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2019年01月30日
第5章:居合道と親友との出会い
どうもメルハバ!
今回はトルコストーリーの第5回目で、人生を変えた居合道との出会いについてです。
まだ読んでない方は、第1章から読むことをオススメします。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/3/0
猛プッシュの甲斐あってやっと会社から滞在許可証が発行され、これでやっと安心できると思っていましたが、一つの理由から僕は余り元気がありませんでした。
それは自分の中に、外国人に伝えられるような日本的要素がないんじゃないかと感じていたからです。
イスタンブールに来てからずっと思っていたのですが、ここにきてそれが凄く気になり始めます。
もちろん日本で生まれ、日本で育ち、母語も日本語ですが、何か日本特有の文化を体現するような特技があったわけではありません。
ていうかどちらかというと、ゲームばかりやっていたいわゆる「オタク」に近い感じでした。それを無駄な時間とまでは言いませんが、もっと別なことに時間を割けば良かったと思っています。
しかし、後悔先に立たずなのでどうしようもなく、加えて仕事面でも言葉の壁の問題や、まだ慣れきってないので失敗が続き悶々とする日々を送っていました。
そんな時、友人から一つの誘いを受けます。それは近所の合気道道場に、居合道の先生が来ているから見に行こうというものでした。
この時の僕は無知丸出しで
「居合道?剣道じゃなくて?」
なんて質問を返すくらいですから、この時初めて居合道というものを知ります。
お前本当に日本人かよ(笑)
と突っ込まれますが、日本人だからってなんでも知ってるって訳じゃないのに・・・しかしトルコ人はそんなことはお構いなしです。
とまぁさて置き、ちょうど何もすることなかったし、何かアクションを起こしたいこ思っていたので、友人に誘われるまま見に行くことにしました。
その日の週末、アジアサイドのカドゥキョイ地区にて友達と待ち合わせ、その道場に向かうことにしました。
道場に付くと、ちょうどその日は別な道場との合気道も混ぜた稽古兼演舞会だったようで、大勢の屈強な体格のトルコ人で溢れていました。
そんな中、僕の運命を変える先生が現れます。
その先生は範士八段(当時は七段)、合気道と居合道を教えている方で、ここの道場と提携してトルコに武道を教えに来られているとのこと。
僕は日本にいたときは全く武道経験がなく、せいぜい体育の授業でやった柔道程度です。
なので本物の武道の先生に初めて会ったため、凄く緊張しました。
先生は初め、まさかこんな所で日本人に会うとは思っていなかったからか、少し驚かれていました。挨拶をし、二三質問をした後、僕らは見学者の席に移動して演舞が始まるのを待ちます。まずはトルコ人の合気道有段者からの演舞でした。次に居合道の演舞が始まり、この時初めて居合道というものを目にします。刃の入っていないにしろ、見た目は本物の刀のような居合刀を使っての演舞は
「中々カッコいいじゃないか」
というのが第一印象でした。そして低段者からの演舞を経てついに先生の演舞の番が回ってきたところで、僕は衝撃を受けます。
演舞が始まると、僕は先生の演舞に見とれていました。
先生は荒木流という大小二本の刀を使う流派の演舞を披露され、その演舞が時に静かに、しかし時に獰猛に襲いかかる虎の様な動きをする演舞だったのが、僕のハートに火をつけました!
