2020年02月12日
名馬物語#2 ハイセイコー
ハイセイコー
父 チャイナロック
母 ハイユウ
1970年 武田牧場産
競走成績 22戦13勝
(地方競馬6戦6勝)
(中央競馬16戦7勝)
主な勝ち鞍
皐月賞
宝塚記念
稀代の人気馬
国民的アイドルホース
第一次競馬ブームの立役者
大井競馬場でデビュー、6連勝を引っさげて中央入り。
(大井競馬では、デビュー戦をレコード。その後は大差でのレースが続く。)
中央競馬でも連勝し、皐月賞を制覇。
私は当時は知らないですが、凄まじい人気ぶりだったようです。
※弥生賞の当日入場者数 12万3,000人!!
※NHK杯の時は、午前11時前には国鉄や私鉄が東京競馬場には入場出来ないアナウンスがあったそうです。入場者数は16万9,174人!!!
※ディープインパクトよりも人気があったんじゃないでしょうか。
東京優駿での入場者数は13万人。単勝支持率66%。視聴率は20%。しかし三着に終わる。
しかし、負けた事により、更に人気が高まっていったという。
有馬記念での得票率は驚異の90.8%!!
年度代表馬には選ばれなかったが、大衆賞を授賞した。
(逸話「1年を象徴するのが年度代表馬であるなら、ハイセイコーであっても不思議はない」 )
「競馬ブームというよりかはハイセイコーブーム」
週刊少年マガジンや週刊少年サンデーの表紙に登場。
70年代の一つの象徴。
「さらばハイセイコー」という歌が発売される。(オリコンチャート4位)
小さな牧場で生まれた地味な血統の馬が、地方からはい上がって中央のエリートを打ち負かす。という図式が日本人の心を掴んだのではないでしょうか。