飛鳥古墳見学ツアーに参加した時、近くに巨大な石室があった。
参加者に、高校の先生がカメラを持って参加しており、機械や重機の無かった昔、どうやってこの巨大な石を運んで来たのか、ガイドに聞いても分からず、説明書を隅から隅まで読み、頭をかしげていた。
3トンの石等、昔の人は簡単にかついで移動したはずだと言うと、その先生は、怪訝な顔をしてきた。
転がすのですか? どうやって運ぶのですか? としきりに聞く。
写真のように、一トンの鉄の塊があったとする。
それに、A点でロープの端をしっかり結わえつけ、グルグルに6回ほど巻く。最後はB点でまたしっかり結わえて止める。
そして、担ぎ棒を6本入れ、左右ペアで担ぐ、この図だと12名で担ぐ事になる。
この方式は、12名に均等に重力がかかる。一人百キロ近くだが、昔の人ならそれくらいは担げるであろう。
50センチほど浮かせて、声をかけ、右足、左足、と全員同時に、移動すれば、一トンの物体が12人で十分運べる。
勿論ペアを組むのは、背丈の近い人、低い人同士、場合によっては、ロープをもう1回巻きつけ、担ぎ棒をもう1本増やせば、女性が加わったとしても何ら問題はない。
石室の3トンの石を縦、横に2本ずつ支柱を入れ巨大な石を結わえつける。
上下左右4ケ所角に、この原理と同じようにロープを巻きつけ、2カ所で固定する。
一角に10人ずつ配置すれば4角で40名になり、一人75キロの重量だ。
昔の人ならこのくらいの重量、一日数キロの距離でも行軍出来るであろう。
石室から数10キロ圏内に、この石と同じような石の産地があるはずだ。
石室の周りは盛り土したように、小高くなっている。
多分その下には、足場に使った、石垣があるはずだというと、その先生はえらく感心していた。早い話がピラミットの石は5メータの丸木に6回巻き固定し、担ぎ棒を6本入れ丸木に石をもっこで固定、12人で担ぐと1トンの石を長距離、いとも簡単に移動できる。ロープはあだんの木の気根で出来る。
どこでそのような事を知ったのですかと聞かれたので、黒島には大きな亀甲墓がある。
屋根の部分には、大きな石が載せてあり、下には一坪ほどの空間が出来ている。
屋根の石を運ぶ時、この方法が用いられた。これは亡くなった爺さんから聞いた話で、エジプトのピラミッドも同じ縄担ぎ方式で作られたと聞いている。
すると、その先生は是非亀甲墓を見せてくれという。
外から見ても、漆喰で固められており、殆んど分からない。しかし中に入る事は絶対に許されない。
人が亡くなった時でも、決して女性は入れず、直系の一番近い人から入る事になっており、中は二人が限度で、残念ながら見る事は出来ないと言ってやった。
先生は教科書の何処にも載っていない、大変参考になりましたとお礼を言って別れた。
本土のお祭りの御神輿は、背丈の高い人に負担がかかる。
縄担ぎ方式を導入すれば、もっと大きな御神輿が出来たはずなのに・・
(時代劇に出てくるモッコ、網の真ん中に重い石を載せ、周りで大勢で持ち上げる、背の高い人と低い人では網目が違いほぼ均等に重力が掛かるという事だ)
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