2016年04月11日
さよなら、おっぱい
唐突に、卒乳の日がやってきました。
私がインフルエンザA型にかかり、タミフルを5日間飲むことになっていたからです。
おっぱいが大好きで、私が横になるとすぐにやってきてはおっぱいをねだり、おっぱいが見えると
「うへへへっ。」
と言って喜びながら吸い付いていた次男くんです。
もうすぐ2歳になる今、いつ卒乳をしても構わない時期でしたが、最後の子どもで、おっぱいをあげるのも私の人生で最後になります。
その為、なかなか卒乳に踏み切れずに、自然に任せればいいかな・・・なんて考えていた時でした。
しかし、タミフル服用とあっては、断乳せずにはいられませんでした。
心の準備をしていなかった私には、あまりに唐突な断乳・・・そして卒乳となりました。
次男くんにとっても、そうであったに違いありません。
タミフル服用1晩目は、次男くんも同様にインフルエンザで高熱が出ていたため、おっぱいを少し欲しがっただけで寝てくれました。
2晩目は、2時間泣き続けました。
暴れて泣いて、もう手がつけられない状態でした。
声が枯れても、泣き続けました。
その様子を見て、私も涙がこぼれました。
長い、夜でした。
そんな夜は、たった一晩だけでした。
翌日の晩から、次男くんは寝る際に、私の横にゴロンと横になってくれました。
その諦めの良さがまた、切なかったです。
タミフル服用が終わったら、またおっぱいを再開しようかとも思いました。
でも、一度おっぱいを諦めてくれた次男くんのために、それはできないと思いました。
そんなカタチで、私の人生最後のおっぱいは、突然に終わりを告げました。
またひとつ、「大変だけど幸せだった日々」が、終わっていきました。
今はまだ、寂しいです。
育児は、妊娠とともに、自分の意思とは関係なく、沢山の束縛と奉仕を背負います。
時にはその辛さに泣きながらも、当たり前の日々になっていきました。
当たり前の日々になると今度は、子供の成長とともに、別れのテープがひとつひとつちぎれて行くように、その束縛と奉仕は数や質を減らしていきます。
親というのは、輝きながら目の前を通り過ぎて行く子どもという命を、一番近くで眺めている存在なんだなあと思います。
その眩しさに目が眩んでいるのもほんの一時です。
輝きの背中は、いつの間にか自分の前を通り過ぎて、気が付けば、その後ろ姿を愛おしく眺めるばかりとなります。
この経験を寂しくも幸せだと、心から思います。
3人目の卒乳が終わりました。
私は、自分の身体を自分の為だけに使う日々が戻ってきました。
自分も、「自分を生きる」ことを、改めて始めます。
私もまた、おそらくまだ輝きながら、走っている途中なのです。
読んでいただき、ありがとうございました。
私がインフルエンザA型にかかり、タミフルを5日間飲むことになっていたからです。
おっぱいが大好きで、私が横になるとすぐにやってきてはおっぱいをねだり、おっぱいが見えると
「うへへへっ。」
と言って喜びながら吸い付いていた次男くんです。
もうすぐ2歳になる今、いつ卒乳をしても構わない時期でしたが、最後の子どもで、おっぱいをあげるのも私の人生で最後になります。
その為、なかなか卒乳に踏み切れずに、自然に任せればいいかな・・・なんて考えていた時でした。
しかし、タミフル服用とあっては、断乳せずにはいられませんでした。
心の準備をしていなかった私には、あまりに唐突な断乳・・・そして卒乳となりました。
次男くんにとっても、そうであったに違いありません。
タミフル服用1晩目は、次男くんも同様にインフルエンザで高熱が出ていたため、おっぱいを少し欲しがっただけで寝てくれました。
2晩目は、2時間泣き続けました。
暴れて泣いて、もう手がつけられない状態でした。
声が枯れても、泣き続けました。
その様子を見て、私も涙がこぼれました。
長い、夜でした。
そんな夜は、たった一晩だけでした。
翌日の晩から、次男くんは寝る際に、私の横にゴロンと横になってくれました。
その諦めの良さがまた、切なかったです。
タミフル服用が終わったら、またおっぱいを再開しようかとも思いました。
でも、一度おっぱいを諦めてくれた次男くんのために、それはできないと思いました。
そんなカタチで、私の人生最後のおっぱいは、突然に終わりを告げました。
またひとつ、「大変だけど幸せだった日々」が、終わっていきました。
今はまだ、寂しいです。
育児は、妊娠とともに、自分の意思とは関係なく、沢山の束縛と奉仕を背負います。
時にはその辛さに泣きながらも、当たり前の日々になっていきました。
当たり前の日々になると今度は、子供の成長とともに、別れのテープがひとつひとつちぎれて行くように、その束縛と奉仕は数や質を減らしていきます。
親というのは、輝きながら目の前を通り過ぎて行く子どもという命を、一番近くで眺めている存在なんだなあと思います。
その眩しさに目が眩んでいるのもほんの一時です。
輝きの背中は、いつの間にか自分の前を通り過ぎて、気が付けば、その後ろ姿を愛おしく眺めるばかりとなります。
この経験を寂しくも幸せだと、心から思います。
3人目の卒乳が終わりました。
私は、自分の身体を自分の為だけに使う日々が戻ってきました。
自分も、「自分を生きる」ことを、改めて始めます。
私もまた、おそらくまだ輝きながら、走っている途中なのです。
読んでいただき、ありがとうございました。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4948324
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック