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2016年10月29日

古代ローマの宝石狂想曲“フローライト”(蛍石)

紀元前1世紀頃からローマでは宝石の収集が流行し始めたが、中でも暴君として有名な1世紀のローマ皇帝ネロは、宝石の収集に異常なまでの欲望を燃やしていた。

Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus.jpg

ネロは、「おびただしい宝石を収集して身の周りを飾り」、「俳優の仮面や旅行馬車などを大量の真珠で飾り」、「コロッセオに持ち込んだエメラルドの鏡に映して剣闘士の試合を見物し」、「円形劇場の手すりや闘獣の檻の網を琥珀玉で飾りたてたり」していた。

ローマに持ち込まれた宝石類の中には、原石やアクセサリーだけでなく「フローライト(蛍石)の器物」も含まれており、ローマ人の多くが蛍石製の食器などに夢中になった。

当時、執政官だったある男が手に入れた「7万セステルティウスもする蛍石の杯」が有名になり、その執政官はその高価な杯で酒を飲むのを自慢にしていた。
暴君ネロがこの杯を見逃すはずがなく、執政官の死後、その子供達に受け継がれた蛍石の杯を、すぐに奪い取ってしまった。それだけでなく、執政官が収集していた大量の蛍石製の器物を全て奪い、ネロの私用劇場一杯に陳列して自慢した。

Fluorite.jpg

また、別の執政官が所有する「30万セステルティウスもする蛍石の柄杓(ひしゃく)」が有名になったとき、ネロは勿論その柄杓を狙ったが、その執政官は自分の死後にネロが略奪することが分かっていたため、死の直前に柄杓を自らの手で打ち壊してしまった。ネロはこれに大変な落胆を示したが、いずれ自分も同じ行動をとることになる。

好き勝手を続けた暴君ネロは、元老院や軍隊から見放され追い詰められた結果、ついに自殺を覚悟した。そして死の直前、最も大切にしていた「最高級の水晶で出来た二つの酒盃」を地面に叩き付けて打ち壊した。自分を苦しめ窮地に追い込み、自分の死後に酒盃を狙っていた人物達への、せめてもの抵抗だった。

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