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2018年03月11日
ダーウィンの進化論は間違いだった!?
「人間は猿から進化した」誰もが知っているダーウィンの進化論。
しかし、進化論には多くに矛盾点が存在しておりダーウィンの「種の起源」が発表されてから150年以上も経つのに決定的な証拠が何一つ発見されないのだ。
猿から人への進化の過程には多くの矛盾と謎があり、信じていない人も多く、欧米などでは神に作られたという「創造論」も根強く信じられている。
一体、ヒトはどこから来たのか?
誰に作られたのか?
1つづつ追っていこう。
ダーウィンの進化論
今からおよそ150年前、ダーウィンは全ての生物は自然淘汰により進化したものと発表した。
しかし、人間については言及されていない。
人間は他の動物に比べ進化の時間が以上に速いのだ。
当のダーウィン氏も「あらゆる生物の中で進化論に一番当てはまらないのは人間だ」と述べている。
また、ダーウィン氏の共同研究者であったウォレス氏も人間だけは自然淘汰の原理が働いていない」と述べさらに、「ある知的存在が人間の発達を指導、決定した。」とも言っている。
また、ウォレス氏は「人間が去るから誕生することなどありえない」とも述べている。
突然変異
進化論者によると進化には恐ろしく年月がかかるらしく例えばキリンの首が長くなるまでに約2500万年かかっているが人間に関しては600万年で猿から人間になっているのだ。
たkだかクビが長くなるのに2500万年かかっているのに人間は600万年内で突然変異を何回も繰り返しているというのだ。
20万年前、突如現れたホモ・サピエンスの脳の容量は1400CCでその前の北京原人の脳は950CCほどなので50%増しになっているが、北京原人は言語を話さず、どう考えてもホモ・サピエンスの競合相手とは思えない。
そもそも進化は、ライバルが存在してこそだが、ライバルもいないのに進化するというのは理論上おかしな話である。
アヌンナキ説
約45万年前にニビルの大気が宇宙空間に拡散しそれによりニビルの生物たちは絶滅という星の存続の危機に遇う。
原因を突き止めたアヌンナキは、その解決策は黄金の粒子を利用してシールドを作り大気拡散の防御をするというもの。
アヌンナキの当時の王である「アラル」は太陽系の地球に金が大量にあることを発見する。
アヌンナキ達は都市を築いたあと金の採掘に便利な労働力を得ようと約30万年前の当時地球にいた猿とアヌンナキの遺伝子操作で掛け合わせ人間(ホモ・サピエンス)を創る。
そう、人類は彼らの労働を担う奴隷として誕生したのだ。
そして、メソポタミアの地に都市を築く。
彼らこそメソポタミア文明を築いたシュメール人なのだ。
当時の地球にいた猿人の女性から卵子を採取し、宇宙人アヌンナキの男子の精子と体外受精し遺伝子操作を行い宇宙人アヌンナキの女性の子宮で育てた。
これが全ての現人類の起源。
彼ら宇宙人アヌンナキは最初は表に姿を現して人類を指導していたが、その後は姿を消し彼ら宇宙人の直接の血を引く人々(ヨーロッパの王室など)や秘密結社を通じてマインドコントロール等で地球人類を操作しているという。
古代シュメール語聖書には神とは地球を訪問した異星人であり異星人の乗り物の燃料である金塊を採取するため地球に来たと記載されている。
エロヒム説
カーレーサーだったラエル氏はある日宇宙船に遭遇し降りてきた宇宙人エロヒムに出会い異次元の世界に案内され人類はエロヒムが創造したことが起源であると教えられた。
人類は異星人がその優れた科学力によって2万5千年前にクロ−ン技術によって創作したのである。
宇宙人は自分達はエロヒム(ヘブライ語で「天空より飛来した人」)であると名乗り地球の生命は全てエロヒムが大昔に創造したものだと語った。
彼らは文明が高度に発達した惑星から逃げ出してきた、科学者でDNAの合成実験により人口生命を生み出したという。
また、旧約聖書の内容は宇宙人による地球生命の創造を記したものだと語った。
エロヒムが人類を導くために送り込んだのがモーゼ・イエス・ブッダ・マホメット、などの宗教的指導者達で、その最期にして最大の予言者がクロード・ボリコン・ラエルであるという。
ラエルはエロヒムの最高指導者ヤーウェに導かれて彼らの惑星に行きイエス・ブッダ・マホメットらと会って会話をし自らの額から採取した細胞からクローンが創られるのを見たという。
ダーウィン自身が人類の進化に関して疑念を持っていた。。。
人類だけ急速にというか、中間を省いているような進化をしている。
生物学的には人間と猿との間にいたと思われる段階を「類人猿」と呼ぶがこの「類人猿」の化石は未だ発見されていない。
いわゆるミッシングリンク(失われている繋がり)だ。
だが、そもそもリンクなどなく操作され突如変化したのかもしれない。
人類の創造主=神=異星人が、一番しっくりくるかもしれない。
宇宙は「0と1」からできている!?
