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2020年02月29日

実は生きていた。

最近物忘れがひどくなってる感じが有ります🤫
卑弥呼さんがヨーロッパに渡り、天皇に、譲って人間の天皇は、大国主を端へ追いやり、天皇が統治していく辺りでストップ中だと

日本目指して、モーゼが、(モーゼの孫が神武天皇)、百済や新羅(後の藤原、蘇我)始皇帝までもが、(始皇帝と一緒についてきた秘書官みたいな方が居ますその方の子供が空海)
日本に戻ってくる感じですね勝ち誇り
イエスさんに関しては、宇宙人と天皇のハーフです。宇宙船で、ヨーロッパに向かい日本に帰ってきます。
お釈迦様も、日本人。

飛鳥から、平安、そのあとに源氏と平氏の争いに、



崇徳上皇と後白河天皇の争いである保元の乱が有ります。

人物として、世間で一番知られているのが、頼朝と義経、平清盛ですが、
これらの方の最後とか、教わった事とは違い、その後も生きながらえていること。生存説有りますね。
そして、いつも兄弟喧嘩が発生していること。

南北朝時代

源為朝(ためとも)という人物の話だと。
頼朝の父親、義朝と兄弟で、弟です。
2mを超す大男(やっぱり源氏なので朝鮮系?)、五人係で引くような弓矢を引く武人のようです。

13歳の時、暴れん坊らしく勘当されて九州に追放されてしまいます
九州の豪族に隅から隅までケンカを売って、しかも勝ってしまうという暴れっぷり。からかう(あっかんべえ)
暴れぶりが問題になり、豪族たちから朝廷に訴えが出て「何か言いたいことがあるなら出頭しなさい」と命じられてしまいます

出頭したあと少しの間上方にいて、そのあとに保元の乱です。

この後兄弟が違う天皇についたが為に、対立します。

少し途中省きますが
義朝(兄)は戦いになり、馬上なら関東の武士が上手なはずと、騎兵200を率いて為朝(弟)と戦います。

そして義朝は、為朝を説得しようとします、

義朝「陛下の勅命があるから退散しろ」
為朝「こちらは院宣を受けているのだ」
義朝「兄に弓を引くか」
為朝「父に弓を引いているのは兄上だ」

ああ言えばこう言う、状態

二回も言い返されて義朝もあきらめたのか、そこでいったん口喧嘩は終わります、数で劣る為朝軍は次第に押され始めます。

そこで義朝を威嚇しようと考え、為朝は義朝の兜を狙って弓を放ちました。

矢は見事兜に刺さりますが、義朝はひるみません。

義朝は「噂通り乱暴なやつだ、
為朝は「お望みとあらば、もう一度どこにでも当ててみせましょう」と挑発

兄弟口喧嘩は、為朝の勝ちおわりましたが
後に、
後白河天皇に火攻めの許可を得た義朝は火をかけ、白河北殿は大炎上。上皇方は大混乱に陥り、武士たちも散り散りになります。

為朝は逃げ続けますが捕まります
そして、肘を外して伊豆大島に流刑というものです。🥺

流されたあと、伊豆大島の代官の娘婿となり、伊豆諸島に一大勢力を築きあげます。勝ち誇り

源の家系では有りますが、危険分子と思われていたのでしょう
保元の乱から14年経った時、とうとう討伐命令が出されました。

自分の子供も捕まったら殺されてしまうと考え、自らが殺し、
為朝は館に帰って柱を背にし、腹を切ったといわれています。

このように、ひとつの流れで伝えられて来ていますが
ある説が言われていました。

島流しにあってから、そのあとに琉球に渡り、初代皇帝に成ったと。

坂本さんが言われるには、為朝が琉球に渡り、初代皇帝といわれています、そして
為朝の、落胤(父親に認知されない子)舜天に譲った感じでしょうか!


もうひとつの異母兄弟。頼朝、義経。
義経と弁慶の話も、一般的には、
追われる身になり、奥州にたどり着きます。藤原秀衡に受け入れられ、安心したのもつかの間、藤原秀衡の死後、

頼朝に通じた藤原泰衡が、頼朝の三度の命令に対し仕方なく攻め、
奮戦むなしく死亡したと伝えられています。

弁慶は無数の矢を受け、立ったまま絶命した話ですが、そこで死んでいません。

そこから北海道へ行きます、そして三年ほど、静御前を義経は待ちます。

ですが囚われとなっている静御前は、行くことが出来ず。
義経はあきらめ、アイヌの人達にを訓練し弁慶と中国へ渡ります。
そして、チンギスハンになるのですが、、、、、、熱

チンギスハンは、義経では無くて、
弁慶の方です🤫。
弁慶がチンギスハンになり、統治していきます。あくまでも表に弁慶がたち、その豪勇で、モンゴル帝国を築き上げる。

ですが、弁慶が使えていたのは義経です。
後に弁慶にも子供が生まれます。
弁慶は、義経の子供に王位を考えて居ますが、

弁慶の子供は、それが気に入らなくなります。チンギスハンは、自分の親父なのですから、

その後は、語られてないですが。弁慶と義経が死んだ後は、お互いが協力したのか、力の強い方が、孫の代でフビライ・ハンになり大帝国を築き上げたのか。

義経と弁慶は、生きながら経ていた話です。

後の戦国武将信長、秀吉、家康のはなしは、ちょっと違い、中半で、ほとんどか死んでいます。次で。






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