2023年1月29日、私の母方の祖母が、90歳で亡くなりました。
実は2022年10月24日から、うちで暮らしはじめてくれていたんですが。
それまでは長女である私の母が、一日置きに様子を見たり、介護をしに実家に帰っていたのです。
母の実家には同じ敷地内に、母方の祖母の家と、母の弟さん(長男)夫婦の新築の家、そのご子息夫婦の新築の家があるんですが、本人の希望もあってか、母の実家でもある、かなり古い家に一人で住んでいたのです。
(ちなみに母方の祖父である旦那さんは、私が小学生高学年の頃に早逝。)
本当に古い田舎の家なので、トイレやお風呂は別に外に造られているような、今の若い人にはちょっと想像できないかもしれない、土間のある、平屋の作りです。
次に大きな地震や台風がきたら壊れてしまわないか心配になるような家だったので、私もかなり前から「良ければ、うちで一緒に暮らしてもらったら?」と話はしていたのですが。
弟さんのお嫁さんには持病もあり、一緒に暮らしながらの介護は難しい状況だったようなので、徘徊等、本格的に心配な症状が出てきてから、うちで最期に近い時まで一緒に暮らしていただけたことはとてもありがたいことでした。
私にとって母方の祖母は、本当に天使のような人だったので。
ガンジーかマザーテレサか、母方の祖母、くらいの人格者。私にとっては人類史上最高峰ともいえるぐらい、本当に素晴らしい人だったのです。
ご自分はそんな風に古い家で暮らし、自分のための贅沢なんてしなかったのに、子供の頃のお年玉は毎年もったいないくらいにたくさんいただいてしまっていたし、大勢の親戚の人が集まるのに出されるお料理はものすごい品数と量なのに、本当にどれもとても美味しかった。
男だから女だからと兄と私を差別することなく、いつも温かい目と態度で見守ってくれていました。
お刺身などの生モノが苦手な私は、自分が食べられないぶん、タコやマグロの切り身をその家にいた猫ちゃんにあげたりしていたのですが、それさえ慈愛の眼差しでゆるしてくれた人です。
今思えば、普通、子供でもそんなことをしたら少しは嫌な顔をされそうなものですけれど。本当に優しい人でした。
お正月やお盆など、年に数回しか会えなかったけれど、母性的な優しさや愛というものや、正直さや人の悪口なんて言わない善性、人間の良い面を本当に体現してくれていた人だったのです。
早くに亡くなった母方の祖父も、母の弟である叔父さんたちも優しく、素晴らしいひとたちですが。
(ちなみに、末弟の叔父さんは若い頃からまさに美形の色白で髪サラッラサで品のある優しい笑顔を絶やさず、まさに王子様という外見かつ性格もすごく優しくて、その上入学等にいただくお祝いのお品等も高級かつセンスがあるという、ほんっとうに完璧以上に完璧そうな方ですが、結婚せず、子供もいません。なぜかは知りません。ただとても謙虚な性格であることは確か。外見や人格と恋愛結婚うんぬんは関係ないことがこの方一人でも証明されていると思うほど。実際、謎の自信だけはある変な人ほどモテたり、何度も結婚して子供もたくさんいるパターンもあるではないですか。恋人や伴侶がいる、結婚しているしていないことと、人間性とは全く関係ないと思うのです。女性の親戚でも素敵なお姉さんが未婚ですし。まあ私自身は性格等問題あるの自覚しているので置いといて。)
だからこそ、なんだかなと。
世の中には悪いことをしてでも大金持ちとなって贅沢している人もいれば、数え切れない人を苦しめている独裁者のような人が国葬され、良くも悪くも後世に名を残したりと。
結局、人として本当に素晴らしい人が世間的に讃えられるとも限らないし、有名になるわけでもない。
お葬式が豪勢で、参加する人数が多ければ多いほど、世界を良くしてきた人とも限らないし、人を救ってきたわけでもない。
人間のこの世界って本当に、もっと上手くできていればいいのにな、と
善人だけが豊かになれるのなら、間違いなく母方の祖母は世界有数の大金持ちになっているはず。
善人だけが著名になり、後世に名を残すのなら、彼女は世界中に人類の鏡として讃えられているはず。
何なんだろうなあ、この人間世界ってやつは。
そしてね。私はコロナ的な制度のあれこれや人数の都合もあって、お通夜だけの参加だったのですが。
そのお通夜でね、かなりご高齢の住職さんとはいえ、長〜〜〜い、お経が終わったあとでのご挨拶が正直すごくムカついたんですよ。
「女性は成仏できないとされているんですが、こちらの宗派ではそれを救うお経があって、それをよみました」的な。
いや知ってますよ。宗教関係の色々は資料や趣味で色々読んでますから。
でもね、そんなんお通夜の場でわざわざ言う? ここは普通、故人の生前の良き生き方を褒めるだけでいいところですよね?