そしてその演舞を見た瞬間思ったのは、「僕が求めていたものはこれだ!」ということです。
あの時ほど何かをやりたいと思ったことはないかもしれません。と言うより、「これは僕がやるべきことだ」といった使命感に似た感情が沸いていました。
演舞終了後、僕は居ても立ってもいられず、先生の傍に近づきすぐに弟子入りを懇願します。もう内から沸く衝動を抑えられませんでした。
これが僕と居合道との出会いです。
それから次の週に早速稽古に入りますが、日本でまともに武道をやったことがない僕は、最初のころ袴の履き方も分からなかったのでまたしても「本当に日本人か?」とからかわれます。
「日本人なのに何で履けないんだ?」とか
「武道やったことないってそれでも日本人か?」
等好き勝手言われたので、最初のころは正直恥ずかしかったです。
ていうか逆に、日本人の中にどれだけきちんと袴の履き方知ってる人がいるのか僕が知りたいくらいです。
しかし、ここでまた一つ問題が発生します。その当時僕はまだトルコ語が流暢ではなく、指導を受けても内容がよく分からないということです。もうそれこそ見様見真似でやるしかなく、上達はなかなかせずにまたしても悶々とした日々が始まります。日本人の先生は、日程の都合で合同演舞の後にすぐに日本に帰国してしまい、まともに指導をいただくことはできないまま始まったので袴の履き方もこれでいいのか自信がありません。この時期はやっていてもの凄く滑稽だったと思います。
そんな状態で2か月ほど稽古を続けましたが、ここで生涯の友と呼べる人物と出会います。
ある日、いつものように稽古に来ると、見慣れない人物が来ていました。挨拶しようと思い近寄ると、彼も僕に気付いて
「日本人ですか?」
と、日本語で話しかけてきました。彼の名はエルデムといい、最近まで怪我で休んでいたそう。なぜ日本語が話せるのか理由を聞くと、彼は剣道と居合道をもう10年近くやっていて、本場の道場で学ぶため日本にも滞在したことがあるんだとか。
それからの稽古は本当に素晴らしいものになりました。
エルデムのお陰で稽古仲間達とのコミュニケーションが取れるようになり、分からないことは彼が通訳となって助けてくれたので、稽古後は皆でご飯食べに行くようになるなど充実した時間を過ごすようになります。
その後も様々な苦楽を共にした彼は、僕にとって本当の兄のような存在になります。
一度こんなことがありました。
道場側のトラブルでメンバーが離散し、僕らも道場を離れて途方に暮れた時期がありました。僕ら二人しかおらず、実に半年近くまともに稽古ができない中、お互いに解決策を探してようやく環境を整え、居合道のグループを作りました。そういう経緯もあって、僕らはお互い信頼しあう親友となりました。
このグループは僕が日本に帰った後ももちろん継続しており、時々来日して一緒に先生から指導を受けることが可能になっています。
僕はというと今は毎週道場に通い、このブログを書いている2週間後に四段の審査が控えており、その3か月後には全国大会に出場するため京都に行くことになっています。
この居合道との出会いは、本当に僕に様々なものを与えてくれました。
生涯を通してやり続けられるものであるし、日本人としての誇りも手に入れ、以降トルコで日本関連のイベントにて演舞を行ったり、そしてなんとトルコでCMにも抜擢されます。次のストーリーでは、そのCMについて説明したいと思います。
今回はトルコストーリーの第5回目で、人生を変えた居合道との出会いについてです。
まだ読んでない方は、第1章から読むことをオススメします。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/3/0
猛プッシュの甲斐あってやっと会社から滞在許可証が発行され、これでやっと安心できると思っていましたが、一つの理由から僕は余り元気がありませんでした。
それは自分の中に、外国人に伝えられるような日本的要素がないんじゃないかと感じていたからです。
イスタンブールに来てからずっと思っていたのですが、ここにきてそれが凄く気になり始めます。
もちろん日本で生まれ、日本で育ち、母語も日本語ですが、何か日本特有の文化を体現するような特技があったわけではありません。
ていうかどちらかというと、ゲームばかりやっていたいわゆる「オタク」に近い感じでした。それを無駄な時間とまでは言いませんが、もっと別なことに時間を割けば良かったと思っています。
しかし、後悔先に立たずなのでどうしようもなく、加えて仕事面でも言葉の壁の問題や、まだ慣れきってないので失敗が続き悶々とする日々を送っていました。
そんな時、友人から一つの誘いを受けます。それは近所の合気道道場に、居合道の先生が来ているから見に行こうというものでした。
この時の僕は無知丸出しで
「居合道?剣道じゃなくて?」
なんて質問を返すくらいですから、この時初めて居合道というものを知ります。
お前本当に日本人かよ(笑)
と突っ込まれますが、日本人だからってなんでも知ってるって訳じゃないのに・・・しかしトルコ人はそんなことはお構いなしです。
とまぁさて置き、ちょうど何もすることなかったし、何かアクションを起こしたいこ思っていたので、友人に誘われるまま見に行くことにしました。
その日の週末、アジアサイドのカドゥキョイ地区にて友達と待ち合わせ、その道場に向かうことにしました。
道場に付くと、ちょうどその日は別な道場との合気道も混ぜた稽古兼演舞会だったようで、大勢の屈強な体格のトルコ人で溢れていました。
そんな中、僕の運命を変える先生が現れます。
その先生は範士八段(当時は七段)、合気道と居合道を教えている方で、ここの道場と提携してトルコに武道を教えに来られているとのこと。
僕は日本にいたときは全く武道経験がなく、せいぜい体育の授業でやった柔道程度です。
なので本物の武道の先生に初めて会ったため、凄く緊張しました。
先生は初め、まさかこんな所で日本人に会うとは思っていなかったからか、少し驚かれていました。挨拶をし、二三質問をした後、僕らは見学者の席に移動して演舞が始まるのを待ちます。まずはトルコ人の合気道有段者からの演舞でした。次に居合道の演舞が始まり、この時初めて居合道というものを目にします。刃の入っていないにしろ、見た目は本物の刀のような居合刀を使っての演舞は
「中々カッコいいじゃないか」
というのが第一印象でした。そして低段者からの演舞を経てついに先生の演舞の番が回ってきたところで、僕は衝撃を受けます。
演舞が始まると、僕は先生の演舞に見とれていました。
先生は荒木流という大小二本の刀を使う流派の演舞を披露され、その演舞が時に静かに、しかし時に獰猛に襲いかかる虎の様な動きをする演舞だったのが、僕のハートに火をつけました!
