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2017年03月18日
画期的発明!?鉛筆の歴史を紐解くと偉人たちが続々と!
今週は卒業や合格発表がひと段落しましたね。
昨日テレビを見ていたら鉛筆の歴史をなぞっていました。
今までの知識としては日本で初めて徳川家康が鉛筆を献上されて
凄く気に入ったという事のみでまぁそれより前にあったんだろうなぁ
位の知識でしたので、へぇ〜と思うことが結構ありました。
先ず人類の歴史上文字が発明されてそれを書き記すという行為が
綿々と何千年と続いていてその間、最大の問題である、間違えたら
全部やり直し、若しくは書きつぶすしかない!というのが
ありました。ありましたというかそれが当たり前なので特に問題
ともされなかったという事でもありますが。
1550年頃、そんなイギリスの山中で羊飼いが山であるものを見つけます。
これが黒鉛なんですが、羊飼いは拾ったこの黒鉛を自分の羊に目印として
利用します。これは当時の羊飼い同士が放牧後に自分の羊がほかの羊と混じり
訳が分からなくなるという問題をこれで解決するためです。
その後黒鉛を削り板で挟んで糸などで縛る形で広まります。それまでは
何かしら液体を筆や羽の先などを使って少し書くと液を付けという作業が
一気に短縮できることからも画期的な発見ですね。
それを伝え聞いた当時の王『エリザベス1世』が諸外国に輸出することを思い立ち
このイギリス産の黒鉛で一気にイギリスは潤います。
他の国でも黒鉛自体は取れることはとれたようですが、質が悪すぎてイギリス産の
黒鉛がもてはやされたようです。
ただそういった状況もあり、普通に売っていることは売っているが
高価なものでもありました。
このころ日本にも伝わり、徳川家康に献上されています。
これが日本で初めて鉛筆が伝来した時ですね。
一気に安価なものとし、普及させたのはフランスの英雄
ナポレオンで色んな会社の鉛筆の歴史
を読むとコンテさんが発明しとなっていますが、
そのコンテさんに何とか考えろ!を指示したのが
ナポレオンという事の様です。
理由は当時フランスとイギリスの関係が非常に悪く
黒鉛の輸入を止められてしまったんですね。
当時の戦争はというか戦争とはいつの時代もそうなんでしょうが
スピードとの戦いでもあります。
作戦などを記載したものを各部隊へ伝える、
指令を伝える文書を書くなどいちいち
液を付けてというのは鉛筆に慣れてしまったら
時間が無駄に感じて仕方なかったんだと思います。
そこでコンテさんが粘土を混ぜて鉛筆の芯を作ることを思いつきます。という事ですが
よくよく見てみると当時の大砲の玉が黒鉛と粘土でつくっているのを見て思いついた
という事なのでコンテさんが思いついたというのは微妙な感じがしました。
ただこの黒鉛と粘土の分量で硬さが変わり、色の濃さが変わることにつなげたのは
凄い発見ですよね。ちなみにシャーペンの芯に関しては粘土だけではあの細さで
耐えきれないようで、プラスチックが混じっているとのことです。
その後ドイツで今の鉛筆の形が形成されて大量生産されるのですが、
当時の机が少し斜めっていて丸い鉛筆は置くと転がっていってしまうんですね。
そこで形が試行錯誤され、今の6角形となります。これは持つときに
指3本で支える持ち方になるので、3の倍数の平面があると持ちやすく
疲れにくいことがその過程の中で見つかったからとされています。
この時6角形にすることで丸形よりも同じ面積の型から多く取れることで
大量生産され始め安価となり、多くの人に鉛筆が普通に使える
事になるのです。
その後江戸時代に開国要求をしてきたペリーによって今とほぼ同じ形状となった
鉛筆がもたらされ、日本でも一気に普及していきます。
とこんな感じでしたが合わせて画期的発見この黒鉛を用いた書いた後を消せる!という発見ですが
18世紀後半のこれまたイギリスでそれまでパンを使えば消せることはわかっていて
パンで消していたのが科学者プリーストリーさんが天然ゴムで鉛筆の字が消せることを発見し
2年後消しゴムが発売されます。これが評判を呼び黒鉛のように広まっていきます。
