2020年03月12日
イエスさんの話
イエスは、名前。
キリストはヘブライ語のメシア(救い主)という意味
イエスの話も、イエスは神では無いです。ヒーラー。癒すことにたけていた。
宇宙人と、天皇の混血です。
嫁さんも、子供もいました。
キリスト教のバチカンが、聖職者に奥さんや、子供がいるのは都合が悪かったのか、隠そうとしてました。
奥さんがマグダラのマリア、女の子、お腹には男の子がいました。2人とも隠れ今も血筋は、受け継がれている。
ダ・ヴィンチコードに近いです。
イエスも、代わりに張り付けになった弟イスキリも、生きて日本に辿り着きます。
青森でイエスは、
大天狗太郎(だいてんぐたろう)になって、イエスの弟子もついてきていて、その弟子が、8人居ました。後に八咫烏
(ヤタガラス)に成ります。
大天狗太郎は、
子供をもうけます。奥さんが五、六人いて、30人くらい子供を作ります。
その子供たちが、後々子孫を残していって、今のほとんどの日本人には、イエスの血が受け繋がられているそうです。
そのため、救世主が日本から出てくる予言は、ここから来ているようです。
青森にも、八咫烏の組織も有るようなので、メンバーとして育てられて居るかもしれませんね。(モーフィアスがネオを育てています🤣)
救世主といっても、平和では救世主にならないので、またまだ、極限まで人類が困らない限り現れない、救世主にはならないので、、、、、、
極限が来るの️️
これは現代のキリスト教徒の方の、理解できている内容です。
宇宙人も何も知らされてない、モーゼの時代、旧約聖書から書いてあることの解釈です。
イエスから、キリスト教って何?🙄
と、思ったので調べてみました。
全ての人間は罪人だったので、いけにえをささげることによって、罪を神さまにゆるしてもらい、間接的に、礼拝(神様に会う)、することができた。
イエスが生まれる前の時代では、いけにえは神と交わりをもつために必要不可欠なものでした。
イエス・キリストが死んだのは、ただの死ではなく「いけにえ」として十字架という祭壇に、自らの命をささげた。
イエスが、完全ないけにえとなって死んで、教会には、いけにえの祭壇、を置く必要が無くなり、代わりに十字架があげられている。
すごい考え方。
一人の犠牲で罪をかばって許してもらったから、後生の私たちは、生け贄をしなくていい。都合が良さそうな解釈のようです。
その後にイエスは、生き返り
4月の祭日に、イースター(復活祭)があります。
33年と6ヶ月。
これがイエス・キリストの地上での生涯です。
旧約聖書には、イスラエルの民の歴史や、神とイスラエルの民が交わした約束事など、
新訳聖書には、イエスの生涯とその教えや、イエスの弟子たちの宣教活動などが書かれています。
旧約、新約、(約)とは、
神と人間とが結んだ契約という意味だそうです。
そして聖書は1冊の本だと思っていましたが、実は1冊の本ではなく、66冊(66巻)を1冊にまとめている。
旧約聖書39巻で1439ページ、
新約聖書は27巻で461ページ
だいたい1500年にもわたって書き継がれて来ているのですが、
一人の弟子が、まとめて書いたのかと思いきや、書いた人?🙄数?は、約40人️
書いた人達の職業はさまざまで、王様、政府の役人、祭司、漁師、農民、羊飼い、医者など、
取り敢えず、共通することは、皆が神の啓示を受けたと言う人が書いた。ん️
だんだん怪しくなってきました。聖書の中身って、、、、、。
キリスト教の信仰のために命を失った人を、宗教用語で、殉教、といいます。
これも、人間て残酷です。信仰の為に死んだり、殺されたり、時代でしょう。
宗派?を見てみると、
カトリック(西ローマ)
バチカン市国に総本山を構えている、
ローマ教皇をトップとした宗派です。
イエスと聖霊の存在を認めて、創造主である神と「三位一体」といった教えを基本にしています。
カトリックでは、教会の地位が高く、教皇をトップとしたビラミッド組織。
カトリックの聖職者には婚姻は認められていません。
ここの考え方が、イエスの婚姻を認めなかったのか?
正教会は、主に東ローマ(今のギリシャやロシア)
正教の教えは聖書
聖職者は結婚してもいい
男性だけが聖職者になれる
聖職位には、主教、司祭、輔祭の3位
正教会の外観は、タマネギヘルメットのような丸屋根
プロテスタント
カトリックや正教よりも、もっと後に出てきた新しい教派です。
プロテスタントの語源となっている言葉には、「Protest」(抗議する)という意味が込められています。
プロテスタンができる前、カトリック教会は「免罪符」というものを人々に売りつけていました。(教会がお金を得ることができるため、教会は必死に売ろうとする)
教会は、これを買えばあなたの罪は許されるよ!等と、金儲けをしていたのです。
マルティン・ルターと、言う人物が声をあげました。元々カトリックの身分だったけど、カトリックから分裂しました。
プロテスタントの中にも、いくつか教派があります。
聖職者は牧師です
キリスト教は、統一教会・エホバの証人・モルモン教会などとは一切関係ありません。と、言うことです。ごめんなさい同じだと思っていました。
キリスト教での死後の流れは?
死んだらその瞬間に天にのぼる。
「最後の審判」が神にくだされる。
信じていたらソッコー天国いき決定。
仏教のように、徐々に上がっていく考え方ではないようです。四十九日の法要で故人の魂は極楽へ行くか地獄へ行くか決まるとされています。
極楽に行けなかった場合、百箇日の法要で再び審判が受けられるとされ、親族の供養により救済も可能となるとも言われていますね。百箇日は中国の儒教から来ているようですが?🙄
神は、一つでは無い考え方。
沢山の、神ではない人が、おられるようです。🤣
戦国武将のところで
この天海が長寿なんですよね。120歳近くまで生きてます。
当時の寿命からすると長すぎますね、
歴史はやっぱり多少文献はあっても、詳細は想像でしか語られてないです。
天海は、秀忠と家光にそれぞれ長寿の秘訣を歌に詠んで送っていて、
秀忠に対して、命は粗食、正直、日湯(毎日風呂に入ること)、陀羅尼(お経)、時折、ご下風(屁)あそばさるべし、
短気で好色な家光に対しては、気は長く、務めはかたく、色薄く、食細くして、心広かれと、
これが長寿の秘訣か、、現代人は、、、、、
休みの人でも使い方がやっぱり全然違う。
今近くで、テニスをやっている人がいます。
テニスをやるとか、スポーツをやるのが健康で健全でいいように思いますが、
それはただ個々の、価値観が違うだけで、運動をしてないからといって、そんな悲観しなくても
みんな、体を動かしたいからしてるんだと思います。
無理してる可能性もありますけど、
したいならやればいいと思います。
無理やりするものでもないし、
文系の人は、別のことをしていれば、
いいだけで、
何かしらすることがあれば、それをしていれば、運動だろうが、手先の趣味(絵画、手芸でも、いいと思います。
この前子供に一緒にさせられましたけど、脳トレ面白かったです。
たまに遊ぶのもいいかもしれません。
とにかく興味のあることを、し続けていければ、
それが楽しさを産み、楽しいことをずっと繰り返して、元気になる。
興味がなくなれば、生きていく気力も無くなってしまいます。
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