宇宙に関するどんな情報や理論も0と1で記述することが可能という命題がイギリスの「Express」紙から提示された。
電子機器を操作して現在ご覧のこの動画に辿り着いた方なら、0と1の部分にビビビっと反応されたことであろう。
そう、0と1は言わずと知れたコンピューターの世界。
0と1の世界とは?
我々が普通に使っているのは10進法といって0から9までの数字を組み合わせて数を表す。
だが、数の表し方は他にもあって2進法・8進法・16進法等が知られている。
2進法は0と1の2種類の数字だけを使って数を表そうという方法。
10進法だと0,1,2・・・・9と数えていって次で位が上がって二桁の10になる。
2進法だと0,1の二種類の数字しか使えないから0,1の次でもう位が上がってしまって10になる。
10進法の2が2進法の10なのだ。
この数え方で、0、1、10,11、100、101・・・と数えていき1001が10進法の9に当たる。
このへんは、そういうものだとサラっとすましておいた方がいい。
深く考え込むとかえって戸惑う。
私の経験上そう申し上げる。
全て0と1、こう考えよう。
ここで今回の命題に戻る。
宇宙は0と1の二つの数字が寄り集まってできたものだというのだ。
だから宇宙の事を説明するのにもこの二つの数字があれば事が足りるというのだが、どうも理解しにくい概念ではある。
コンピューターの中から電子回路のオンとオフだから0と1というのはスっと頭に入るのだが、ここでちょっと頭を揉みほぐそう。
お手持ちのパソコン、WordだろうがExcelだろうが、各種ブラウザであろうが、その他の映像ソフト、音声ソフト、CADソフト、全てどんな形の入力であろうとパソコンの中に入ってしまえば0と1に変換されているのだ。
そして、パソコン内での処理が済めばまた我々にわかる形で出力してくれる。
これを素直に受け止めようではないか。
全ての事は0と1に変換できるのだと・・・
Simple is Best !
これまで科学者たちは宇宙の時間と空間をいわゆる一つの時空として扱える理論が見つからないと言って四苦八苦していた。
行き詰った時は視点観点を変えてみる原点に立ち返って見るのが、我々人間が経験上学んだ常套手段。
どこにでも知恵者はいるもので、彼もその時ひらめいた。
「そうだ!京都へ・・・じゃなくて、そうだ!Simple is Best !」数学的に考えてみるのもアリではないかと宇宙の全ての情報も0と1で表せるのではないかと。
0 and 1 is Best !