なので日本には鉛筆と消しゴムがほとんど同じような時期に一気に普及していく事となります。
鉛筆も消しゴムもイギリスからなんですね。
昨日テレビを見ていたら鉛筆の歴史をなぞっていました。
今までの知識としては日本で初めて徳川家康が鉛筆を献上されて
凄く気に入ったという事のみでまぁそれより前にあったんだろうなぁ
位の知識でしたので、へぇ〜と思うことが結構ありました。
先ず人類の歴史上文字が発明されてそれを書き記すという行為が
綿々と何千年と続いていてその間、最大の問題である、間違えたら
全部やり直し、若しくは書きつぶすしかない!というのが
ありました。ありましたというかそれが当たり前なので特に問題
ともされなかったという事でもありますが。
1550年頃、そんなイギリスの山中で羊飼いが山であるものを見つけます。
これが黒鉛なんですが、羊飼いは拾ったこの黒鉛を自分の羊に目印として
利用します。これは当時の羊飼い同士が放牧後に自分の羊がほかの羊と混じり
訳が分からなくなるという問題をこれで解決するためです。
その後黒鉛を削り板で挟んで糸などで縛る形で広まります。それまでは
何かしら液体を筆や羽の先などを使って少し書くと液を付けという作業が
一気に短縮できることからも画期的な発見ですね。
それを伝え聞いた当時の王『エリザベス1世』が諸外国に輸出することを思い立ち
このイギリス産の黒鉛で一気にイギリスは潤います。
他の国でも黒鉛自体は取れることはとれたようですが、質が悪すぎてイギリス産の
黒鉛がもてはやされたようです。
ただそういった状況もあり、普通に売っていることは売っているが
高価なものでもありました。
このころ日本にも伝わり、徳川家康に献上されています。
これが日本で初めて鉛筆が伝来した時ですね。
一気に安価なものとし、普及させたのはフランスの英雄
ナポレオンで色んな会社の鉛筆の歴史
を読むとコンテさんが発明しとなっていますが、
そのコンテさんに何とか考えろ!を指示したのが
ナポレオンという事の様です。
理由は当時フランスとイギリスの関係が非常に悪く
黒鉛の輸入を止められてしまったんですね。
当時の戦争はというか戦争とはいつの時代もそうなんでしょうが
スピードとの戦いでもあります。
作戦などを記載したものを各部隊へ伝える、
指令を伝える文書を書くなどいちいち
液を付けてというのは鉛筆に慣れてしまったら
時間が無駄に感じて仕方なかったんだと思います。
そこでコンテさんが粘土を混ぜて鉛筆の芯を作ることを思いつきます。という事ですが
よくよく見てみると当時の大砲の玉が黒鉛と粘土でつくっているのを見て思いついた
という事なのでコンテさんが思いついたというのは微妙な感じがしました。
ただこの黒鉛と粘土の分量で硬さが変わり、色の濃さが変わることにつなげたのは
凄い発見ですよね。ちなみにシャーペンの芯に関しては粘土だけではあの細さで
耐えきれないようで、プラスチックが混じっているとのことです。
その後ドイツで今の鉛筆の形が形成されて大量生産されるのですが、
当時の机が少し斜めっていて丸い鉛筆は置くと転がっていってしまうんですね。
そこで形が試行錯誤され、今の6角形となります。これは持つときに
指3本で支える持ち方になるので、3の倍数の平面があると持ちやすく
疲れにくいことがその過程の中で見つかったからとされています。
この時6角形にすることで丸形よりも同じ面積の型から多く取れることで
大量生産され始め安価となり、多くの人に鉛筆が普通に使える
事になるのです。
その後江戸時代に開国要求をしてきたペリーによって今とほぼ同じ形状となった
鉛筆がもたらされ、日本でも一気に普及していきます。
とこんな感じでしたが合わせて画期的発見この黒鉛を用いた書いた後を消せる!という発見ですが
18世紀後半のこれまたイギリスでそれまでパンを使えば消せることはわかっていて
パンで消していたのが科学者プリーストリーさんが天然ゴムで鉛筆の字が消せることを発見し
2年後消しゴムが発売されます。これが評判を呼び黒鉛のように広まっていきます。
なので日本には鉛筆と消しゴムがほとんど同じような時期に一気に普及していく事となります。
鉛筆も消しゴムもイギリスからなんですね。