アフィリエイト広告を利用しています

2024年08月12日

1008 別れの杯




空路が開かれた今では想像出来ませんが、当時、上京するには黒島から朝一便の船で石垣島迄行き、夕方石垣を出港し翌日の昼頃那覇港着、夕方那覇港を出、東京の晴海埠頭まで3泊4日、便数も週2便しかなく更にパスポート持参での上京。
もし危篤の知らせがあったとしても、帰郷するには最低一週間は必要。
ニキビだらけのあどけない顔の少年ながら、決して死に水は取れないだろうと、覚悟しました。
両親を前に生き別れの杯を交わさせてくれと頼み、別れの杯を交わしての旅立ちと成りました。
杯を交わす時、父は決して目を合わせまい、としていました。
拗ねているように視線を外し、何かを必死で耐えている様子。
多分、視線が合えば、上京は取りやめなさい、と口から出るのを耐えていたのでしょう。
両親にとって一番辛い時だったのかも知れません。
ひかる少年は、心から寂しがる両親の横顔を見せつけられ、白髪の様子や禿げ具合、シワの数までしっかりと瞼に焼き付け、刻々と迫る別れが辛く、この世で一番長い夜を過ごしました。
当時、石垣島の港は遠浅の為、沖縄本島行きの大型船が港に入れません。
7、8隻の橋渡船が沖の本船まで荷物や人を運び、最後に見送り人を運びます。
本船は一度目の汽笛でゆっくりと走り出し、見送り船は別れを惜しむかのように、周りを追走。
覚悟の上とはいえ、親との生き別れは、これが最後で2度と会う事が出来ないのかと思うと、あまりにも切なく、身を引き裂かれる程辛いものがあります。
妹は棒切れを突いてピコタン,ピコタン追いかけ「兄ちゃん、行かないで・・」と泣きじゃくる。
「兄ちゃん必ず帰るから」と諭し心を鬼にする。
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12661153
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
ファン
検索
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール
面白エッセイさんの画像
面白エッセイ
プロフィール