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2016年03月08日

CTを撮った日2

歩いていて手をつかずに前のめりに転び、コンクリートに頭を強打したという長男を連れて、脳神経外科に着いたのは、その日の18時近くのことでした。

もう一般のお客さんは殆どいない時間帯でしたが、入院になる患者さんの説明で、医師の診察は30分ほど待つことになると告げられました。

車で待っている夫に、その旨を携帯で連絡し、長男にも「結構待つんだって」と言いました。

すると、頭を打ってからずっと「瀕死モード」になっている彼は

「俺が死んじゃえば沢山待つ必要もないよね。」

とメソメソと言ってきました。

ちょっとイラッとしました。

ずーっとメソメソメソメソとしているので、ポジティブに励ますのもちょっと疲れてしまいました。

待ち時間が結構あるので、近くのコンビニに行ってパンとチョコを買って彼と一緒に食べました。

長男は次第に機嫌を直し、貸切状態の広い待合室で椅子から椅子へ飛び移る遊びを始めました。



大人しくしていなさい。


と、叱りました。

でも、この元気な姿はむしろ、不吉なフラグかもしれない・・・なんて思ってしまったりして、元々心配性な私は内心気が気ではありませんでした。(長男に負けないネガティブ思考)




CTと医師の診察結果は、異状無しでした。




その日のお風呂は禁止されました。

頭を打ったその日に入浴し、血流が良くなったことによって出血してしまいそのまま死亡した例があると言われました。

これを聞いて、長男は3日間浴槽につかりませんでした。

ともあれ、転倒から数日が過ぎ、痛々しい様子のおでこのたんこぶも大分腫れが引き、目の下のクマのようなものも、少しづつ良くなっているように思います。

後からの脳内出血のリスクは、もう心配しなくてもいいのかなと思える時間が経ちました。

転倒した日、いつもと同じ夜は訪れませんでした。

育児家事で大変だ大変だと言っていても、「いつもの夜」「何気ない日常」はとてもかけがえのない価値のあるもので、皆が元気で家でご飯を食べられるのって、奇跡のようなものなんだと実感しました。

「日常」という日は当たり前に来るものではないのだと思いました。

事故や災害、病気などで、一瞬にしてあっけなく失ってしまう事を、肌で感じたからです。

この大変だ―と幸せに嘆く事のできる毎日は、奇跡の積み重ねなんですね。

家族が元気で居られる、このことでもう十分に私は幸せなんだと確認することができました。




1日1日を、愛おしく思うことのできた経験でした。


















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