2015年11月16日
Change!Change!Change!
今は信頼性と信用が何よりも大事な時代なのだそうです。
確かに、いろいろと法律で対応することをできるようにしていますね。だから、問題が起きた時は、法の下に守られている…法治国家として当然という考え方ができますね。
だけど、何でも?法律が出てきているという状況を作り出す努力を国民がしている…そうとも取れます。
要するに、法がなければ守らないかもしれない?
法を作る人の考え方でいかようにも作れる…
ミャンマーのニュースを拝見しながら思いました。
さて、日本は?
法によって規制をしなければ、守られない…そんなことが増えていると言われている?というより、法によって規制されるのは嫌だ…けど、法による規制がないと民意のみではもはや…モラルや道徳という判断で行われるとは限らない…全ての人たちに守ってほしいとなると、法を作るしかないとなっている…。
偽装事件も…なんて、いろいろと上げていくと、次は法を守っているかどうか?というスタンスになる?
法がなくても、律して行うところに意味をなしていた…かつて。
なぜ法がないといけなくなっていってるのか?
しばりつけることで相手をコントロールする。
マイナスのレバレッジで人を動かそうとする子育て、教育が横行しちゃったからかなぁ…と思います。
マイナスのレバレッジをかけないと、人が動かないという恐怖心で人をコントロールかけようとする。暴力行為による威圧もそうですね。リーダーシップという言葉が使われたりもしますが、要するに、大人の怠慢による子どもに対するコントロールのやり方しか学べずに育った人たちが増殖。まぁ…もともと、そうやって育った人たちが多いのかもしれないけど…戦時中の統制の仕方を戦後学校教育で行いまくった結果だと思われる面もありますね。
真のリーダーシップ論が展開されて行っている?昨今。
ミャンマーの軍部が行うようなこととそっくりさんを見かける学校体制がまだまだある…
それは、涵養することとして未来の日本をよくする行為とは言い難いと思っています。
ではどうしたらいいのでしょうね。
今、世界中でそんな新たな方法が模索され…リーダーシップと言葉は変わっていない?けど、やり方は進化???実は昔から適切にできている人たちはいたんだと思っています。実際にいたんだけど、それよりも手っ取り早く簡単にマイナスレバレッジで他人をコントロールしてどうにかしよう…ある意味民主主義と逆行した行為を平然と行ってきた人たちがいるだけですね。
どうしたらよいか?心理学的手法を用いて、人に対応するというやり方が現在広まっていってますね。
昔、コーチングだって日本に入ってきたときに、イマイチ適切に導入できなくて、違ったものにしてやっちゃった…という人たちが多かったので、コーチングという言葉についたイメージがマイナスな面もあります。
だけど、着実に広がっていってると思います。
心理学的手法の一番の問題点として一つ上げるとしたら、相手を否定しない。
問題点という言い方は不適切だと思っています。
ただ、あえて、問題点というのは、相手に問題があっても否定しない。
手っ取り早く結果を出したい…と焦っている人間にとっては、まどろっこしいと映るかもしれません。だけど、長い目で見た時には、武力で圧して有無を言わせず、とにかく…ダメなものはだめだ…みたいに強制されて育った人達が、真に守っていくことが大切という法律を守らないということを生み出している日本。守るべきを守らなくてもいい…って見せていた大人の姿。涵養してきたものが、大人になったら何をしてもいい…勘違いさせている気がしますね。
大人になったら、子どもを武力で圧していい…などね。
やっていることが言っていることより強く伝わる。
いじめはだめだと言いながら、大人がやる。
さて、大人になって変わることができるか?
もちろん、変わることはできます。
ただ、本当に変わるためには、時間もめちゃくちゃかかります。
心理学的手法の問題…としてあげるとしたら、時間がかかるのですね。相手を否定しないから。
たとえ体罰や虐待をしていた人に対応するとしても、表面的に変わった感じになるのは簡単です。だけど、心底…無意識のレベルまで変えるというのは簡単ではないのです。
頭での理解は、意識レベル。
氷山の一角。
無意識レベルまで変わらないと、無意識で判断している行動が全て前のままなんですね。
ただ、その無意識レベルを変えるためには、ちょっとやそっとでは変わらない…そして、そのやっている行為とその人そのものと分けて判断するということと、その人が自分がやっている行為等に適切に客観視することができる…など、いろいろと変化を生み出す段階がある。
だから、学んだから…意識しているときは問題ないから…大丈夫というわけではないのですね。
それでも、社会全体を変えたい…と思ったときに、するしかない…と思いますね。
そんなことを考えて思うことは、本当に生きているということは修行なんだなぁ…ということ。
ただ、あきらめるのはおかしいことで、必ず変われるということを知っている。
あとは…本気で変わると決めて取り組むかだけ。
セミナーで感動したのは、そうやって本気で変わることをして…本当に変わっていく…と顔が変わる。ね。
確かに、いろいろと法律で対応することをできるようにしていますね。だから、問題が起きた時は、法の下に守られている…法治国家として当然という考え方ができますね。
だけど、何でも?法律が出てきているという状況を作り出す努力を国民がしている…そうとも取れます。
要するに、法がなければ守らないかもしれない?