カルフォルニア工科大学のショーン・キャロル博士も、その考え方の賛同者だ。
全ての情報は0と1から見出せるはずだと。
マサチューセッツ工科大学の量子情報学のセス・ロイド博士も「宇宙はまさに巨大な量子コンピューターである。
ビット単位の情報を系統的にシステム化し処理している」と。
高度な領域の論理物理学は、時として純粋数学へかえって行くものらしい。
しかし、宇宙の全てが0と1で解明できるとしても6月の雨上がりの空にかかる美しい虹、10月の澄んだ夜空にかかる星t月が変わるわけではないのだ。
0と1、ONとOFF、YESとNO,宇宙の現象はそれで記述できるとしても人間には第三の選択肢がある。
どちらでもない、どちらでもある、どちらかに決めてしまわない、棚上げにする、このあいまいでもどかしい選択肢を手放してはならない。
人類史に刻まれる偉大な発見5選(エジプト編)
偉大なるファラオ達の国、エジプト。
今日では8700万人の人口を抱え、北アフリカおよびアラブ諸国で最大の国である。
歴史学者・考古学者・研究家のたちの夢の宝庫であり、近代国家の中では最も長い歴史を持つ国の1つである。
そんな偉大な国の偉大な発見をご紹介していこう。
ギザの大ピラミッド
ギザの大ピラミッドはまさに傑作であり驚異的と言える。
世界の七不思議で唯一現存する建造物である。
現代の技術をもってしてもその精密さはマネできない。
ピラミッドには幾つもの興味深い事実が隠されており、考古学者や科学者・天文学者そして観光客をも困惑させる。
建築年代については諸説あり一般的にエジプト第四王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2560年ごろに20年ほどかけて建築されたと考えられている。
推定230万個の石塊からなる。
ツタンカーメンの墓
ツタンカーメンは王位についた時9歳であった。
もう王家の墓からは何も発見はないだろうと思われていたが、1922年11月にエジプト考古学者であるハワード・カーターが古代エジプト史上、最も重要な発見の1つを成し遂げる。
当時カーターは3000年以上も手つかずの未知の墓を発見した。
幾つかのアイテムの発見が彼をさらに探求へ駆り立てたがファイアンス焼きの杯、金箔、ツタンカーメンの名の付いた副葬品の数々を発掘した時、これはまさにエジプト史と自分のキャリアの中でも重要な発見へ繋がると確信した。
ツタンカーメン王のミイラは今も王家の谷に眠っている。
未完成のオベリスク
エジプトのアスワン北部エリアにある古代エジプト時代の採石場に残された加工途中の巨大なオベリスク。
オベリスクとは、古代エジプト(特に新王国時代)期にお制作され神殿などに建てられた記念碑(モニュメント)の一種である。
トトメス三世と共治王を務めた第18王朝5代目のファラオ、「ハトシェプスト女王(紀元前1508年〜1458年)」の命により作業が始められた。
施工者は基盤岩から直接切り出すように刻み始めたがヒビが現れたため途中で放棄されたと考古学者は考えている。
オベリスクの底面は依然として基盤についたままである。
もし完成していれば長さはおよそ42m、重さは1200tになったと推測される。
未完成なおかげで古代エジプトの石工技術が垣間見れる。
アブ・シンベル神殿
アブ・シンベル神殿とはエジプト南部、スーダンとの国境近くのヌビアの小さな村にある2つの巨大な岩でできた神殿である。
新王国時代第19王朝の王ラムセス2世の命により建造された。
大神殿は太陽神ラーを小神殿にはハトホル女神を祭神としている。
大神殿には岩山を切り出した4つの巨大な像があり、それらのデザインと精度には感嘆するばかりである。
長い年月砂に埋もれていたが1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって発見された。
クフ王の船(太陽の船)
クフ王の船は差がさ43.6m、横幅5.9mもの大きさで古代の最も古く大きく、また保存状態のいい船の1つである。
世界中の学者がクフ王の船は「木彫りも傑作」だと称賛し、研究かの中には今でも水に浮かべれば航海可能だと訴えるものもいる。
船が造られた目的に関しては、いくつかの説があるが航海に必要な索具を装備する場所や漕ぐ場所が不十分なことから太陽神ラーの下、復活する王を運ぶ儀式用の船だとする説や実際に水に浸した形成があるので防腐処置を施した王の死体を運ぶために使用されたか、クフ王自身が巡礼地を訪問するために使用したのではないかとされている。