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2017年10月04日

選挙の前に50代の親父が言いたい

自分は1965年7月下旬、誕生日しました。
当時はオリンピック景気も終わり、父も電気工事士として独立したものの、苦しく母の両親の納屋に間借りしていました。
たしか六畳一間もなかったように思います
部落差別もきつい当時、父は社会運動にものめり込んでいましたし、母のあやされて解放歌を聞いていたといいます。
父は大阪でひどい結婚差別に会い、故郷に泣く泣く帰り、数年後母と結婚。父との結婚は当時はやんちゃ小僧でもあり、ひどく貧しい家庭だったこともあり反対されたといいますが、押し切られた形で結婚したといいます
母は元々村の庄屋もしていた裕福な家の娘でもあり、逆に父は第二次世界大戦で父親を亡くし、貧しい家庭で母は働きに出て、姉に育てられたいいます。
いわば育ちが全く違いますし、母は小さい頃に流行った結核から足を痛め、学籍も切られて小学校中退の扱いになっていたそうで、文字もかけず苦労し、裁縫や着付け等を覚えて収入を得ていたようで、いわばまるで違う二人が一緒になったし、双方が好きで結婚したのではなかったようです。その上に度も死産し三回目でようやく生まれたのが自分だったので母の愛情は四年後生まれる弟より自分に後に注がれました
四年後、弟が伯母の勧めもあり生まれ、小さいながらも祖父の土地を貰い建てました。
そこで自分たち兄弟は育ちましたが、父は社会運動にのめり込んでほぼ帰宅せず、母も身体が元々弱かったので私たちは親戚の家にたらいまわしにされては何日か家へ戻る方が多くなりました
僕が親戚の家で弟を見ながら働き始めたのが丁度10歳の頃です。理由は弟の食べる分も稼げと言われたからです。
今では考えられない生活ですが・・・
中学校に上がる前に今の実家(弟が手入れをしていなかったために近日取り壊されそうですが)にやっと定住しました
その後の生活も悲惨なものですが敢えていろんなことがありますぎてここではかけませんが、自分が学んだのは父の暮らしを貧しくしたのも戦争であり、今も差別は残っているということ。
いろんな体験をして覚えたことはこの世は誰しも平等な世界にネットの世界ですらなっていないということ。
戦争に走ろうとしているアメリカの大統領やそれに媚びる日本の首相の中で、今の独裁政権を止めるには若い人も選挙に行くこと。
そういったことです。
選挙があると40代以上の人しか見なくなりました。
今回の選挙は自分は入れる所はきめています。
ここには書きませんが保守ではないし、かといって人の家庭を壊した革新政党ではないとだけ申し上げておきます。
今はともかく今回の選挙を戦争に走らない社会にするために、若い人々よ選挙はいけ!
とだけ伝えます


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反差別ネットワーク人権研究会代表の田畑重志です。現在50代ですがまだまだ、頑張っていこうと思います。1995年人権研究会としてはじめ、1997年からスタートした反差別ネットワーク人権研究会もはや20年。いろんな思いがありますが、いろんなこを書いていこうと思います
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