2010年10月14日
今日も気分を変えて
今日も気分を変えて
カール・オルフ,カルミナ・ブラーナ,吟遊詩人
前回に続いて、今回もネウマから離れてしまいます。
カール・オルフ(Carl Orff、1895年7月10日 - 1982年3月29日)はドイツの作曲家。ミュンヘンに生まれ、同地で死去。
私は混声合唱団に居た頃、カール・オルフが作曲した「カルミナ・ブラーナ」を歌った事が有ります。日本で最初に歌ったのは、確か神戸の合唱団だった様に記憶しています。ただ彼らはオーケストラも無く、踊りも無い不完全な演奏でした。
私の属している合唱団が、日本では最初の完全な演奏形式でコンサートを開いた事になります。
中世の吟遊詩人の詩から採られた歌詞に、カール・オルフの独創的なイメージで作曲し、壮大な曲として完成しました。
下記はウィキペディア(フリー百科事典)よりの引用です。
1803年、ボイレン修道院が国有化されることになり、調査が行われた。その結果、図書室から古い歌を集めた写本が発見された。その中の歌は約300編にのぼり、ラテン語、古イタリア語、中高ドイツ語、古フランス語などで書かれていた。歌詞の内容は若者の怒りや恋愛の歌、酒や性、パロディなどの世俗的なものが多く、おそらくこの修道院を訪れた学生や修道僧たちによるものと考えられた。中にはネウマによって簡単な旋律が付けられているものも10曲(9つの歌及び『賭事士たちのミサ曲』という曲)ある。これらの写本は11世紀から13世紀の間に書かれたと推測され、『カルミナ・ブラーナ』(ボイレンの歌)という題名で編纂され、1847年に出版された。現在、写本はミュンヘンのバイエルン州立図書館に所蔵されている。
なお、ネウマ譜が残っている歌については別の写本などからネウマを復元する試みがいくつかなされており、CDもリリースされている。
ここまでがカルミナ・ブラーナの説明の引用です。
上記の様に、カルミナ・ブラーナはネウマ譜で書かれた写本も在るほど、当時ではポピュラーな歌だったらしいです。
さて、カール・オルフのカルミナ・ブラーナに戻ります。
この曲は混声8部に別れて、私はセカンド・テナーに配属されました。
当時に私が使っていた楽譜を掲載致しておりますので、最初のページだけですがご覧下さい。
第1曲目は、「おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna (Chorus) 」です。
繰り返しますが、この曲は、合唱・オーケストラ・舞踏の三要素が在って、始めて完成されたスタイルです。
今回、ご案内するyoutube のデータは、全曲で1時間12分ほどの演奏時間ですが、舞踏は無い演奏です。
お時間のある時に、ゆっくりとお聞き下さい。
カルミナ・ブラーナ
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投稿者:亀山 築城 (かめやま ちくせい)|20:42|音楽研究について
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