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2024年03月08日

【ごあいさつ】経歴などを…@

今日はこのブログをどんな人間が書いているのか、そのことをお伝えします。

私の概要として、ようは福祉関係の仕事が長い、ただの「おっさん」です。

私は某地方の福祉大学を卒業しています。

学生の間は、遊びやバイト三昧で、卒業と同時に取得できるはずの「社会福祉士」に落ちました。

サークルを立ち上げ、様々なイベントを行っていました。

資金が潤沢なときには「散歩」と称して、近県の温泉へふらっと泊りにいくなど、かなり自由な時代を過ごしました。

バイトは、大手のコンビニエンスストアでの夜勤や、地元の寿司店、作業服大手のあの会社、深夜の床清掃などでやっていました。

バイト台が底を付くと、友人宅に転がり込んだり、車中泊をするなど「住所不定」な毎日でした。

卒業後、「1年後には支援相談員だ」と騙されて(笑)、地域では老舗の介護老人保健施設(認知症棟60名・一般棟40名)へ「介護職員」として就職しました。

今思うと、諸先輩方のやたらにスパルタな指導から、介護技術の基本や認知症への対応の基礎を習得したんだななんて考えてしまいます。

数年、介護職員を続けた後、トラブルに巻き込まれて施設の「洗濯係」を命じられ、「やってらんねえよ」とのことで退職しました。

その後は、地域の定点病院(当時100床以上)にある急性期や療養病棟で、「看護助手」として働きました。

そこでも数年間、夜勤も含む勤務をこなしていました。

医療機関ということで、気軽にタバコを吸えないのが最も辛いことでした(笑)が、ここでは医療的な知識だけでなく、介護技術も向上したように振り返ります。

多くの病棟では介護老人福祉施設(所謂、特別養護老人ホーム)や介護老人保健施設などと異なり、「オムツ代」や「おしりふき」、「ティッシュ」などは患者もちです。

そのため、少しでも「無駄に使わないようにしよう」と考え、自分の介護を毎日のように工夫していました。

家族からは「使いすぎ」などと罵られることも多く、良い経験になったと思います。

二次救急の指定病院でもあったことから、緊急時の対応なども習得できました。

感染症の対策についても、委員をやらされたこともあり、基本だけでなくその上を学び、新型コロナウイルスが蔓延っていた時期にも助けられました。

しかし、ここでも(笑)、同僚からのいじめというトラブルに見舞われ、退職に追い込まれました。

やたらと強い女性の准看護師で、今では街で会えば談笑しますが、当時は相当、苦しめられた記憶があります。

この病院は夜勤手当が10,000円/1晩と比較的、高価で前職から収入アップできた私にとっては断腸の思いでした。

不幸中の幸いは、病院勤務の間に「社会福祉士」に「3度目の正直」で合格できました。

次回へ続きます。
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