そしてその演舞を見た瞬間思ったのは、「僕が求めていたものはこれだ!」ということです。
あの時ほど何かをやりたいと思ったことはないかもしれません。と言うより、「これは僕がやるべきことだ」といった使命感に似た感情が沸いていました。
演舞終了後、僕は居ても立ってもいられず、先生の傍に近づきすぐに弟子入りを懇願します。もう内から沸く衝動を抑えられませんでした。
これが僕と居合道との出会いです。
それから次の週に早速稽古に入りますが、日本でまともに武道をやったことがない僕は、最初のころ袴の履き方も分からなかったのでまたしても「本当に日本人か?」とからかわれます。
「日本人なのに何で履けないんだ?」とか
「武道やったことないってそれでも日本人か?」
等好き勝手言われたので、最初のころは正直恥ずかしかったです。
ていうか逆に、日本人の中にどれだけきちんと袴の履き方知ってる人がいるのか僕が知りたいくらいです。
しかし、ここでまた一つ問題が発生します。その当時僕はまだトルコ語が流暢ではなく、指導を受けても内容がよく分からないということです。もうそれこそ見様見真似でやるしかなく、上達はなかなかせずにまたしても悶々とした日々が始まります。日本人の先生は、日程の都合で合同演舞の後にすぐに日本に帰国してしまい、まともに指導をいただくことはできないまま始まったので袴の履き方もこれでいいのか自信がありません。この時期はやっていてもの凄く滑稽だったと思います。
そんな状態で2か月ほど稽古を続けましたが、ここで生涯の友と呼べる人物と出会います。
ある日、いつものように稽古に来ると、見慣れない人物が来ていました。挨拶しようと思い近寄ると、彼も僕に気付いて
「日本人ですか?」
と、日本語で話しかけてきました。彼の名はエルデムといい、最近まで怪我で休んでいたそう。なぜ日本語が話せるのか理由を聞くと、彼は剣道と居合道をもう10年近くやっていて、本場の道場で学ぶため日本にも滞在したことがあるんだとか。
それからの稽古は本当に素晴らしいものになりました。
エルデムのお陰で稽古仲間達とのコミュニケーションが取れるようになり、分からないことは彼が通訳となって助けてくれたので、稽古後は皆でご飯食べに行くようになるなど充実した時間を過ごすようになります。
その後も様々な苦楽を共にした彼は、僕にとって本当の兄のような存在になります。
一度こんなことがありました。
道場側のトラブルでメンバーが離散し、僕らも道場を離れて途方に暮れた時期がありました。僕ら二人しかおらず、実に半年近くまともに稽古ができない中、お互いに解決策を探してようやく環境を整え、居合道のグループを作りました。そういう経緯もあって、僕らはお互い信頼しあう親友となりました。
このグループは僕が日本に帰った後ももちろん継続しており、時々来日して一緒に先生から指導を受けることが可能になっています。
僕はというと今は毎週道場に通い、このブログを書いている2週間後に四段の審査が控えており、その3か月後には全国大会に出場するため京都に行くことになっています。
この居合道との出会いは、本当に僕に様々なものを与えてくれました。
生涯を通してやり続けられるものであるし、日本人としての誇りも手に入れ、以降トルコで日本関連のイベントにて演舞を行ったり、そしてなんとトルコでCMにも抜擢されます。次のストーリーでは、そのCMについて説明したいと思います。