2019年12月22日
虐待と躾と愛情【良い子でいなければいけないという呪縛】親に感謝の気持ちがない感情への罪悪感
こんばんは
昨日、忘年会があり それなりに楽しかったのですが
ちょっとお疲れ気味のおふみです(職場の飲み会は気を遣うので、基本的に少し苦手です)
今回はちょっと重いテーマですが・・・
こんな親子関係もあるんだなぁと
気軽な気持ちで読んで頂けると嬉しいです
親と子の形は人それぞれなので
結論というのは、なかなか出ず難しいですね
敢えて言うのなら
「親に対して必ずしも、感謝や愛情を持っていなくても大丈夫」
というのが 私の持論です
このことについてお話すると、かなり長〜くめんどくさい話(笑)になってしまうので
省略しながら書きます
でも長いです
お付き合い頂けると有難いです(*´▽`*)
父について
我が家の父親は、いわゆるアルコール中毒で仕事はしていませんでした
そして、私が朝目覚めた瞬間から
まずは父親の機嫌がどうなのか、怯えることから始まりました
機嫌の良くない日には、学校へ行く前に
朝食の食べ方、支度の仕方などで怒鳴られ引っ叩かれる毎日でした
登校すると男の子たちに、真っ赤に腫れた頬っぺたをよくからかわれました
まぁ、あの頃は親の暴力は、いたって普通の事でしたので
皆さんもそんな経験、一度や二度はあったのではないでしょうか?
学歴への異常な執着
帰宅後にはとにかくまず勉強です
父親独自のテキストを、ひたすら解きまくります
途中、鉛筆の持ち方が悪い、姿勢が悪いなど
気になることがある度にグーパンチが飛んできます
泣きながら机に向かっていると
今度は泣いていることが腹立たしいようで
横蹴りが入り、椅子に座ったまま床に倒れます
時には木刀(なんで我が家にあったのか不思議ですが)でフルスィングなんて事もありました
と、まぁこんな感じが日常でした
学歴至上主義であった父親は、将来の私が困らないように躾をしていたのかもしれません
今となって思えば、自身が果たせなかった成功や悔しい気持ちを
私が代わりとなり可能となることで
その心の穴を埋めたかったのかなぁとも考えたりしました
まだ学歴というものに大きな価値をもっていた時代でしたから
私の寝床という名の隔離
夜には好きなテレビを観ることが許されませんでした
同級生がゴールデンタイムの流行りのテレビを観ている時間に
就寝時間になってしまいました
何故か小さい我が家の居間の隅には、父親が作った私の寝床がありました
そこは柵のようなもので囲まれていました
「寝ろ」という父親の一言で
その寝床に入ると南京錠(今の方はピンとこないかもしれませんね(;^_^A)
で中からは開かないように閉められました
「あー明日も友達と共通の話題に乗っかれないのか…」と
泣きながら眠りにつくのが日課のようになっていました
この事に関しては、少し異常だったのかなとも思いますが
もしも、何らかの意図があったとしたら躾と虐待の分け方というのは、難しいものですね
良い子でいなければいけないという呪縛
何かの拍子で突然キレては、殴り蹴りでしたので
常に言動に注意していなくてはと思い、怯えながら日々を過ごしていました
私が悪い子だから両親は怒るんだ・・
良い子でいなければ・・
良い子でいれば、きっと何もされない・・
張り詰めた緊張感をもって365日を過ごさなければいけなかった事は
正直やはりしんどかったです
殴る、蹴る、踏みつけるなどといった
肉体的な暴力は痛みも伴い、骨折などで不自由な生活になり
それはそれで嫌でしたが
何よりも父親の顔色をうかがって、息をひそめる毎日が苦しかったです
ちなみに、そんなとき母親はというと
やはり同じように恐怖心を抱いていたのか
「貴方、もうそのくらいにしておきなさいよ」と呟くくらいで
我が子を暴力から守るという様子は全くありませんでした
また母親との関係についても、書く決心がついたら
改めて機会を設けて載せますね
暴力の根底にあったもの
それは愛情?憎しみ?躾?親の心の問題?