私の父なんかのときは、外面だけ良くて家族には毎日怒鳴り散らしてた事実なんてなかったかのように褒められてたのに。
女性っていうだけで、そんなに救われないわけないじゃないですか。
私はね、チベット密教のように、もし極楽があるのなら、亡くなったら速攻で最高の極楽浄土で目覚めるくらいの最高位の魂が母方の祖母だと思ってます。そういうレベルの人なんですよ。少なくとも私にとっては。
だいたい既存の宗教でも、女性は救われないとか業が深いとか、そもそも男性側が自制心をもって誘惑されなきゃいいだけの事象についても、ただ存在するだけで肉体的に誘惑する女性が悪いとか、女性性そのものを悪魔的に解釈するものが多すぎる!!
馬鹿なのか!! 今この世界中で起こってる犯罪でも戦争でも、凶悪な事件のほとんどが男性が起こしてる事実はどこに?
なんで本当に酷い事件を実際に起こしている、肉体的に女性よりも遥かに強い男性側をそこまで持ち上げなきゃいけないわけ?
仕事の収入も教育も、女性に平等に受けさせないのは、どう考えても『性的に搾取しやすくさせるため』なのに。
何千年何万年前からこの悪癖はまだまだ変わらない国も多いし、時代や政権によってはより悪化している。
とかいう諸々を考えてしまって、もちろんお通夜の最中は無言と無表情で耐えましたが、怒りのオーラくらいは出てしまったかもしれない。なんで人間ってこんな何千何万年も心や精神性の進化をしないんだ!!
とね。男性、女性関係なく、素晴らしい人は素晴らしいし、下衆な人は下衆なのに。
なんだか怒りと虚しさと、全世界に叫びたい気持ちでいっぱいになってしまって。
せっかくそれまでシンプルだけど綺麗で、とても良いお式だなあと思っていた気持ちが台無しに。
私の父方の祖父の祖父くらいの人は、お坊さんだったらしいんですけど。
それでももう、やっぱり私のときは仏教のお葬式すらいらないわと。
なんかもう、女性に優しい新しい宗教でも立ち上げてやろうかと思ったほどですよ。
大事な人には意識がなくても長生きしてほしいと思うものなんだなと思ったり、でももしそれが自分の立場だったら、やっぱり早く安楽死させてほしいから、ただ長生きを願うのも違うのかもとか色々生前も考えていたものですが。
できれば母方の祖母が元気で生きてくれているうちに、もっと良い環境でゆっくり暮らしてほしかったけれど。
何も恩返しできないうちに亡くなってしまったことが私の心残りです。
そんなわけで。
最近の私は、母方の祖母の遺品の整理を手伝立ったりしているわけですが。
母方の祖母の残した家は、ある意味、『ゴミ屋敷』とも言えるかもしれないけれど、例えば汚れたりカビたりしている衣装ケースや洗濯カゴなどを、ピカピカに洗い上げて新品同然にする作業は好きなので、けっこう楽しいのです。
母方の祖母は、歌ったり踊ったり、人前で発表することも得意だったようで、そういう写真も出てきたり。
私にはできないことや、不得意なことをやってのける人だったんだなあと。
見習いたい点や、こういう風に生きてみたいと思うことも多々あり。
トルコの地震やウクライナ情勢等、日々のニュースを観ていると、私のどうでもいい日常のことなど日記などで書くのもどうかなと思うこともありますが……。
まあ私は私で、生きているうちに、どうでもいいことを好きに更新するのも正しいことかもしれないとも思います。
誰もがみんな、いつ命を終えるかわからないご時世ですしね。
ただ、『千羽鶴』よりも、一円でも寄付したほうがありがたい世界情勢ではあると思います。
以前から言っていますが、『一億人が一円寄付したら一億円』なので。
だって砂漠で水と食料に飢えてる人に、心を込めて折った千羽鶴を渡して「心から応援してます!」っていうよりも、もしも心がこもってないとしても、『一本のペットボルの水』のほうが、その人の命を確実に救えるのは明白じゃないですか。
人殺しのレイプ犯よりも、スカーフの被り方一つで女性が罪に問われ殺されてしまう国もあれば、情報統制で矛盾した政権が支配している私達のような国もある。何万年生きたってこの程度のレベルで生きてるのが人類だから。
それでも正しい生き方を選択した方人間の魂のほうが、どれだけ美しく尊いものかと思います。
死後の魂の行末なんて誰にもわからないけれど、自分自身には誇れるはず。
汚い生き方をいて楽をしたやつもいたけれど、私はそれを選ばなかった。
馬鹿げてるかもしれないけど、自分に恥じる生き方だけはしなかった、と。
タグ:母方の祖母 お通夜
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