2015年09月15日
愚息よ!君は「ありがとう」の反対語を知っているかい?
まだ、ちぃちゃんに大きな変化はないようです。今日が予定日ですがもう少しかかるようです。
お里に帰ってから二日目ですが家に帰っても「おかえんなあさぁい。」と言ってくれる人がいないのは寂しいものです。
愚妻は風をひいてしまい、かわいそうに寝込んでいるので息子の弁当を作ってやることにしました。
わたしも仕事に行かなければならないので、近くのすーぱーで買ってきた冷凍食品(日曜日は冷凍食品全品半額DAY)をゴロゴロ入れてハイ出来上がり。
ご飯は夕べかみさんがつらいなか、炊飯予約をしておいてくれたので朝、ふっくらと炊きあがっていました。
日曜にかみさんの実家のばぁちゃんのところからもらって来たばかりの今年の新米です。
有難いことです。
ばぁちゃんのうら庭20坪くらいに雑草が伸び放題でしたのでエンジン草刈機で、シャワラン、シャワランと20分くらいできれいに刈れました。
気のみ気のままハーフパンツで行ったので、ばぁちゃんは「その格好では無理やから!」と言ってくれたのですが構わずやったので、少し足がかいぃ〜事にはなりましたが。
夜、かみさんにばぁちゃんから驚くほど長い草刈りの御礼のメールが入っていたそうです。
帰ってきた「おろかな息子」はかみさんの「お弁当どうしたの?」という問いに「お父さんが作ってくれた!」「へぇ〜」と妻。「冷凍食品祭りやったわ!」と愚息。
父は「思い知ったか!いつものふわふわのだし巻き卵や、カリッカリのウインナーやミニトマトにレタスやきゅうり祭りだとでも思ったか!ガッハッハ!」
「当たり前」だと思っていたことが本当は当たり前ではないのだ!
ちぃちゃんがあなたがまだ、すやすや寝ている時、腱鞘炎と闘いながら作っていたのだ!
「有難い」(なかなか無い)ことなのだ、それが無くなったり変わった時、人はそのありがたさを初めて知るのだ。
帰れば家があること、水害で家を無くした方々を知り、家があることが当たり前でないことを知る。
帰らぬご主人を泥沼のなかで探されている方を見、妻がいることが決して当たり前でないことを知る。
歩くことさえ、障害を持たれてままならぬ方を見て有難いと知る。
愚かなわたしを含めて人は失って初めてそれを知る、ならば失う前にそれを当たり前でないこと(有難い)と知っていたいと思うのだ。
「感謝しろ」と父は言わない。ただ、当たり前はないのだ。有難いのだよ!
孫に望むことはただひとつ「ありがとう」と「ごめんなさい」が素直に言える子に育って欲しいと思うのだ、
君のように!
蛇足、愚息の意味は我が子を”バカ息子”と謙遜していることが本来の意味ではありますが、上記のような意味もあるということでしょう。日本語や漢字の素晴らしさは、同じ語がいろいろな意味を持ち文章の中でどちらの意味合いが強いかを読み解く楽しみもあります。(愚には愚かという意味の他に愚かな私という一人称の意味もあります。)
お里に帰ってから二日目ですが家に帰っても「おかえんなあさぁい。」と言ってくれる人がいないのは寂しいものです。
愚妻は風をひいてしまい、かわいそうに寝込んでいるので息子の弁当を作ってやることにしました。
わたしも仕事に行かなければならないので、近くのすーぱーで買ってきた冷凍食品(日曜日は冷凍食品全品半額DAY)をゴロゴロ入れてハイ出来上がり。
ご飯は夕べかみさんがつらいなか、炊飯予約をしておいてくれたので朝、ふっくらと炊きあがっていました。
日曜にかみさんの実家のばぁちゃんのところからもらって来たばかりの今年の新米です。
有難いことです。
ばぁちゃんのうら庭20坪くらいに雑草が伸び放題でしたのでエンジン草刈機で、シャワラン、シャワランと20分くらいできれいに刈れました。
気のみ気のままハーフパンツで行ったので、ばぁちゃんは「その格好では無理やから!」と言ってくれたのですが構わずやったので、少し足がかいぃ〜事にはなりましたが。
夜、かみさんにばぁちゃんから驚くほど長い草刈りの御礼のメールが入っていたそうです。
帰ってきた「おろかな息子」はかみさんの「お弁当どうしたの?」という問いに「お父さんが作ってくれた!」「へぇ〜」と妻。「冷凍食品祭りやったわ!」と愚息。
父は「思い知ったか!いつものふわふわのだし巻き卵や、カリッカリのウインナーやミニトマトにレタスやきゅうり祭りだとでも思ったか!ガッハッハ!」
「当たり前」だと思っていたことが本当は当たり前ではないのだ!
ちぃちゃんがあなたがまだ、すやすや寝ている時、腱鞘炎と闘いながら作っていたのだ!
「有難い」(なかなか無い)ことなのだ、それが無くなったり変わった時、人はそのありがたさを初めて知るのだ。
帰れば家があること、水害で家を無くした方々を知り、家があることが当たり前でないことを知る。
帰らぬご主人を泥沼のなかで探されている方を見、妻がいることが決して当たり前でないことを知る。
歩くことさえ、障害を持たれてままならぬ方を見て有難いと知る。
愚かなわたしを含めて人は失って初めてそれを知る、ならば失う前にそれを当たり前でないこと(有難い)と知っていたいと思うのだ。
「感謝しろ」と父は言わない。ただ、当たり前はないのだ。有難いのだよ!
孫に望むことはただひとつ「ありがとう」と「ごめんなさい」が素直に言える子に育って欲しいと思うのだ、
君のように!
注)「愚息(ぐそく)」とは、「おろかな息子」という意味ではありません。
「愚かな自分」の息子という意味で「親の自分をへりくだって」いう意味です。
「愛娘(まなむすめ)」とは「親の自分には眼に入れても痛くないほどかわいい娘」との「自分の親馬鹿ぶりをへりくだって」いう意味です。
「愚妻(ぐさい)」というのも「愚かな自分にはもったいない妻」と「夫である自分をへりくだって」いう意味です。
一応、誤解のないよう念のため。
出典 yahoo!知恵袋
蛇足、愚息の意味は我が子を”バカ息子”と謙遜していることが本来の意味ではありますが、上記のような意味もあるということでしょう。日本語や漢字の素晴らしさは、同じ語がいろいろな意味を持ち文章の中でどちらの意味合いが強いかを読み解く楽しみもあります。(愚には愚かという意味の他に愚かな私という一人称の意味もあります。)
この記事へのコメント
いつも素敵なブログを読ませていただき、幸せな気持ちになります*\(^o^)/*
Posted by ちまき at 2015年09月16日 22:03
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