30年前には、考えていなかった。
今も空手を続けていることを…。
小学2年で、ジャッキー・チェン、ブルース・リーに憧れ、自宅から50メートルの道場に通いだした。大津直之介先生に出会う。
中学3年時に、松濤杯の世界大会(たしか第1回 オーストラリア ブリスベーン)に参加、町の道場が世界に通じていた事を知る。高橋先生に会う。
水城高校のとき、空手が嫌で嫌で、逃げ出したかった。
田中大孝先生の顔見るのも嫌でした…。辞める選択は選ばなかった。
まだ納得出来ない自分と、憧れの先輩を追いかけて、大学でも空手を続ける。
また逃げ出したい毎日。描いていた結果までたどり着けなかった。
高橋俊介先生に、世界で空手ができる事、空手が仕事になる事を、鞄持ちをしながら触れる事ができた。
大学も終わり、空手しか知らない自分に気がつく。
協会本部にもお焦がれていたが自分なんか無理と諦める。
同期の水町に口説かれ、「一緒に研修生なろう」酒を飲みながら返事をしてしまい、 大石師範に協会に進み、研修生になりたいと水町と行くが、認められなかった(笑)
家業が飲食店で、近い存在だった飲食業。
いずれ継ぐだろうと、東京でアルバイト。社長に気に入られ、社員に。
厨房に入りたかったが、「お前の性格は、ホール」とホール長になる。
出来ちゃった結婚で、かみさんに捕まり、安い給料の飲食業。
ヒモ生活が始まる(笑)
15年前、実家に戻り、家業を継ぐが、東京のお店、水戸とのギャップに苦しみ、バーンアウト。
飲んだくれの生活。大工町が庭に…。
10年前
水城の恩師の定年。
田中大孝先生を送る会を手伝う事に、そのとき高校生と触れ、何か手伝えないかと、コーチに行くことに…。同時に育った道場も手伝う。
独立し、体育館を借り、スポ少登録。
先の事など、何も考えず、生きてきた。
考えもしなかった10年前。
今、道場を経営している事
今、県連の強化をしていること。
今、県の会員登録をすべてやっていること。
道場を始めた頃から、先を見るようになってきた。
この人凄い!と、話がしたい!と連絡を取り、若輩者を受け止めてくれた月井先生!
計算ではなく、ただ「こうしたらいいのに…」と…。
「もっと生徒にこうしたら…」「もっと県連もこうしらいいのに…」「もっと協会もこうしたらいいのに…」「道場もこうしたら良くなるかな…」
疑問を提案を、思ったことを実現するため、とりあえず動いてみる。
私利私欲ではなく、みんなが良い方向にと…。
思いを実現する為に、「こうしたら…、もっとよくなるかな?」の空想、ビジョン、絵空事を一つ一つ実行する。
今は、10年後の自分を考えている。
10年後の道場。10年後の県連。10年後の協会。10年後の…空手。10年後の日本。10年後の子供達!
今の偉い人が、自分ばかりで、10年後の空手を考えているとは思えない。
夢のある、10年後の話をしよう!バカにされるかもしれないが…。
もうオリンピックに入ってるかな?
私は、オリンピックの準備をします(笑)大げさだけど…。
道場の子供達の居場所を作りたい。
今の選手たちの帰る場所を作りたい。選手終わったら空手も終わりじゃ、魅力ないし、使い捨てみたいじゃん。
支離滅裂な文章ですみません(笑)
歳取ったかな?