2012年07月28日
NHK大河ドラマ「平清盛」の崇徳上皇の終焉の地(その3)
NHK大河ドラマ「平清盛」の
崇徳上皇の終焉の地(その3)
保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。
その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。
隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。
一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。
約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。
嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。
改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。
さて、配流の生活の殆どは「木の丸殿(擬古堂)」と呼ばれる御所でした。
そしてこの場所は、崇徳上皇を監視し易い国府の役所の直ぐ近くになります。
木の丸殿は、現在の鼓岡神社で前方後円墳の後円部分に建てられていました。つまり墳丘(古墳時代の墓)の上に御所を建てた事になります。
「木の丸殿」続く
多くの写真を掲載致しますので数回に渡ってUp致します。
この情報の続きは下記のページでご覧下さい。ブログで掲載している写真では案内板の文字が読めないと思います。
ホームページでは案内板の文字が読めるようにもっと大きな写真を載せています。↓
崇徳上皇ゆかりの地を巡って
崇徳上皇の終焉の地(その3)
保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。
その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。
隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。
一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。
約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。
嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。
改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。
さて、配流の生活の殆どは「木の丸殿(擬古堂)」と呼ばれる御所でした。
そしてこの場所は、崇徳上皇を監視し易い国府の役所の直ぐ近くになります。
木の丸殿は、現在の鼓岡神社で前方後円墳の後円部分に建てられていました。つまり墳丘(古墳時代の墓)の上に御所を建てた事になります。
「木の丸殿」続く
多くの写真を掲載致しますので数回に渡ってUp致します。
この情報の続きは下記のページでご覧下さい。ブログで掲載している写真では案内板の文字が読めないと思います。
ホームページでは案内板の文字が読めるようにもっと大きな写真を載せています。↓
崇徳上皇ゆかりの地を巡って
【崇徳上皇ゆかりの地を巡っての最新記事】
投稿者:亀山 築城 (かめやま ちくせい)|09:34|崇徳上皇ゆかりの地を巡って
この記事へのコメント