2019年10月12日
エリアス・カネッティの「マラケシュの声」で執筆脳を考える2
2 作品の背景
エリアス・カネッティ(1905−1994)は、偶然にフィルムチームに加わりモロッコのマラケシュへ行くことになった。帰国後、ロンドンでマラケシュの印象をまとめる。古典的な意味での旅の報告ではない。オリエントの大都会の雰囲気が漂う様々な文化現象の模型作りのためである。
カネッティは、この町のアラブとユダヤの街区を通り、不思議な匂いを嗅ぎ、値切り商人と香ばしいパンの売り子を観察し、スラムで盲人、乞食、身体が不自由な障害者の声を聞いた。駱駝の前では屠殺係りの肉屋と一緒に頼りない創造性と間近の臨終を感じ取り、多くの哀れなユダヤ人の顔に驚き、親蜜な人間関係の証人となり、悪意、貧窮、売春を見て、より良い生活への羨望を感じた。控えめな主観性による散文集の中で、現実の背後にあるファイナルを解き明かすその声や行動に文化観察者の五感が冴え渡る。
「マラケシュの声」は、読者にとり信頼できる友となるような本であり、惨めさやオリエントの悲惨さの叙述から人間の存在の縁で見知らぬ者に対し人間味とか兄弟のような親密さからある意味で喜びを放つ本となっている。
カネッティは、1905年にブルガリアのルスチュクで生まれた。第一次世界大戦後、家族でウィーンに移住し、フランクフルトで高校を卒業した。ウィーンで自然科学を学び博士となり、ナチスのオーストリア併合後、ロンドンに移住した。1939年以降、文化現象を追いながらドイツ語で著作を書いたユダヤ人の作家兼放浪者であり、1981年にノーベル文学賞を受賞している。文体は簡潔であり、現実と非現実の境を暗示しつつ巧みに切り分け、優しい平易な表現ながら迫力がある。
花村嘉英(2019)「エリアス・カネッティの『マラケシュの声』の執筆脳について」より
エリアス・カネッティ(1905−1994)は、偶然にフィルムチームに加わりモロッコのマラケシュへ行くことになった。帰国後、ロンドンでマラケシュの印象をまとめる。古典的な意味での旅の報告ではない。オリエントの大都会の雰囲気が漂う様々な文化現象の模型作りのためである。
カネッティは、この町のアラブとユダヤの街区を通り、不思議な匂いを嗅ぎ、値切り商人と香ばしいパンの売り子を観察し、スラムで盲人、乞食、身体が不自由な障害者の声を聞いた。駱駝の前では屠殺係りの肉屋と一緒に頼りない創造性と間近の臨終を感じ取り、多くの哀れなユダヤ人の顔に驚き、親蜜な人間関係の証人となり、悪意、貧窮、売春を見て、より良い生活への羨望を感じた。控えめな主観性による散文集の中で、現実の背後にあるファイナルを解き明かすその声や行動に文化観察者の五感が冴え渡る。
「マラケシュの声」は、読者にとり信頼できる友となるような本であり、惨めさやオリエントの悲惨さの叙述から人間の存在の縁で見知らぬ者に対し人間味とか兄弟のような親密さからある意味で喜びを放つ本となっている。
カネッティは、1905年にブルガリアのルスチュクで生まれた。第一次世界大戦後、家族でウィーンに移住し、フランクフルトで高校を卒業した。ウィーンで自然科学を学び博士となり、ナチスのオーストリア併合後、ロンドンに移住した。1939年以降、文化現象を追いながらドイツ語で著作を書いたユダヤ人の作家兼放浪者であり、1981年にノーベル文学賞を受賞している。文体は簡潔であり、現実と非現実の境を暗示しつつ巧みに切り分け、優しい平易な表現ながら迫力がある。
花村嘉英(2019)「エリアス・カネッティの『マラケシュの声』の執筆脳について」より
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