2018年04月20日
10 介護付き有料老人ホーム
(第一ページはこちら) 「緊急入院」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
緊急入院 から2年半後
酸素吸入器の鼻チューブは外せないものの
とうとう【介護付き有料老人ホーム】
に入所するまでに快復することが出来たのだった。
ここは夫の長年のかかりつけ医の経営で、
そのお陰でたやすく入所する事ができた。
有料老人ホームは【介護老人保健施設】と違い、
もう退所を迫られる心配は無い。
この時診察した施設責任者の医師に
「特発性間質性肺炎て、
こんなに良くなる事もあるんでしょうか」
と聞くと
医師は黙って首を傾げていた。
「母を救った化粧水」でも書いたが
このホーム入所時のX線撮影では
入院時には右肺全部と左肺の80%以上も
まっ白になっていた肺が、
右肺最下部のわずかな白い影の他は
かすかに薄くもやがかかったようになっていた。
この「もや」を不思議に思い、
のちに私の親しい薬剤師にこの話をしたところ
「ソリューションのおかげで、
繊維化してしまった細胞以外の残された細胞が
活性化して肺が機能を取り戻したんだけど、
線維化してしまった古い細胞がそのまま残っている為
その線維化した細胞が薄い影になって見えるんでしょう」
とのことだった。
ナールホド
緊急入院の時のことを振り返れば
ここまで快復したことは本当に奇跡のようだった。
◍○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ◍
母を老人ホームに入所させた日、
母を担当して下さる男性の介護師Kさんに聞いてみた。
「母が特発性間質性肺炎で入院した事は御存じですよね?」
「はい」
「特発性間質性肺炎でここまで快復できた人ってご存知ですか?」
と聞くとKさんは即座に
「いいえ、知らないですねえ」と言う。
「この病気はほとんど治らないんですよね」
「はい、そうですね」
「じつはお願いが有るんですが・・・」
と、ソリューションをせっせと掛け続けて
ここまで快復してきたいきさつを話し
「ご厄介で申しわけないんですが、
毎日就寝前に背中に掛けてやってはいただけないでしょうか」
と頼んでみた。(肺は胸よりも背中に近いので)
彼は話に驚きながらしっかり聞いて受け止め、
快く引き受けてくれた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここは新設の施設で
設備も介護スタッフの人数・配置も申し分なく、
母はすぐに職員の方々や他の入所者たちとも慣れ親しみ、
姉も私も以前ほど頻繁には見舞えないものの
月に2回ほど東京から来てくれる弟と
(たまには嫁と孫も一緒に)
車であちらこちらへ外出するのを楽しみに
日々穏やかに暮らすようになった。
◍○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ○◦ ◍
そして、
ついに酸素吸入の鼻チューブを外せる日が来たのだ。
緊急入院の日からおよそ4年と4カ月。
改めて思い返せば
「もうそんなに経ったんだ。」
という思いだった。
本当に緊張続きの目まぐるしい年月だった。
居合わせた姉と私に、
母は晴れやかな表情で
「長い間ほんとにありがとうね」と言うと
言葉に詰まり、ふいに涙をこぼした。
「ここを終の棲家(ついのすみか) にするわね。
家の方はあなたたちで話し合って
どうとでもしてちょうだい」
「お母さん・・・」
私たちは顔を見合わせて、言葉が続かなかった。
これでいいのだ。
そう、これしかないのだから。
姉も私もずっとそう思っていたくせに、
いざ母からそう言われると胸にズキンとくるものがあった。
━☆★☆★☆━ つ づ く ━☆★☆★☆━
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7543736
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック