2011年08月17日
我が青春の時を懐かしく思い出して
我が青春の時を懐かしく思い出して
(アシジの聖フランシスコ)
久し振りに「アシジの聖フランシスコ」の映画を観ました。私はカトリックなので当然のように慣れ親しんだ映画のジャンルになります。
1972年にイタリアとイギリスが共同製作した映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」です。
この映画は世界中、そして日本でもヒットした映画です。
きっとご存じの方が多いのではと期待しています。如何ですか?
子供の頃から彼の伝記『聖フランシスコの小さい花(I Fioretti)』を読んで育ちました。
彼は太陽や月を兄弟姉妹と呼んで、自然のあらゆる物を兄弟として大切に思って居ました。
また小鳥たちに話し掛けると、その小鳥たちは十字の方向へ飛んで行ったと、その本に書かれています。
世界中で彼を好きな人々が多いのは、その自然保護の精神が中世の時代に彼が表現していたからです。
この映画の題名が「ブラザー・サン シスター・ムーン」そのまま彼の生き方を表しているタイトルだと思います。
この映画のあらすじはこちらのウィキペディアでご覧下さい。
ブラザー・サン シスター・ムーン
彼の物語を読んだ時に、キリストが彼の夢に現れ、「誰か教会を支える者は居ないか?」崩れかけた教会を肩で支える人として、フランシスコに訴えました。
彼は実際に崩れたサン・ダミアノ教会を再建しろと言われたと思って、その教会を再建しました。
その様なユーモラスで人間的な面が私には身近に感じて大好きです。
映画の中でハンセン氏病の人達に手を差し伸べて居る姿が描かれていますが、実はこの映画が公開されていた時、私は奇しくも国立ハンセン氏病療養所でボランティア活動を行っていました。
他にも彼を描いた映画は有りますが、私はこの映画をとても好きになっています。
宜しければ下記の youtube の動画データをご覧下さい。
Francesco, Chiara e i lebbrosi
フランシスコは騎士になる前に、クララを野で見掛けます。
彼女に付いて行ったフランシスコは、クララがハンセン氏病(ライ病)の人達にパンを捧げに行ったのだと知ります。
中世の当時、ハンセン氏病は神からも見放され、その人の罪の結果でこの病気になったと考えられて、この人達を忌み嫌っていました。
Brother sun, sister moon-San Francisco-(Franco Zeffirelli)
戦から帰ったフランシスコは生死を彷徨う大病になってしまいました。
ふと気が戻った彼は、窓の外でさえずる雀に屋根の上をフラフラと近寄って行きます。
Chiara a Francesco: "Secondo me eri matto prima"
野原に居るフランシスコにクララが気付いて声を掛けます。
「貴方は気がおかしいとみんなが言っているわ。小鳥に話し掛けたり一緒に歌ったり、花をじっと見詰めているから・・・」
「でも、私は戦争に行く前が貴方がおかしかったと思うの。」
Francesco - L'Insopportabile Contrasto
この場面は御復活(イースター祭)の教会典礼で、続唱「Victime Pascari Laudes 見よ!神の子羊」を歌っているシーンです。
フランシスコは、裕福な家族達が座る席で居ますが、教会の後ろや外では貧しい人や重い病に苦しむ人達が居る事に気が付きます。
ここで彼は自分が裕福な事に疑問を感じて、神の前に平等とは一体何なのかを考えるのでした。
蛇足ですが、この歌はネウマ譜と云う四線譜で書かれています。
私はこのネウマ譜を研究していますが、この聖歌も一度お聴き下さい。
Victimae paschali laudes
St. Francis - Brother Sun, Sister Moon - Song
彼は御復活の教会で「違うのです!」と言って教会から飛び出していきます。
草原を走って行くと、そこには崩れたサン・ダミアノの教会が・・・。
ここでフランシスコは何かを感じるのでした。
If You Want Your Dream To Be ... Donovan - San Damiano Song (Montage)
十字軍に従軍していたフランシスコの友人ベルナルドはアシジの町に戻ると、タベルナ(居酒屋の様なお店)で、旧友達と再会しました。
その場にフランシスコが居無い事に気が付いて、「フランシスコはどうしている?」と尋ねます。
アントニオが「彼はこの前の戦から帰って、気が変になって家を飛び出して乞食のような生活をしている。そして今はサン・ダミアノの教会を再建しているよ。」
それを聞いたベルナルドは、「友達なんだろう!どうして彼を助けないんだ!」と言い出してタベルナを飛び出す。
ここからこの動画の場面:
サンダミアノで一生懸命に石壁の石を積み上げているフランシスコに、ベルナルドは最初は本当におかしくなったと思い込んだ。
しかし、彼の真摯な姿を見ているとフランシスコの生き方に共感してしまい、彼は協力する内にフランシスコと一緒に生活を始める。
この間に下の動画が入ります。
完成したサン・ダミアノの教会で貧しい人や病気の人達が集まって献堂式を祝う。
この動画には写っていませんが、アシジの教会では裕福な人達だけで、多くのその子供達がフランシスコと一緒になってその教会に居ず、寂しい典礼が続いて居る。
St. Francis Prayer - Brother Sun, Sister Moon
フランシスコの友人達も裕福な家庭を捨てて、彼と共に暮らし始めます。
麦刈りの手伝いをしますが、最下層の農民からは、「お金持ちの坊ちゃんが、どうしてこんな事をするのだ!」と反発されてしまいます。
お昼時間になって、農民達は貧しいパンだけの食事を食べますが、フランシスコ達には何も有りません。
見かねた若い農民が一切れのパンをフランシスコに与えました。
フランシスコは感謝しながら「食前の祈り」を始めます。
農民達もその姿に、跪いて一緒に祈りを始めたのです。
小麦畑にクララが走って来ます。
「フランシスコ!」
その声にフランシスコは麦刈りの手を休め、
「クララ」
と答え近寄って行きました。
彼女はフランシスコの生き方に共鳴して、彼らと同じ様に生活したいと望んだのです。
ここでクララの台詞は有名な「フランシスコの平和の祈り」が使われています。
実際には彼が作った祈りではありませんが、世界中のカトリック教徒が愛唱している祈りを紹介致します。
平和の祈り
主よ、わたしを平和の道具とさせてください。
わたしに もたらさせてください……
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。
ああ、主よ、わたしに求めさせてください……
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
人は自分を捨ててこそ、それを受け、
自分を忘れてこそ、自分を見いだし、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
私は文語体の時代でしたので、下記の祈りの方がしっくりとしています。
平和の祈り
ああ主よわれをしておんみの平和の道具とならしめたまえ
われをして憎しみあるところに愛をもたらしめたまえ
争いあるところにゆるしを
分裂あるところに一致を
疑いあるところに信仰を
誤りあるところに真理を
絶望あるところに希望を
悲しみあるところによろこびを
闇あるところに光をもたらしめたまえ
ああ主よわれをして慰めらるるを求めずして慰むることを求めしめ
理解さるることよりも理解することを
愛さるることよりも愛することを求めしめたまえ
そはわれらは自ら与うるがゆえに受けゆるすがゆえにゆるされ
おのが身をすてて死するがゆえに永遠の生命を得るものなればなり
滝が落ちる所で、トンスーラ(剃髪)が始まります。
男性はこの時代は髪の殆どを円形に剃っていますが、女性は髪をザンバラに切るだけです。
こうしてクララもまた清貧の生活に入っていきました。
ブラザー・サンシスター・ムーン
フランシスコと彼の仲間は、ローマに旅立って行きました。
それは彼らの集まりを修道会として教皇様から認可して戴く為です。
当時の教皇座が在ったラテラノ教会で、教皇に謁見が許されます。
彼の清貧さに心打たれた教皇は、彼らを讃えて修道会として認可するのでした。
アシジに戻ったフランシスコは、自然を愛して人々も愛する生活に戻るのです。
DVDでこの映画を御覧になりたい方は下記のリンクで購入出来ます。
楽天ブックス
ブラザー・サン シスター・ムーン
(アシジの聖フランシスコ)
久し振りに「アシジの聖フランシスコ」の映画を観ました。私はカトリックなので当然のように慣れ親しんだ映画のジャンルになります。
1972年にイタリアとイギリスが共同製作した映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」です。
この映画は世界中、そして日本でもヒットした映画です。
きっとご存じの方が多いのではと期待しています。如何ですか?
子供の頃から彼の伝記『聖フランシスコの小さい花(I Fioretti)』を読んで育ちました。
彼は太陽や月を兄弟姉妹と呼んで、自然のあらゆる物を兄弟として大切に思って居ました。
また小鳥たちに話し掛けると、その小鳥たちは十字の方向へ飛んで行ったと、その本に書かれています。
世界中で彼を好きな人々が多いのは、その自然保護の精神が中世の時代に彼が表現していたからです。
この映画の題名が「ブラザー・サン シスター・ムーン」そのまま彼の生き方を表しているタイトルだと思います。
この映画のあらすじはこちらのウィキペディアでご覧下さい。
ブラザー・サン シスター・ムーン
彼の物語を読んだ時に、キリストが彼の夢に現れ、「誰か教会を支える者は居ないか?」崩れかけた教会を肩で支える人として、フランシスコに訴えました。
彼は実際に崩れたサン・ダミアノ教会を再建しろと言われたと思って、その教会を再建しました。
その様なユーモラスで人間的な面が私には身近に感じて大好きです。
映画の中でハンセン氏病の人達に手を差し伸べて居る姿が描かれていますが、実はこの映画が公開されていた時、私は奇しくも国立ハンセン氏病療養所でボランティア活動を行っていました。
他にも彼を描いた映画は有りますが、私はこの映画をとても好きになっています。
宜しければ下記の youtube の動画データをご覧下さい。
Francesco, Chiara e i lebbrosi
フランシスコは騎士になる前に、クララを野で見掛けます。
彼女に付いて行ったフランシスコは、クララがハンセン氏病(ライ病)の人達にパンを捧げに行ったのだと知ります。
中世の当時、ハンセン氏病は神からも見放され、その人の罪の結果でこの病気になったと考えられて、この人達を忌み嫌っていました。
Brother sun, sister moon-San Francisco-(Franco Zeffirelli)
戦から帰ったフランシスコは生死を彷徨う大病になってしまいました。
ふと気が戻った彼は、窓の外でさえずる雀に屋根の上をフラフラと近寄って行きます。
Chiara a Francesco: "Secondo me eri matto prima"
野原に居るフランシスコにクララが気付いて声を掛けます。
「貴方は気がおかしいとみんなが言っているわ。小鳥に話し掛けたり一緒に歌ったり、花をじっと見詰めているから・・・」
「でも、私は戦争に行く前が貴方がおかしかったと思うの。」
Francesco - L'Insopportabile Contrasto
この場面は御復活(イースター祭)の教会典礼で、続唱「Victime Pascari Laudes 見よ!神の子羊」を歌っているシーンです。
フランシスコは、裕福な家族達が座る席で居ますが、教会の後ろや外では貧しい人や重い病に苦しむ人達が居る事に気が付きます。
ここで彼は自分が裕福な事に疑問を感じて、神の前に平等とは一体何なのかを考えるのでした。
蛇足ですが、この歌はネウマ譜と云う四線譜で書かれています。
私はこのネウマ譜を研究していますが、この聖歌も一度お聴き下さい。
Victimae paschali laudes
St. Francis - Brother Sun, Sister Moon - Song
彼は御復活の教会で「違うのです!」と言って教会から飛び出していきます。
草原を走って行くと、そこには崩れたサン・ダミアノの教会が・・・。
ここでフランシスコは何かを感じるのでした。
If You Want Your Dream To Be ... Donovan - San Damiano Song (Montage)
十字軍に従軍していたフランシスコの友人ベルナルドはアシジの町に戻ると、タベルナ(居酒屋の様なお店)で、旧友達と再会しました。
その場にフランシスコが居無い事に気が付いて、「フランシスコはどうしている?」と尋ねます。
アントニオが「彼はこの前の戦から帰って、気が変になって家を飛び出して乞食のような生活をしている。そして今はサン・ダミアノの教会を再建しているよ。」
