんにボタンがどれか聞いたんだ、そしたら「いつも入ってるでしょ、こうやってやるのよ」と強い言い方をしたんだ。その言い方にそれまでたまってたことがプチンときた、お母さんもきっとお父さんと別れたがっているんだ」と。母親はとにかく「えー!?」という表情で聞いていた。もうその話を聞いた時には私は、なんだか力が抜けていました。あまりに下らない理由すぎて。19歳だった私には、子供たちのために喧嘩を見せない、もめない、我慢するを続けてきた親の積み重ねに対しての理解をしてあげる器量はなかったし、するつもりもサラサラなかった。「明日離婚届取りに行ってくるから」と父が言い、母の顔を見たら先ほどより少し落ち着いて、母はこう言った。「何もお姉ちゃんの結婚式の前に離婚しなくてもよいじゃない。お姉ちゃんの気持ち考えられないの!?」。父はこう返した。「いや、結婚式の前の方がいいんだ」。その意味不明な父の返しを聞いて、やっぱり突発的、自己中心的に物事を決めているとしか思えなかった。姉はずっと黙っていた。特に悲しそうな顔するわけでもなく、ただただ眺めていた。

2019年02月11日

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第六章

【六章】
4人での生活がスタートして、どこにでもある家族の光景がそこにありました。姉は27歳になる歳で、長らく付き合っていた彼との結婚が秋に決まっていました。父が会社を引退した年でもあり、そこから何かがおかしくなっていきました。いつも週末しかいなかった父が毎日家にいる。仕事人間がいきなり暇になるのも耐えられない、まだまだ働きたいと思っていたのか、宅建の勉強を必死にしていた。相変わらず夫婦の会話は少なく、かといって喧嘩もなく、本当にわかりやすく言うと可も不可もなくって感じでした。私たち子どもたちも親にベタベタする年齢でもなく、むしろドライに対応していた。私はまだ学生、遊びに明け暮れ深夜まで友達と過ごしていた日々。そんなある日、夜中の1時頃、父から電話があり、「今から家族で大事な話があるから帰ってこい」とのこと。口調は特に怒っているわけでもなく、落ち着いていた。私は友達と一緒だったので、その突然の呼び出しに反抗したが、「いいから帰ってこい」と打診され、ただ事ではないような気がして急いで帰った。恐る恐る帰宅し、様子を伺ったところ、姉は彼氏と楽しそうに電話中、母も父も布団に入って寝るモード。「はっ??」と思った。何も起きてないし、何なの?と。私を早く帰宅させるための嘘だったのかと思い、父に「話あるんじゃないの?」とキレながらたたき起こした。そしたら「あ〜」といってむくっと起き上がり、みんなに聴衆をかけた。

2019年02月04日

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第五章

【五章】
そんなこんなで高校生活もそのまま変わらない状況を過ごした。覚えてるのが、姉も父より少ない頻度で私の家に遊びには来てたが、年も離れているし、6年間コミュニケーションをほとんど取っていなかったからか、姉として振舞われても、他人まではいかないにしろそんな感じのよそよそしさを抱いてしまった。よくドラマで親子20年ぶりに再会とかあるけど、敬語でしゃべってしまうのがわかる。さて、今度は大学への進学が迫ってきました。自分が志望していた学校が、都内ど真ん中で、東京郊外から通うのにはちょっと大変ということ、父の会社が大変なんことになりそうだという理由から、また家族4人で新居に暮らすことになった。今度は父親が気を使ったのか4人そろって家探しに回った。みんな納得の上、決定。これで何とか落ち着いたなーと思っていたが・・・

