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2019年07月04日
神社名に惹かれて行ってみた! 七夕神社【熊本県山鹿市】
七夕神社【熊本県山鹿市】
神社の名前に惹かれて行ってみました。
第六十一代朱雀天皇の頃、世の中が大変乱れたため、
この世の平安を祈って天慶三年(940)七月に創建されたのが、
岩原八幡宮(七夕神社)です。
肥後国司の尾藤隆房が直々に建てたほどの
由緒ある神社なのです。
ここは、三ツ棟の幣殿で、回廊があり、東に唐門、
北に不老門、南に弥勒寺を従えた当時としては
壮大な構えの神社でした。
また、下宮として八幡宮、若宮神社、春日神社や
桜井大明神、住吉、葉山、妙見などは全てこの関連の社でした。
その後の後醍醐天皇の頃、
菊池肥後守 藤原武重、菊池肥後守 武光は神社を修復し、
七月七日には社頭の東で神輿を納め、種々のお祭りも催しました。
しかし、この由緒ある神社も天正九年(1581)
島津軍の肥後侵略の時に兵火に遭い、
灰塵となってしまいました。
そこで文禄四年(1595)、祀官の緒方大神惟仲が
小さいお堂を建てて八幡宮を再興して、七月七日と
十月七日を両祭日と定めました。
拝殿
御祭神:誉田別命(応神天皇)
七夕神社の名前から、もしかすると御祭神はニギハヤヒかも?
と思ってきたのですが、八幡宮でした。
拝殿の後ろに本殿に上がる階段があります。
本 殿
この神社も猿田彦大神石碑が並んでます。
岩原八幡宮がいつの間にか
「七夕神社」と呼ばれるようになったのは、
七月に社が建てられ、七月七日に神輿のお祭りがあり、
祭礼が七月七日と定められたことによるものと考えられています。
現在、本来下宮だった社が岩原八幡宮となっています。
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神社の名前に惹かれて行ってみました。
第六十一代朱雀天皇の頃、世の中が大変乱れたため、
この世の平安を祈って天慶三年(940)七月に創建されたのが、
岩原八幡宮(七夕神社)です。
肥後国司の尾藤隆房が直々に建てたほどの
由緒ある神社なのです。
ここは、三ツ棟の幣殿で、回廊があり、東に唐門、
北に不老門、南に弥勒寺を従えた当時としては
壮大な構えの神社でした。
また、下宮として八幡宮、若宮神社、春日神社や
桜井大明神、住吉、葉山、妙見などは全てこの関連の社でした。
その後の後醍醐天皇の頃、
菊池肥後守 藤原武重、菊池肥後守 武光は神社を修復し、
七月七日には社頭の東で神輿を納め、種々のお祭りも催しました。
しかし、この由緒ある神社も天正九年(1581)
島津軍の肥後侵略の時に兵火に遭い、
灰塵となってしまいました。
そこで文禄四年(1595)、祀官の緒方大神惟仲が
小さいお堂を建てて八幡宮を再興して、七月七日と
十月七日を両祭日と定めました。
拝殿
御祭神:誉田別命(応神天皇)
七夕神社の名前から、もしかすると御祭神はニギハヤヒかも?
と思ってきたのですが、八幡宮でした。
拝殿の後ろに本殿に上がる階段があります。
本 殿
この神社も猿田彦大神石碑が並んでます。
岩原八幡宮がいつの間にか
「七夕神社」と呼ばれるようになったのは、
七月に社が建てられ、七月七日に神輿のお祭りがあり、
祭礼が七月七日と定められたことによるものと考えられています。
現在、本来下宮だった社が岩原八幡宮となっています。
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