昨日は接客にについて思いつくままに語ってみました。一言では言い表せなかったので、前後編にしてみました。
無意識に作っている壁(緊張)
私見では、最近の老若男女問わずコミュニケーション力は育っていないと感じています(自分も含まれています)。
目も合わせずうつむきがちで、こちらが声をかけてもただ声を出すだけでこちらに向かって声を出してはいない。非常にボンヤリとした人間が目立ちます。他人と接することを避ける傾向があるのかな?と思っていました。その理由は何なのかはわかりませんでしたが、私が国内を旅している中で一つ気づいたことがあります。
それは地方を旅していると、人ゴミがなく道が広いとストレスを感じないということです。
逆に言うといかに人に壁を作っているかがわかりました。人ゴミの多い場所に行くとこんなに精神が削られていたのか、と。
私は東京都内に住んでいますが、人の多い街の会社員は外界からの刺激の感度を下げるようにしているのではないか?と思います。
街中の雑踏や音楽、乗り物の音など大きな刺激を常に浴びる環境にいれば本能的に感度を下げることで強いストレスからガードしている。それは性格にも反映してくるのでは?と考えています。
まぁここまでは私の予想ではありますが、話の本筋はここから。
接客業の未来予想
心身を緩ませるお客様も我々接客する側も同じように、外界に対しての刺激に対して反応しない人間が増えていけば、人に接するストレスを与えられる必要のない機械頼りになるのは明白かと予想します。つまり、接客する人間いらねーじゃんってことです。
しばらくは機械のほうがコストがかかるから人間を使うだろうという考えもありますが、時代の流れるスピードを考えるとそんなに後のことではないと思います。なので、今後は抜群に優れた接客従事者とコスト削減のためのやる気のない接客従事者の二極化がよりハッキリするでしょう。中間の人たちは収入の低さと心身の疲弊のバランスが見合わずにすぐに辞めていくだろうと予想します。
まぁ接客業従事者にとってはやや暗い話のように思いますが私はチャンスがあると思っています。
ジャンルを問わずさまざまなお店の接客を観察したり受けたりしていますが、9割以上がそつなくこなすレベルです。サービス本にあるような素晴らしい接客従事者はそう簡単には出会えません。
結局は人柄という話になりますが、ここさえ抑えてしまえばこの先の時代でも食いっぱぐれはないでしょう。まわりのレベルが下がっている時は差をつけるチャンスです。その修行のためにはいろんな未知の経験を積んで人徳を積むしかないなーと心がけています。
相手に与える印象を操作するには自分を深く見つめ、客観視するクセを身につけることがどの人間にも必須であり、それが出来る人はどのジャンルでも頭角を表すことは間違いありません。世の中って本当にボンヤリと生きている人が多いですから。
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