2019年01月29日

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第四章

【四章】
ある日の正月。姉は彼氏とラブラブ中で、外出が多かったのもあり、父親が珍しく私と母親がいる家に帰ってきました。父親は帰るときは前もって必ず電話をかけてきます。なのでそれに合わせて食事の準備をするのですが、たまたま母親は体調が悪く、自分の部屋で寝込んでいました。父親が帰ってきても顔を出さなかったので、私が冷蔵庫にあるおせちの残りを出しました。私も私で反抗期中ですので、お父さん大好きーという態度にはならないわけで、ドライに対応。父親はそれをもくもくと食べていました。何となく私の中に初めて何とも言えない罪悪感が芽生え、その父親の寂しげな背中は今でも忘れられないです。父親は食事を済ませた後、誰にも歓迎されてないと感じたのか、きっと泊るつもりだったはずが、夜中なのに帰る準備をしだしたので、「え!?帰るの?」と尋ねれば、「うん」とそれ以上のことは口にしませんでした。私も「何で?」となぜか怖くて聞けず、そのまま見送りました。滞在時間はたった数時間。その直後だんだんとこれってヤバイ雰囲気じゃない?、何かしなきゃと無性に思い、父親が赴任先に着いた頃合いを見て電話をかけました。さっきまで一緒にいたので父親も疑問に思ったのか「どうしたんだ?」と私に聞きました。その声でなぜか涙が出そうになり、堪えながらもこの空気を何とかしなきゃと思う一心で私はこう言いました。「お母さんが部屋から出てこなかったのは体調が悪かったからで、お父さんのことを嫌いだからじゃないから。それだけ伝えとく」。父親は「そうか。わかったよ〜」と少し笑いながらそう言って、おやすみの挨拶で終話。今でも思い出すと他人事に思えるけど、高校生の頃の私のその行動は、何だか非常に切なく思います。子供はいつだって両親の関係が良好であって欲しいと願うものなんだなと。だからこの件では、母親の本心は知らないが、父親が「どうせ家族にはこう思われてるんだ」と思い込んで、寂しい気分になり、何か事が悪い方向へ行くことを懸念しての行動だったのだ。父親の居場所はこの時、一体どこだったんだろう・・・一番ほっとする場所は、赴任先の家だったのかもしれない。もともと一人が好きで、感情が薄い人ならまだしも、父親は明るくて、人と接しているのが好きな方だったからこそ、今思い出しても心が痛む状況でした。もっと優しく接することはできたはずなのに。この頃、父親は出世街道まっしぐらで、すでに部下もたくさんいて、まぁ上司というのはビビられる、媚びを売られる、煙たがられる、少しくらい嫌われて当然。孤独に感じることもあったかと思います。なのに、家庭に帰ってもこんな空気なんて、耐えがたいものがあったはずです。今ならすごく理解できます。

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第三章

【三章】
高校進学に向けて、入塾資格にも試験があるバリバリの進学塾に通い始め、日々、夏合宿などでみっちり勉強、人生で一番の自分との戦いであり、精力を費やした時間でもありました。結果、志望校に受かった喜びと同時に、ふっと、この別居生活はまだ続くんだなーとも思っていました。高校が都内ではなかったからです。そして高校入学。希望に満ちた気持ちで学校生活がスタート。学校生活は楽しく、完全に自分が人生の主役で、家族に対する疑問などみじんも感じない一年間でした。高校二年生になり、反抗期がやってまいりました。優等生からやんちゃな人間まで幅広く交友関係がある中で、きっと自分の位置付けみたいなものを意識し始めてきたのでしょう。母親は裕福な家庭の末っ子であるがゆえに、理想がちょっぴり高く、自分の思い通りにならないと一喜一憂、人様と比べがちな視野が狭い面があった。そこに対しての私の反発が始まったのです。単身赴任の父親は、建前だとしても当然私たちのことも気にかけ、8:2の割合で、赴任先から姉の方に帰ったり、私と母親の家に帰ったりしていました。しかし、父親が私らの家に顔を出しても母親はもてなすことはなく、必要最低限の会話だけで、父親は耐えられなかったのか、泊っていくことはほとんどなかったと記憶しています。そんな雰囲気を感じ始め、父親の気持ちを考えて、ぶっきらぼうに対応している母親への不満が少しずつ募っていきました。

親の離婚について・・・大人になって今思うこと第二章

【二章】
私は母と新天地での生活、社会人になりたての姉は新しいマンションで単身赴任の父親と二人暮らし。姉は実質平日は一人暮らしという何とも年頃の女子としては都合の良い、贅沢な生活がスタートしました。私はこの状況をほとんど理解しておらず、上記のような経緯も大人になってから母親から聞きました。小学校の仲間とは他にないくらいの親密度だったので、なぜ引っ越すのか問われることが多く、明確な理由がわからず小6の私は困惑しましたが、親の都合でと言う他ありませんでした。引っ越し後、たまに姉達の家に遊びに行く時に、地元の友人に見かけられたりすると、一部では「本当は近隣に引っ越してる」「何か言えない事情があるんじゃないか」「嘘をついてるんじゃないか」とも噂にもなっていたみたいです。さて、通うことになった中学ですが、ニュータウンともあって、様々なところから引っ越してきた人間ばかりだったので、違和感なく溶け込めたのが救いでした。縁もゆかりもない土地なのに、偶然顔見知りもいたりしてスムーズに学生生活がスタート。中学時代は家庭では何も起きず沈黙を貫きました。
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