それを聞いたベルナルドは、「友達なんだろう!どうして彼を助けないんだ!」と言い出してタベルナを飛び出す。
ここからこの動画の場面:
サンダミアノで一生懸命に石壁の石を積み上げているフランシスコに、ベルナルドは最初は本当におかしくなったと思い込んだ。
しかし、彼の真摯な姿を見ているとフランシスコの生き方に共感してしまい、彼は協力する内にフランシスコと一緒に生活を始める。
この間に下の動画が入ります。
完成したサン・ダミアノの教会で貧しい人や病気の人達が集まって献堂式を祝う。
この動画には写っていませんが、アシジの教会では裕福な人達だけで、多くのその子供達がフランシスコと一緒になってその教会に居ず、寂しい典礼が続いて居る。
St. Francis Prayer - Brother Sun, Sister Moon
フランシスコの友人達も裕福な家庭を捨てて、彼と共に暮らし始めます。
麦刈りの手伝いをしますが、最下層の農民からは、「お金持ちの坊ちゃんが、どうしてこんな事をするのだ!」と反発されてしまいます。
お昼時間になって、農民達は貧しいパンだけの食事を食べますが、フランシスコ達には何も有りません。
見かねた若い農民が一切れのパンをフランシスコに与えました。
フランシスコは感謝しながら「食前の祈り」を始めます。
農民達もその姿に、跪いて一緒に祈りを始めたのです。
小麦畑にクララが走って来ます。
「フランシスコ!」
その声にフランシスコは麦刈りの手を休め、
「クララ」
と答え近寄って行きました。
彼女はフランシスコの生き方に共鳴して、彼らと同じ様に生活したいと望んだのです。
ここでクララの台詞は有名な「フランシスコの平和の祈り」が使われています。
実際には彼が作った祈りではありませんが、世界中のカトリック教徒が愛唱している祈りを紹介致します。
平和の祈り
主よ、わたしを平和の道具とさせてください。
わたしに もたらさせてください……
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。
ああ、主よ、わたしに求めさせてください……
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
人は自分を捨ててこそ、それを受け、
自分を忘れてこそ、自分を見いだし、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
私は文語体の時代でしたので、下記の祈りの方がしっくりとしています。
平和の祈り
ああ主よわれをしておんみの平和の道具とならしめたまえ
われをして憎しみあるところに愛をもたらしめたまえ
争いあるところにゆるしを
分裂あるところに一致を
疑いあるところに信仰を
誤りあるところに真理を
絶望あるところに希望を
悲しみあるところによろこびを
闇あるところに光をもたらしめたまえ
ああ主よわれをして慰めらるるを求めずして慰むることを求めしめ
理解さるることよりも理解することを
愛さるることよりも愛することを求めしめたまえ
そはわれらは自ら与うるがゆえに受けゆるすがゆえにゆるされ
おのが身をすてて死するがゆえに永遠の生命を得るものなればなり
滝が落ちる所で、トンスーラ(剃髪)が始まります。
男性はこの時代は髪の殆どを円形に剃っていますが、女性は髪をザンバラに切るだけです。
こうしてクララもまた清貧の生活に入っていきました。
ブラザー・サンシスター・ムーン
フランシスコと彼の仲間は、ローマに旅立って行きました。
それは彼らの集まりを修道会として教皇様から認可して戴く為です。
当時の教皇座が在ったラテラノ教会で、教皇に謁見が許されます。
彼の清貧さに心打たれた教皇は、彼らを讃えて修道会として認可するのでした。
アシジに戻ったフランシスコは、自然を愛して人々も愛する生活に戻るのです。
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投稿者:亀山 築城 (かめやま ちくせい)|14:57|お勧め情報
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