法を作る人の考え方でいかようにも作れる…
ミャンマーのニュースを拝見しながら思いました。
さて、日本は?
法によって規制をしなければ、守られない…そんなことが増えていると言われている?というより、法によって規制されるのは嫌だ…けど、法による規制がないと民意のみではもはや…モラルや道徳という判断で行われるとは限らない…全ての人たちに守ってほしいとなると、法を作るしかないとなっている…。
偽装事件も…なんて、いろいろと上げていくと、次は法を守っているかどうか?というスタンスになる?
法がなくても、律して行うところに意味をなしていた…かつて。
なぜ法がないといけなくなっていってるのか?
しばりつけることで相手をコントロールする。
マイナスのレバレッジで人を動かそうとする子育て、教育が横行しちゃったからかなぁ…と思います。
マイナスのレバレッジをかけないと、人が動かないという恐怖心で人をコントロールかけようとする。暴力行為による威圧もそうですね。リーダーシップという言葉が使われたりもしますが、要するに、大人の怠慢による子どもに対するコントロールのやり方しか学べずに育った人たちが増殖。まぁ…もともと、そうやって育った人たちが多いのかもしれないけど…戦時中の統制の仕方を戦後学校教育で行いまくった結果だと思われる面もありますね。
真のリーダーシップ論が展開されて行っている?昨今。
ミャンマーの軍部が行うようなこととそっくりさんを見かける学校体制がまだまだある…
それは、涵養することとして未来の日本をよくする行為とは言い難いと思っています。
ではどうしたらいいのでしょうね。
今、世界中でそんな新たな方法が模索され…リーダーシップと言葉は変わっていない?けど、やり方は進化???実は昔から適切にできている人たちはいたんだと思っています。実際にいたんだけど、それよりも手っ取り早く簡単にマイナスレバレッジで他人をコントロールしてどうにかしよう…ある意味民主主義と逆行した行為を平然と行ってきた人たちがいるだけですね。
どうしたらよいか?心理学的手法を用いて、人に対応するというやり方が現在広まっていってますね。
昔、コーチングだって日本に入ってきたときに、イマイチ適切に導入できなくて、違ったものにしてやっちゃった…という人たちが多かったので、コーチングという言葉についたイメージがマイナスな面もあります。
だけど、着実に広がっていってると思います。
心理学的手法の一番の問題点として一つ上げるとしたら、相手を否定しない。
問題点という言い方は不適切だと思っています。
ただ、あえて、問題点というのは、相手に問題があっても否定しない。
手っ取り早く結果を出したい…と焦っている人間にとっては、まどろっこしいと映るかもしれません。だけど、長い目で見た時には、武力で圧して有無を言わせず、とにかく…ダメなものはだめだ…みたいに強制されて育った人達が、真に守っていくことが大切という法律を守らないということを生み出している日本。守るべきを守らなくてもいい…って見せていた大人の姿。涵養してきたものが、大人になったら何をしてもいい…勘違いさせている気がしますね。
大人になったら、子どもを武力で圧していい…などね。
やっていることが言っていることより強く伝わる。
いじめはだめだと言いながら、大人がやる。
さて、大人になって変わることができるか?
もちろん、変わることはできます。
ただ、本当に変わるためには、時間もめちゃくちゃかかります。
心理学的手法の問題…としてあげるとしたら、時間がかかるのですね。相手を否定しないから。
たとえ体罰や虐待をしていた人に対応するとしても、表面的に変わった感じになるのは簡単です。だけど、心底…無意識のレベルまで変えるというのは簡単ではないのです。
頭での理解は、意識レベル。
氷山の一角。
無意識レベルまで変わらないと、無意識で判断している行動が全て前のままなんですね。
ただ、その無意識レベルを変えるためには、ちょっとやそっとでは変わらない…そして、そのやっている行為とその人そのものと分けて判断するということと、その人が自分がやっている行為等に適切に客観視することができる…など、いろいろと変化を生み出す段階がある。
だから、学んだから…意識しているときは問題ないから…大丈夫というわけではないのですね。
それでも、社会全体を変えたい…と思ったときに、するしかない…と思いますね。
そんなことを考えて思うことは、本当に生きているということは修行なんだなぁ…ということ。
ただ、あきらめるのはおかしいことで、必ず変われるということを知っている。
あとは…本気で変わると決めて取り組むかだけ。
セミナーで感動したのは、そうやって本気で変わることをして…本当に変わっていく…と顔が変わる。ね。
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