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高坂圭
フリーランスの放送作家・脚本家、コピーライター として活動し、33年目を迎えました。 最近は、物語プランナーとして、ストーリーの力で ビジネスをアップするクリエイターとしても活動しています。
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2023年10月04日

どうせなるなら、海馬脳炎


信じられない人がいる
ある日突然海馬脳炎という病気に
なって倒れた。
彼は病室で妻に言った。
「今度のライブ、高坂さんにお願い
しなさい」

翌朝妻から電話がかかった。
「あのね、マスターがね、再来月の東京からの
ジャズライブ、高坂さんにお願いしたいって」
涙混じりで半分何を言ってるわからないまま
電話が切れた。

僕は彼らと知り合ってまだ二ヵ月ぐらい。
戸惑いながら店に駆け付けた。
「どういうこと?」
ママは言った。
「私もわからない。でもプロデュースを
高坂さんにお願いすればいい、とマスターが」

しついこようだが、知り合ってまだ二ヵ月。
そんなに親しくない。
でも仕方ないから、料亭を貸し切り、客を集めた。
総勢100名。満員だった。

そんな一連の出来事をマスターが退院したときに
話した。
彼は言った。
「ごめん、覚えてない」

つい最近、そのマスターは入院した。
足がとてつもなく腫れ、悪い腫瘍の恐れあり。
しかし彼、痛くも痒くもない。
心配して僕は駆け付けた。
マスターは無事退院していた。
「大変だったね」
声をかける僕に、
「ごめん、覚えてない」

イヤな記憶がよみがえった。
彼が鍼灸師の資格を取り、マッサージ店を
開いたときのことだ。
僕は少しでも足しになればと連日通った。
いつもわずかに凝りの残る、半端な治療だったが、
そこはご近所、言葉にはしない。
可愛い女の子が助手として働いていたし、
雰囲気は悪くなかったし。

彼が海馬脳炎で倒れたのは、店がちょっと軌道に
乗り始めた矢先だった。
退院後、マスターが言った。
「マッサージ店を開いた1年あまりの記憶が全くない」
「可愛い女の子がいたことは?」
「それは覚えてる」

マスターは目が見えないせいもあり、隣にいつもいる
ママは出会ったままの20歳だし、娘は小学生の
イメージで止まっている。
そう、イヤなこと、つらいことはすべて忘却の彼方なのだ。

どうせなるなら、海馬脳炎。
僕はいま、この言葉を呪文のように唱えている。




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