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2024年07月21日

1078 放送用VTRとカメラ





テレビのカラー放送が始まった昭和40年代東京の放送局キー局のVTRやカメラ等、全てがアメリカから輸入された機材でした。
日本のテレビ放送がアメリカのNTSC方式に準じて開始された為です。
世界には他にヨーロッパ方式と共産圏方式、この3つの方式でテレビの放送は行われておりました。
当時のテレビ自体がブラウン管と呼ばれる巨大な真空管であった事は往年の方なら分かるかと思います。
テレビ局側のカメラも真空管でプランビコンと呼ばれる撮像管が使われておりました。
レンズで取り込んだ映像信号をRGBの半透過ミラーで反射させRGBの映像信号を取り出していたのです。
プランビコンの形状は懐中電灯を想像してください。
画面の部分に高圧をかけ電池の部分から電子銃を発射、走査し信号を取り出していたのです。当然三本必要。
その映像を変調して東京タワーから各家庭へ送り込む、テレビ側では巨大なブラウン管後方のRGB電子銃から信号が発射され高圧をかけた画面に叩きこみ発光させます。
TVカメラもかなり重量があり形状もデカい物でした。
それよりまだデカイのはVTRでした。
テープ幅が2インチ、 一インチが2.54センチですから5センチ以上のテープ幅。
テープには鉄粉が塗布され、一時間テープだとズッシリ重くこれを高速巻き戻しで制御、磁気面の粉塵も吸い取りするので巨大なシステムです。
アンペックス社製で宇宙の偵察機にも旅行トランク大のVR三千が搭載され、開発にNASAが関与したといわれております。
これまた値段が目玉が飛び出る値段。キー局といえども4台くらいしか持てません。
予備機も必要でニ式という事、昔の俳優なら局で収録時、VTR待ち時間は度々あり、キー局ですらVTRの数の確保が出来なかった。
2インチVTRは電子編集が出来ませんでした。
記録信号は5センチ幅のテープにワンフレーム単位で上から下に記録されます。
1秒間に30本、いわゆる30フレーム磁気が綺麗に並びます。
それを顕微鏡で見、カミソリで上から下に切断、いらない部分を切り捨て裏面を強烈なテープで張り合わせる繋ぎ編集で、熟練した編集人でないと高速で巻き戻し中あるいはストップ時にバサバサ切れ、切れる事を想定し送出には必ず予備機も回します。
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テレビ白黒時代から裏方技術家、40年のエッセイ。
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