いずれにせよ、両親に私への愛情があったのか、なかったのかは分かりません
愛情の裏返しだったのか
親自身の心の闇が、そうさせたのか
外国籍を持っているという、少し特別な状況が父親の心を揺さぶっていたのかもしれません
今の私を形成したもの〜自分が大人になって〜
今の私が人に異常に気を遣ったり
他人の評価にいちいち過剰反応してビクビクするのは
親のせいだ!なんて考えていた時期もありました
自己肯定感がないのも、親のせい…とも思っていました
誰か、何かのせいにしたかったのかもしれませんね
現在は、こうして冷静に思い返すことが出来ますし
社会人になってからの様々な経験や環境の中で
自分自身が影響を受けた要因も多くあると思いますので
今では一概に、親が悪いとは思っていません
親への感謝の気持ちとは
だた親に対して素直に「大切に育ててくれてありがとう」
と感謝の気持ちを持つことは、いまだに出来ません
もちろん私が今こうして存在しているのは、両親のお陰ですので
この自分の気持ちをいけない事だと、自己嫌悪に陥ったり責めたりもします
しかし自分も子供を育て、一緒に生活していく中で
親と子供は別の人格であり
他人が親への感謝の気持ちなどを強要するのは、おかしな話だと感じるようになりました
虐待の現状
日本で児童虐待が注目されるようになったのは、1990年代に入ってからだそうです
そして2000年11月には「児童虐待防止法」が施行されました
昨年の報告で児童相談件数は、約16万件弱だそうです
この中には身体的虐待だけでなく、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトなども含まれています
これは子ども虐待防止オレンジリボン運動のHPから
引用させて頂きました
児童虐待防止全国ネットワークのサイトはこちら
今でこそ様々な悲しい報道で「虐待」というワードに注目されていますが
我々が育った時代には
親の言うことは絶対であり手を上げるのも躾の一環
という風潮があったように思います
ですから私のような境遇の方は、割合たくさんいらっしゃるのではないかと想像します
無償の愛
親は子供に無償の愛を注ぐのが当たり前という考え方も
若い親御さん達の呪縛にもなっているのかもしれない、とも思ったりします
親も人間ですから、ついカーッとなって
お子さんに手を上げてしまうことがあるのもよく分かります
私自身も息子のとてつもない反抗期に悪さをしていた頃は
鬼のように手を上げていたこともありました
親も人間です
ただ、その根底に絶対的な愛情があるかどうか
という事はとても重要なポイントだと私は考えています
最後に
「親子の関係は人それぞれ 様々な形があっていい」
と私は思います
こうあらねばならない…と考えてしまうと
親も追い込まれ、子供も逃げ場をなくしてしまうかもしれません
本のご紹介
私が以前 読んで昔を思い出して号泣してしまった書籍を2冊ご紹介させて下さい
【愛を乞う人 下田裕美さん著】
価格:528円 |
容赦ない母の仕打ちを受けた日々、母への限りない憎しみと愛への渇望
主人公の女性が過去を紐解き苦しみながらも
今時のカラッとした明るい娘との未来を歩いていく感動の長編小説です
私が印象に残っている一文があります
「どうして、あれほどせっかんされたのか。(原文まま抜粋)
わたしはやっと、考えなくなりました。暴力と恐怖でわたしを支配し、虐待した人間の心情など、
理解しなくてもよいのだと、やった気がついたのです。わかってやらなくてよいのです。
わたしはやっと、母を捨てられそうになったのですね」
【母さんがどんなに僕を嫌いでも 歌川たいじさん著】
「ほぼ夫婦です」というブログを書いていらっしゃる歌川たいじさんが
幼い頃に母親から虐待を受けながらも
母親の寂しさ、苦しさを理解しようとされ
20年間という長い月日をかけて、母の愛をあきらめなかったご自身のお話です
歌川たいじさんのお人柄がよく分かる
ちょっと悲しくて、少しユーモアもあり、とても読みやすい本だと思います
少し前に映画化もされました
長く重たい記事を後まで読んで頂き ありがとうございますm(__)m
また明日から、無理せず出来る範囲で頑張っていきましょう
ではでは おやすみなさい
最後までお読み頂きありがとうございますm(__)m
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タグ:親子関係
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