勝常寺(しょうじょうじ)は福島県河沼郡湯川村にある真言宗豊山派の寺院。会津中央薬師堂とも称される。山号は瑠璃光山。本尊は薬師如来。寺に安置されている仏像のうち、国宝の木造薬師如来及び両脇侍像をはじめとする12体は平安時代初期の9世紀にさかのぼる造立である。毎年4月28日には薬師如来の祭礼として念仏踊りが催されている。
勝常寺 薬師堂 (福島県湯川村)
文化財
勝常寺には30余体の仏像があり、うち12体は平安時代初期のもので、おそらく創建時に造立されたものと思われる。平安時代以前の仏像が一寺院にこれだけ多数残っているのは畿内の寺院を除けば非常にまれであり、当寺がこの地域を代表する大規模な寺院であったことがうかがえる。これらの仏像の造立には徳一が何らかの形で関わっている可能性が高い。現在、木造薬師如来坐像は薬師堂に、他の諸仏は収蔵庫に安置されている。
国宝
木造薬師如来及び両脇侍像
中尊の薬師如来坐像、左脇侍(向かって右)の日光菩薩立像、右脇侍の月光(がっこう)菩薩立像の三尊。平安時代初期、9世紀の作。もとは3体とも薬師堂に安置されていたが、両脇侍像は収蔵庫に移されている。材質はケヤキで(かつてはハルニレ材とする説もあった)、薬師如来像は、両脚部を含む頭・体の大部分を一木から刻み、いったん前後に割り離して内刳(うちぐり)をしてから矧(は)ぎ合わせる一木割矧造と呼ばれる技法で制作されている。螺髪(らほつ、頭髪)は別材で、一つずつ造ったものを植え付けている。如来像特有の相である眉間の白毫相(びゃくごうそう)を表さない点が特徴である。胸板が厚く、大腿部の量感を強調した肉付け、額が狭く、厳しい表情の面相などに平安初期彫刻特有の様式が現れている。杉材を矧ぎ合わせ、浮き彫りで唐草文様を表した光背も当初のもの。なお、薬師如来像が坐している円形の蓮華座は後世のものと思われる。両脇侍像は一木造で、薬師像よりは細身で穏やかな面相に作られており、腰高のプロポーションなどに奈良時代風がうかがえる。両脇侍像は片腕を体側に下げ、片腕を曲げる対称的な姿をしており、右腕を下げる像を日光菩薩、左腕を下げる像を月光菩薩と称するが、本来の配置は左右逆だったとの説もある[1]。なお、中尊像、両脇侍像ともに部分的に乾漆を盛り上げる技法が用いられている。像高は薬師如来像が141.8cm、日光菩薩立像が169.4cm、月光菩薩立像が173.9cmである。平成8年(1996年)、東北地方の仏像では初めて国宝に指定された。(近畿地方以外の仏像では、高徳院阿弥陀如来像(鎌倉大仏)、臼杵磨崖仏に次いで3番目の国宝指定である)
木造薬師如来像(国宝)
木造日光・月光菩薩像(国宝)
重要文化財
薬師堂
木造四天王立像
四天王は持国天(東方)、増長天(南方)、広目天(西方)、多聞天(北方)の4体の総称で、須弥壇の四方を守護する護法善神像である。以前は薬師堂に安置されていたが、現在は収蔵庫に安置されている(ただし、広目天像は東京国立博物館に寄託)。四天王像もケヤキの一木造で、平安時代初期の彫像として一具がそろっているものは比較的珍しい。
木造十一面観音菩薩立像
木造聖観音菩薩立像
木造地蔵菩薩立像(延命地蔵)
木造地蔵菩薩立像(雨降り地蔵)
木造天部立像(伝・虚空蔵菩薩像)
以上の5体は収蔵庫に安置され、いずれも平安時代初期の作である。
木造四天王立像のうち広目天・多聞天像(重要文化財)
木造聖観音菩薩立像(重要文化財)
「延命地蔵」こと木造地蔵菩薩立像(重要文化財)
所在地
福島県河沼郡湯川村勝常代舞1764
交通アクセス
JR東日本磐越西線笈川駅から車で約10分
位置 北緯37度33分48.7秒 東経139度52分12.28秒
山号 瑠璃光山
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建年 伝・弘仁年間(810年 - 824年)
開基 伝・徳一
別称 会津中央薬師堂
札所等 会津三十三観音10番
文化財 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像(国宝)
薬師堂・木造四天王立像、木造十一面観音菩薩立像、木造聖観音菩薩立像、木造地蔵菩薩立像、木造地蔵菩薩立像、木造天部立像(重要文化財)
2022年10月18日
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