2009年02月20日
ジョー・パスの「pass」
画像
左Finally: Live in Stockholm
中央:Joe Pass
右:Red Mitchell
アルバム詳細は:
http://hyoushigi.ld.infoseek.co.jp/artist/guitar/cd/22.html
天気予報で台風の進路を「コース」というのを聞いて
アメリカ帰りの友達の友達が
”日本ってへんよ
台風は「コース」じゃなくて「パス」なんだから”と・・・。
なんでも丸覚えはとても苦手なわたしだけれど
この発言を聞いて以来
「Pass」という単語の意味が
辞書で引いた 四角四面の意味あいではなく
「Pass」がとてもフィットした感覚で、
スルリと分かったような気がしました。
*********
で、今日のお題は
ジョー・パスの「pass」
ベイシストのレッド・ミッチェル(Red Mitchell) と
ジョー・パス(Joe・Pass)との出会いから
お互いの晩年までの約40年の「pass」を 紹介します。
Finally: Live in Stockholm /Joe Pass :Red Mitchell は
ジョーパスの死後 発表されたアルバムです。
ベイシストのレッド・ミッチェルとジョーパスとは
特別な友人というほどではありませんでしたが
何回かの出会いがあったのに、
レコーディングする機会には恵まれませんでした。
そして 初めて出会ってから40年後に
共演の機会に恵まれ 最初で最後の作品が
というこのアルバムです。
このアルバムに寄せるレッド・ミッチェルの想いは
とても深かったそうです。
1952年 レッド・ミッチェルがショー・パスを見たのは
ラスベガスのクラブでした。
レッド・ミッチェルは レッド・ノーボ(Red Norvo)のトリオの
ギタリスト:タル・ファーロ(Tal Farlow )が
怪我をしてしまって演奏が出来ないという事態になりました。
その時、ラスベガスのショーで
「恐ろしくギターの上手いギタリストがいる!」
ということを聞きつけ
すぐさま その男を探し出した・・・
それがジョー・パスでした。
そして、ショーをやる為に、
一端ロサンジェルスのレッド・ノーボの家に
ジョーを連れて行きまず、リハーサルをしたそうです。
「その日 とても美しくギターを奏でた
ジョーの技量と存在を目の当たりにした。」
これが レッド・ミッチェルがジョー・パスを記憶した始めての日でした。
次に 二人が顔を会わせるのが
16年後の1968年
「グッドモーニング・ロサンジェルス」という
TVのショーの仕事でした。
この番組の中で二人は、
「今日のベトナムで何人の米兵が死んだか」という
ボディー・カウンティングをするバックで
演奏することを依頼されていました。
選曲は「What A Wonderful World」でした。
レッド・ミッチェルは
「そんな曲はこの番組で演奏できない!」と激怒し、
変わりに「Softly As in a Morning Sunrise」を
ジョーとレッド・ミッチェルは演奏したそうです。
そして1992年 ストックホルムのライブハウスで二人は再会し、
レコードの録音をしました。
「Finally」終(ついに)に二人はここで会って、
最初にして最後の録音されたアルバムが
「Finally: Live in Stockholm /Joe Pass :Red Mitchell」
でした。
レッド・ミッチェルはこの日の録音に、
ジョーと出会いからこの日までの長い時間を込めて
熱い熱い想いを寄せているそうですが
この録音から1年後に他界し、
ジョーもそのあとの1年後1994年にこの世を去りました。
(記事内容はTabo Oishiさんによる4時間Joe Passラジオ特集より編集しました)
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