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2015年05月11日
【知りたくなかった雑学】最悪だ!!一休さんの酷すぎる私生活!!
とんちで有名な一休さんは以前にアニメでも放映されていたので知ってる方が大多数ではないでしょうか。
愛くるしい顔にしっかり刈り込まれた坊主頭。
気さくな性格でどんな困難にもとんちを効かせて乗り越えていく姿は有名なですよね。
ですが、この一休さんの実物はこのイメージから真逆な方なのです。
一休宗純の漢詩集「狂雲集」(狂雲は一休の号。一休の死後、弟子たちが編纂した)には、読んでいるとこっちが恥ずかしくなるくらい際どいことが書かれています。
一例を紹介しますと…
「美人の陰(女陰、女性器)に水仙花の香あり」「盲女夜々吟身に伴う」
などです。内容は想像にお任せします。
これは森女(しんにょ)という年若き瞽女(ごぜ、盲目の女艶歌師)と恋に生きるときの詩文です。
一休は78歳の時、この森女(30歳くらい)と出合い、エ◯チなどをしています。
また「女をば、法のみ蔵(くら)というぞ実(け)に、釈迦も達磨もひょいひょいと生む」と詠んで、川のほとりに水浴びをする裸の女性の陰部を礼拝したといいます。
一休は師である華叟(かそう)のもとを離れてからは定住することなく、一介の雲水として歩き、酒、肉食もさることながら女とのエ◯チもヤルなど、平気で戒律を破ったといいます。
それに加え衆道(ゲイ)、肉食などの禁忌破りや、奇行も多かったと言われております。
そんな変わりものだったからこそ、とんちが得意な一休さんというキャラクターが確立されたのでしょうね。
一休がこのような行為に走ったのは、苦しむ人々を顧みず、豪商や武士たちと茶道や文芸にうつつをぬかす、大寺院の禅に対するやりきれない憤りと苛立ちがあったのでしょうか。
また、一休は天皇の子供であった事でも知られています。
数々の史料が、そうであることを示しています。
一休の母は、南朝系の高官の娘で、懐妊後、御門の命を狙っていると讒言されたため、御所を出て、一休を産んだとされています。
尚、一休の幼名が「千菊丸」というのは、後世の書物にしか出て居ません。
実に忙しく壮大な人生を謳歌した方なのてすね。
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