2024年03月08日
【ごあいさつ】経歴などを…A
病院を辞めることを決断し、求人を探すことやや半年。
今のように便利な「転職エージェント」や「退職サービス」はまれな時代でした。
毎日のようにウェブサイトを検索し、毎週のようにハローワークへ通う日々。
そんな中、大学時代にその設立に少しだけ関わっていた、介護老人福祉施設(50床)の生活相談員の職を見つけました。
「ラッキー」ということで、飛びついたのは言うまでもありません。
そこでは、特別養護老人ホーム本体だけでなく、短期入所や通所介護も任され、当時はかなり活躍している気分(笑)で働いていました。
納涼祭の実行委員長としてイベントを取りしきり、別の機会には利用者の外出、レクリエーションなどの手伝いも行い充実した日々でした。
周囲から「できる」と思われていた生活相談員がいたため、出世とは無縁でしたが、行政の役なども任されて楽しかった時期です。
夜勤をやっていた頃よりは月給が下がりましたが、ワークライフバランスや責任の重さなど、ある意味この時が一番、良かったように思います。
しかし、入職してから数年後、介護職員の退職が相次ぎ、介護職員兼生活相談員の辞令が…。
その後は地獄の日々でした。
とあるユニットへ配属されて、毎日の入浴介助を行い、いつの間にか短期入所は閉鎖。
ますます生活相談員の仕事がなくなり、より介護職員としての比重が重くなりました。
今思うと、上の方々からは介護職員と思われていたのかもしれません。
そんな中、施設長、事務長、介護支援専門員から、「夜勤をやりなさい。ここに来る前はやってたんだから」と言われてしまいます。
当時のライフステージ(スタイル)では、夜勤ができなかった私には承服できないものでした。
ある意味死刑宣告です。
家族と施設の間に挟まれ、悩んでいた時期。
タイミング良く、行政の役をしていた時に知り合った、外部の介護支援専門員さんからお声かけがありました。
「うちの法人の相談員に空きが出るからおいで」と言ってくださり、そちらにお世話になることにしました。
そして、地域型の地域包括支援センターへ何の予備知識もないまま(笑)、配属になったのです。
温室のような特別養護老人ホームに長年、勤めていた「ただの」社会福祉士にとっては、かなりシビアな現場でした。
その後は、一念発起しスポンジが水を吸収するかように、様々なことを教わり、様々な知識や社会福祉援助技術を習得できました。
高齢者虐待や権利擁護、書類作成など目まぐるしく働いていましたが、忙しく大変だったけど、仕事は充実していました。
この頃には前職より基本給も上がり、ワークライフバランスなんて関係ない仕事でしたが、夜勤をしていた頃よりも生活は楽になりました。
数年後、行政の役をやっていた頃のつてで、現在の職場からお話を頂き、とある医療法人の介護医療院でタイトルのとおり様々な仕事を任されています。
相談員としてのアセスメント、待機調査、契約締結、その他書類作成、介護職員として入所者への処遇(夜勤も!)、介護支援専門員のゴーストライター(笑)などを毎日やっています。
今年度の介護支援専門員実務研修受講試験で合格したため、ゴーストライターの称号はそろそろ返上しますが、専従というわけにはいかないような気がします。
ただ、私は長く働こうと考えていること、加算や手当などから、現在の給与はお察しください。
ぶっちゃけ病院勤務の時から、総支給額は倍近くになりました。
「時の流れに身をまかせ」が似合う転職劇ですが、こんな「おじさん」がブログを書いていきます。
これまでの転職はタイミングが良かったこと、人とのつながりがあったことが奏功してきました。
今の仕事に飽きたら、「転職エージェント」なども検討したいです。
読者の皆さんには、各法人で得た知識やノウハウもお伝えできればと考えています。
どうそよろしくお願いいたします。
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